春さんのひとりごと
<娘の『卒業式』 ....Saint Vinh Son 小学校の『終業式』>
● 娘の『卒業式』●
5月29日(水)に、小学5年生の我が娘の『卒業式』 がありました。二年前には娘の終業式に参加しましたが、いよいよ今年、今まで通って来た小学校ともお別れの時期を迎えることになりました。
ベトナムの教育制度では小学校は5年間、中学校は4年間ですので、小・中の合計の年数では日本と同じです。その(5年間の小学校生活がもう終わったのだな・・・)と、あらためて振り返りますと、感慨深いものがあります。
当日は娘と女房と三人で学校まで行きました。そして、朝7時半に学校に到着。バイクを停めて校内に入ると、すでに多くの生徒たちが校庭の敷地の中に据えてある低い椅子に座っていました。ざっと見回したところ、 500人以上はいました。女房に聞けば、全員が5年生だとのことでした。我が娘も、自分のクラスの生徒たちが集っている一群の中に入ってゆきました。
校庭内は、今年卒業する多くの生徒達の話し声が響き、賑やかなものでした。生徒たちは全員一階の校庭に集まり、保護者の人たちは二階のテラス席で卒業式を見物することになります。テラス席には保護者用に椅子が置いてありました。
8時を過ぎた頃に、5年生の卒業式の開始です。いろんな人たちが壇上に上がり、挨拶に立ちます。ここらへんは日本の卒業式に似ています。それが終わると、生徒達自身によるアトラクションが始まりました。
最初は男子の生徒によるオルガンの演奏。そして少数民族の服装をした少女の踊り。これは実に愛嬌があって、踊りも可愛らしいものでした。次に白いドレスを着た女子生徒二人の歌と踊り。さらには男子学生と、女子の学生による「テッコンドー」の演舞。
次は、ハスの花をモチーフにした男子と女子の踊り。これで、生徒たちによるアトラクションが終わりました。後で娘に「あの時舞台に立って、オルガンを弾いたり、踊ったりしていた生徒たちは何年生なの?」と聞きましたら、「オルガンを弾いた生徒とテッコンドーの演舞は、小学5年生。それ以外は小学2年、3年、4年生。」という返事でした。
しかし、まだ十歳以下の年齢ながら、 500人以上もいる生徒たちや、二階席から見ている保護者たちの前で、一人で演奏したり、二人で踊ったり、歌を歌ったり出来る度胸は大したものだと思いました。
それらのアトラクションが終わると、次はベトナム国歌の合唱。先生や生徒たちはもちろん、保護者たち全員も起立して、直立不動の姿勢で歌っています。国歌斉唱時に椅子に座っている人は、ここには一人もいません。
そして次は、お世話になった先生方へ生徒たちから花束のプレゼントがありました。それが終わると、小学5年生たちがクラスごとに壇上に上がり、先生から卒業証書とノートのプレゼントをもらいました。
娘の話では、「小学5年生は全部で12クラスまである。」と言うことです。私の娘は11クラス目ですので、壇上に上がるのは終わり近くになります。しかし、小学5年生のクラスの生徒が次々と壇上に上がる姿を最初からずっと見ていますと、(すごい人数だな〜)と思わざるをえません。一クラスには、平均 50人いると言いますから、単純計算しても600人はいるわけです。
そして9時半頃に、私の娘のクラスの生徒たちが壇上に上がりました。先生から一人ずつ、表彰状とノートをもらいました。そして、クラスの友達たちと一緒に記念写真を撮っていました。この時には、二階のテラスから私も女房も校庭に降りました。
壇上に上がったクラスの中に交って立っている娘の姿を見ていますと、小学校に入学した一年生の頃のことが思い出されてきました。あれから早や5年が経ち、この小学校でずっと学ぶことが出来ました。実に有り難いことだとおもいます。今日ここに来られていた保護者の方々も、おそらく同じ思いだろうと思います。
特に我が子の場合は、日本人である私とベトナム人の女房との間に生まれました。そういう境遇の子どもであれば、日本では “イジメ” の問題が出て来る可能性がありますが、このベトナムで我が子が5年間通っていた間、一回としてそういうことはありませんでした。それどころか、ベトナム人の友人も数多く出来ているようでした。
私自身が、子どもからも女房からも、「今日学校でイジメられた!」という言葉を聞いたことはありません。娘は、本当に毎日喜んで学校に通って行きました。子を持つ親にとって、もし(我が子が学校でイジメられている・・・)ということが現実に起きたとしたら、どんなに辛いことでしょうか。しかし幸いにも、私は親としてその「辛い」体験をこのベトナムですることはありませんでした。
仕事を通じたキッカケでこのベトナムという地に足を踏み入れ、 “縁” あってベトナムの女性を妻にもらい、そして子どもが出来ました。そして我が子が、小学校を無事卒業する時を迎えることが出来たわけです。
今年の卒業式を迎えた時に、我が娘を普通のベトナム人の生徒と同じように、温かく迎え入れてくれたこの学校や先生たち、そして友人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。ベトナムではそれが当たり前だとしても、日本でのいろんなことを見聞きする私には、このベトナムで娘が何一つ問題も無く小学校生活を過ごすことが出来たことは嬉しい限りです。
校庭の壇上の横には、胸像が据えてありました。私自身は今まであまり注意して見ていなかったので気付きませんでしたが、女房が「あれが Luong Dinh Cua( ルゥォン ディン クア )博士 よ」と教えてくれました。この学校は、クア博士の名前を付けた小学校なのでした。
この5月に、「九州国立博物館」 で見た 「大ベトナム展」 の中で紹介されていた、あの博士の胸像でした。(これがあのクア博士か〜・・・)と、「大ベトナム展」でその経歴を読んでいましたので、身近に感じられました。クア博士は日本人女性と結婚されていただけに、さらに親近感を覚えます。クア博士の子どもさんたちは今どこで、どうされているのでしょうか・・・。
そして12クラスまでの生徒たち全員が壇上に上がって卒業証書を受け取った後、そのまま自分たちのクラスにそれぞれ戻って行きました。女房と私もそのクラスまで付いて行きました。最初に担任の先生が生徒たちに話していましたが、生徒たちの私語があまりにうるさいので、「静かにしろ!!」と怒っていたのには笑いました。
面白かったのは、本来は廊下で待つべき保護者たちが、教室の中にまで入り込んで、自分の子どもの写真や、クラスの全体写真をカメラでバチバチ撮っていたことです。担任の先生も「保護者の方は教室から出て下さい!」とも、何も言わずに黙認です。
それ以上に面白かったのは、この時には生徒たちに配る菓子パンと、フライドチキンと、コカ・コーラなどのプレゼントがたくさんあったのですが、その配布を担任の先生一人だけに任せずに、保護者もクラスの中に入ってゆき、それが当たり前のように先生と一緒に生徒たちに配っていたことです。
それを貰った生徒たちは、全員大変喜んでいました。それらを配り終えた後には、保護者の人たちも、担任の先生と生徒たちを囲んで記念撮影までしていました。このあたりは、大変おおらかでいいな〜と思いましたね。全然堅苦しくない『卒業式』だな〜という感じでした。
この学校とも今日がお別れになるので、隣のクラスから娘の友人たちもやって来て、彼らと肩を組んで記念写真を撮っていました。また同じ中学校で再会し、共に学ぶ友人もいるでしょうが、この日が最後の対面になる友人もいます。娘も別れを惜しんでいました。
10時半過ぎにクラスの中での『卒業式』が終わり、生徒たちも廊下で待っている両親たちと帰ってゆきました。最後に、私と女房もクラスの担任の男の先生にお礼とお別れの挨拶をして、娘が小学校5年間を過ごした学校を後にしました。
● Saint Vinh Son小学校の『終業式』 ●
娘の卒業式が終わった二日後の5月31日(金)に、 Saint Vinh Son(セイント ビン ソン)小学校 の 『終業式』 がありました。二年前には Le Van Tam(レー バン タム)小学校 で、小学5年生の卒業式があり、私もそれに参加しましたが、今年はそれが叶わず、 Saint Vinh Son小学校で生徒たちだけの『終業式』に参加しました。この日は、小学5年生にとっては『卒業式』も兼ねています。
今までは私一人が参加していましたが、今年は我が娘も同じく小学校を卒業したこともあり、娘を連れて参加させて頂きました。事前に娘にそれを話しますと、大変喜んで「行く!行くよ!」とその日が来るのを楽しみにしていました。
当日は朝8時に小学校に到着。生徒たちは全員教室に入り、着席して待っていてくれました。最初に小 1と小2のクラスに入りました。二学年が一つの教室に入っていました。Oanh先生が私と娘を紹介して頂きますと、生徒たち全員が立ち上がって拍手をしてくれました。
それから歌を歌ってくれました。そして担任の先生たちによる、成績優秀者への表彰状とノートのプレゼント。選ばれた生徒たち全員が前に出て、先生からプレゼントを受け取ります。
そしてこのクラスの全員にパンやアメやスナックなどのお菓子プレゼントがありました。この時には、私の娘もそれを生徒に配るのを手伝いました。机の上はそれら大量のプレゼントでいっぱいになりました。授業料は生徒たちから全く徴収してはいないので、全てこれらのプレゼントは Saint Vinh Son小学校からのプレゼントになります。
次に小3と小4のクラスに入りました。これもまた一クラスに全員が入り、また私と娘を歓迎してくれました。小1・小2と同じく、拍手と歌を歌ってくれました。娘もこういう体験は初めてなので、顔が紅潮しているのが横で見ていてよく分かりました。この二クラスで、小1から小4までの『終業式』は終わりです。そして、彼らはまた次学年もここで勉強します。
それが終わり、いよいよ最後に小学5年生の『卒業式』に入りました。ここでも同じように拍手と歌の歓迎がありました。特に私の娘と同学年だけに、以前から私を知る生徒たちは自分たちと同じ学年の娘が今日来てくれたことを喜んでくれていました。娘もまた教室の空いた席に座り、側にいた生徒たちと仲良く話していました。
このクラスには体が大きくて、どう見ても小学生とは思えない男女の年長者もいました。 Oanh先生に聞きますと、男の子は15歳。女の子は16歳とのことでした。そういう年齢差のある生徒をも受け入れて、小学校教育の課程を無事に終わらせて送り出してくれているのでした。
そしてこのクラスでは、『卒業式』を兼ねていますので、今年卒業する生徒たち全員に、 Oanh先生が卒業証書とノート、そしてお菓子類のプレゼントをしました。恒例のCASIOの電卓のプレゼントもありました。もらったプレゼントの一番上にその電卓を置いて、全員で記念写真を撮っていました。
5年生のクラス担当の男の先生が、生徒達の “将来の夢” について全員の生徒に聞きました。その“将来の夢”で、一番多かった職業は 「先生」 でした。他には「パイロット」や「社長」や「政治家」などがありましたが、それらを押さえて一番人気の職業が「先生」なのでした。生徒達が Saint Vinh Son小学校にどういう気持ちで通っていたのかが分かる気がしました。
この後、生徒が前に進み出て一人で歌ったり、ペアで歌ったりしました。5組くらいの歌が終わったところで、私が Oanh先生に「今から私が生徒たちに日本の歌を贈りたいと思いますが、いいですか?」と聞きますと、Oanh先生は目を丸くして喜んでくれて、「いいですよ。どうぞ、ぜひお願いします!」と言ってくれました。
私は前に進み出て、無事に今日の卒業を迎えたことのお祝いを述べました。そして、 「今日がこの小学校との最後の日になる」 こと、 「中学校に行っても勉強を頑張って欲しい!」 ことを簡単に述べて、「今から日本の歌をみなさんのために歌いますね。その歌は 【四季の歌】 です。」と言って、携帯電話に入れている音楽の中からそれを選び、スイッチのボタンを押しました。
教室は狭いので、マイクを使わずとも声は大きく響きます。この歌は私が毎日研修生たちに歌っていますので、ふだん通りに歌いました。しかし、この時は Saint Vinh Son小学校の生徒たちと一緒に、私の娘も一番前の席で、私の目の前に座っていましたので、面映い感じもしてきました。
それが終わり、学校の前で各学年の記念写真を撮りました。学校の前と両隣は市場になっていますので、人通りが多く、なかなか全体の写真を撮るチャンスが来ません。カメラを構えると、すぐ前をバイクが通ります。小学1年生から4年生までは写真を撮り終えました。この時、 10時半を過ぎた頃でした。
5年生はまだ Oanh先生が教室内で話していて、外には出て来ません。先生も生徒たちももうすぐお別れとなる寸前の時間までを惜しんでいる様子でした。小学校の低学年の生徒たちは、『終業式』自体が終われば、サッサと帰ってゆきます。しかし、5年生のクラスの『卒業式』の時には、いつもこのように別れを惜しむ光景が見られます。
後で Oanh先生に聞きましたら、今年卒業する小学5年生は全部で18人いますが、今年もまた全員が次の中学に進学出来るということでした。日本の家具の会社から、奨学金を今年も支援して頂いたからです。両親も生徒たちも、そして先生たちもさぞ喜ばれたことでしょう。
学校で勉強した生徒たち一人・一人には母校があります。しかし、もしかしたら小学校教育を享けることが出来なかったかもしれない子どもたちが、この Saint Vinh Son 小学校において、授業料無料で学ぶことが出来た5年間の思い出と恩を、彼らは将来もずっと忘れることはないだろうと思います。
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