春さんのひとりごと
<日本とベトナムの架け橋になりたい!>
今私が日本語を教えているところで、9月から先生の新規採用が始まりました。採用試験にはいつも、筆記試験 ( 文法と作文 ) と面接の二つがあります。
そしてそこのベトナム人の社長から、「筆記試験が終わった後に、日本語の会話能力を確かめたいので、個別に面接をしたいと思います。その口頭試問を手伝って頂けませんか。」と依頼されました。これは今回に限らず、人事面接がある時にはいつものことですので、「いいですよ。」と引き受けました。
今回応募して来た人は全員で 25 名いましたが、いつものことながら女性が多く、男性は5名しかいませんでした。これはこのような人事募集の場合だけでなく、日本語学校に通っているクラスの生徒の内訳を見ても、 10 人生徒がいるとしたら7割は女性で、男性の比率は少ないことが多いですね。
そして私は面接が始まる一時間ほど前から、すべての応募者の履歴書に目を通していきました。応募者の内訳は、この9月に大学を卒業したばかりの人や、サイゴン市内にある有名な日本語学校で今現在教えている人、日本の企業で働いている人、失業中の人など、さまざまな経歴の人たちがいました。
25 人分の履歴書に目を通していた時、その中で私はある一人の男性が書いていた履歴書に目がしばし留まりました。彼はB君といいますが、履歴書を見ますと今年まだ 25 歳の若さです。彼の履歴書の中には<将来の夢>という項目がありましたが、私は彼がそこに書いていることに大変興味を持ちました。
私も今までいろんな人の履歴書を見て来ましたが、<将来の夢>というテーマでみんながふつう書いていることといえば、「将来、自分の会社を持ちたい。」「日本の会社で働きたい。」「日本に行きたい。」「日本語の先生になりたい。」というふうな、常識的かつ平凡な答えが多いのですが、そこに彼が書いていた言葉に私はしばらく惹き付けられました。そこにはこう書いてありました。
日本とベトナムの架け橋になりたい!
面接用の PR のための言葉なのか、本気でそう思っているのか、このような言葉を履歴書に書いている人は一体どういう人物なのか、私としては大変興味が湧いて来て、彼の履歴書の全てに目を通しました。そして思わず「これはすごい人だ!」と、近くにいたベトナム人の同僚の前で唸ってしまいました。
彼の履歴書には何と、「日本語能力試験一級」の合格証書が添えられていたのでした。しかし私が唸ったのは、その「日本語能力試験一級」の合格証書だけではありませんでした。彼の履歴を見ますと、 2006 年7月に彼は研修生として日本に行き、今年の7月に3年の任期を終えてベトナムに帰って来たばかりなのでした。
つまり彼は日本で研修生として働きながら、同時に日本語の勉強もして、昨年末に日本国内で実施された日本語能力試験の一級に挑んで、見事に合格していたのでした。少しでも日本語能力試験にかかわった人なら、それがどれほどの努力と高いレベルが求められるかは分かります。
私も今まで日本で働いている研修生たちが、日本で三級や二級に合格したという知らせを聞いたことはありました。そして日本で働きながらも「二級に合格しました!」という知らせを、研修生がメールで送ってくれたこともありました。私は「おめでとう!本当によく頑張ったね。」と返事を出しました。
彼ら研修生たちが日本に行って働きながら、日本語を継続して勉強しているその努力には、本当に頭が下がりました。しかしB君の場合は二級レベルではなく、日本語能力試験の最上級レベルの一級なのです。
しかもその履歴書にずっと目を通しても、彼の日本語学習歴はといえば日本に行く前の四ヶ月間だけであり、それ以前に日本語を勉強していたということは書いてありませんでした。
それで私は(日本で毎日の仕事を終えた後で、一級の試験に合格するために、彼は一体どういうふうにして日本語を勉強していたのだろうか?)と率直に思いました。私は彼に面接した時には、その点をぜひとも聞きたいと思いました。
彼との面接が始まるまでには、十数人の応募者と面接をしました。そもそも今回の人事募集は、日本語の先生と事務員の募集だったのですが、こういう人事面接をしている時、日本語の先生に応募した人たちの考え方には、「ベトナム人気質」について、日本人である私としてはいつもながら、今でも戸惑うことがあります。
日本語の先生として求められるレベルは、生徒の前で授業するには日本語の能力レベルとしては二級以上のレベルが望ましいのですが、それすら持たないで応募して来た人たちが、男女合わせて6名ほどいました。それで私がその疑問点を質しますと、その6名ともが、私の質問に対して全く同じ答え方をしました。
私 :「あなたは今までに日本語能力試験を受けたことがありますか?」
応募者 :「はい、あります。」
私 :「でもあなたの履歴書には、何級の試験に合格したかも全然書いてありませんが、四級にも三級にも合格していないのですか?」
応募者 :「いえ、四級や三級は受けていません。」
私 :「えーっ!四級や三級の試験を受けていないのですか?それでは今まで何級を受けたのですか。」
応募者 :「昨年二級を受けました。でも不合格でした。」
私 :「ええーっ!四級や三級にも合格していないのに、なぜいきなり二級を受けるのですか?」
応募者 :「私は四級や三級の試験は受けなくても、それくらいのレベルの力は自分で有ると思いますので、毎年二級を受けています。」
私 :「・・・!?」
このように、今回の応募者の中には四級や三級を受けることなく、いきなり二級に挑戦するという人たちがいました。「四級や三級は易しいから、受けなくても合格するだろう。だからそれは受けないで、いきなり二級に挑戦したがいい。」という発想です。こういう人たちに共通しているのは、日本人から見れば自分の力を過大評価しているというべきか、自信過剰ともいえる大変なプライドの高さです。
そういう応答をした人たちに私が、「どうもその発想は、日本人である私には理解出来ませんね。日本人は普通、四級に合格してから次は三級を目指し、三級に合格して次は二級に挑戦するというふうに、階段を昇るように一段ずつ上がっていきますが。」と話しますと、彼らは「へー、そうなんですか・・・。」と、そういう試験の受け方のほうが、あまり理解出来ないという顔付きをしていました。
この点に関しては、以前日本語能力試験の試験監督を担当した時にも、私が受け持ったのは二級のクラスでしたが、その時にも四級も三級も受けていないで、いきなり二級に挑戦している受験者がやはり何人かいました。
それでその時にも、「四級にも三級に合格もしていないのに、それらを飛び越えてなぜ二級を受けるの?」と理由を聞きたかったのですが、その時は廊下で短い休憩時間での立ち話で少し話しただけでしたので、詳しい理由は聞けず終いでした。
後で複数の、二級をすでに取得しているベトナム人の同僚の先生に聞きますと、「実は私も四級や三級は受験もしていないので、当然その資格は持っていません。」と、今現在日本語を教えている先生たちの半数がそう言うではありませんか。
「何故あなた達は受験していないのですか?」と私が質問しますと、「二級合格であれば価値がありますが、たとえ四級や三級に合格しても、それを履歴書に書いたところで余り評価されるわけではないし、価値がないとみんな考えているからです。」という答えが返ってきました。
もしそれが事実なら、彼らにとって「日本語能力試験」というのは、自分の日本語の力を試す場として考えているのではなく、その資格があれば「就職に有利か否か」という、非常に実利的な観点から考えているということでしょうか。
そして実際に英語であれ、日本語であれ、「就職する時に有利だから」というような実利的な気持ちから、語学学校に通っている生徒たちがいるのも確かです。
しかし彼らの言うことが仮にすべて正しければ、日本語の試験を受ける受験者数は、三級や四級の受験者数のほうがおそらく少なく、合格すれば「就職に有利な資格」として評価される二級や一級のほうに受験者は多く申し込んでいるのではなかろうかと想像しました。
それで昨年度実施された、ホーチミン市内の日本語能力試験の監督時に私にも配られた冊子を調べてみました。そこには私が手書きで、たまたま各級ごとの申し込み者数をメモしていましたので、各級ごとの申し込み者の割合が分かりました。
それを見ますと、昨年ホーチミン市で日本語能力試験に申し込んでいたのは全部で 9,493 人。内訳は、一級が 1,711 人、二級が 2,987 人、三級が 3,382 人、四級が 1,413 人でした。
ですから三級と四級の合計の申し込み者数は 4,795 人で、全申し込み者数の 51 %を占めています。一級と二級の合計の申し込み者数は 4,698 人で、これまた 49 %を占めていました。何のことはない、三級と四級を合計した申し込み者数のほうが、一級と二級の申し込み者数よりも率にして2%、人数にして百名ほど多かったのでした。
この数字で見る限りは、ホーチミン市で「日本語能力試験」を受験した生徒たちは、私が「日本では四級に合格したら、次に三級に挑戦。そして三級に合格して次に二級を受けるというふうに、階段式に上がるのが普通なのです。」と説明したのと同じような考え方をしているか、または易しい四級や三級にもその“価値”を認めて試験を受けているものと考えられます。
ですから彼ら同僚の先生たちと同じように、三級も四級も受けずにいきなり二級に挑戦する人たちが、「三級や四級は受験してもあまり価値がないので受けません。」と言う意見は、(そういう考え方もあるのか。)くらいに聞いておくことにしました。
そしてさらにもうひとつ面白いことがありました。今回応募した人の中には、日本語を今まで生徒たちに教えた経験がある人もいれば、全く教えたことのない人たちも応募していました。それで私が、日本語を教えたことのない人たちに対して突っ込んだ質問をします。
私 :「今まで日本語を教えた経験がありますか。」
応募者 :「いいえ、ありません。」
私 :「ここでは生徒に日本語を教えるのが仕事になりますが、生徒たちの前で日本語を教える自信はありますか。」
応募者 :「はい、あります。」
私 :「でもあなたは今まで日本語を教えた経験がないのに、どうして自信があると言えますか。」
応募者 :「はい、大丈夫です。自信があります。」
と、それこそ強い“自信満々”の表情で全員が答えるのです。いかにも自信に満ちた表情でそう答えられますと、そういう質問をした私のほうが圧倒されてしまいます。
これは今回に限らず、今までこの質問をした時、一人として「ええ、今まで教えたことが無いので自信がありません。」という答え方をした人はいません。まあしかし、私の経験からいえば「はい、自信があります。大丈夫です。」という人物に限って、大丈夫であったためしがありませんが・・・。
この時にはベトナム人の社長も同席していましたので、次の応募者が部屋に入る前に私が、「みんながあのような答え方をするというのは不思議ですねー。もし日本人がそのような質問をされたら、おそらく [ 経験がないので自信はありませんが、これから頑張りたいと思います。 ] という答え方をするでしょうね。ベトナムではどうしてああいう答え方になるんでしょうか。」と、笑いながら彼に聞きました。
そのベトナム人の社長は日本語がペラペラで、日本人との付き合いも長いので、日本人の発想や考え方もよく分かっています。彼は私が抱いたその疑問点についてしばらく考えて、「日本人の間では<謙譲の美徳>があるから、そういう答え方が好まれるのでしょうね。でもベトナムにはそういう発想はないので、自分の不利な点を採用担当者に出来るだけ見せないようにしようと思うのです。ですから、 [ 自信はありますか? ] という質問に対して [ いえ、自信はありません。 ] と言えば、採用不可になるのではとベトナム人は考えます。」と説明してくれました。
さていよいよ、私が今回の面接で一番会いたいと思っていたB君の登場です。
彼は身長はさほど高くはなく、顔付きや体型は実にスマートな風采をしていました。そして私は、自己紹介をしている時の彼の目元に、意志の勁さを感じました。
自己紹介が終わり、私がここに応募した動機などをいろいろ質問しました。そして私は、「みんなと同じように研修生として働きながら、日本にいる間に一級の試験に合格したという例は、私も今まで聞いたことがありません。本当に良く頑張りましたねー。毎日どういうふうにして日本語を勉強していましたか。」と質問しました。
そして彼は全く気負うことなく、自分が日本で日本語をどのようにして勉強したかを、私たちにゆっくりと話してくれました。
彼は日本では、三重県の田舎のほうで働いていました。彼の会社の始まりは朝9時からだったそうです。彼は毎日5時に起きることを自分に課していました。そして5時から毎日日本語の勉強を始めました。 9 時には仕事が始まるので、毎朝 8 時までの 3 時間、寮で日本語を勉強しました。
そして 6 時に仕事が終わって、また7時から 11 時まで勉強をし、それから床に就いたということでした。彼は一日平均7時間勉強するのを目標にしていたそうで、漢字もベトナムにいた時にはほとんど習っていなかったのですが、日本で教科書だけを頼りに自分で勉強したということでした。日本語能力試験の時に行われる「聴解試験」の対策としては、テレビのニュース番組や、ドラマなどを見ながら、聴く力を磨いてきたということでした。
(三年の間、一日平均7時間もひとりで日本語を勉強していたのかー・・・。)今目の前に座っているB君を見ながら、仕事を終えて疲れた体に鞭打って、日本語の本に取り組んでいる彼の姿を想像しました。そして私は、彼が話したことを素直に信じました。この時部屋にいた彼以外の全員が、彼の話を聞いて感嘆するように(う〜〜ん)と、深い吐息をもらしていました。
実際それくらい勉強しなければ、日本語学習歴3年半くらいで日本語能力試験の一級に合格出来るものではないのでしょう。何故なら、一級の筆記試験や聴解の問題というのは、当の日本人自身が受けても難しいからです。
そして私はこのベトナムで日本語能力試験一級に合格するためには、ふつうどれくらいの期間勉強すれば合格するものだろうかと、その道に詳しいいろんな人たちに聞きました。
彼らの意見では、日本語能力一級に合格するためには、「もちろんその人が置かれている環境の違いや個人差はありますが、最低でも5年、普通は6年から7年くらい勉強しないと合格しませんよ。」ということでした。
私が懇意にしている「さくら日本語学校」の先生の意見では、【もしベトナムにいる人で日本語能力試験一級に合格する】には、「日本に留学した経験があるとか、日本の会社で働きながら勉強しているとしても、8年くらいはかかると思いますよ。」という話でした。
しかも私が質問した人たちが答えてくれた根拠にしている期間の数字は、大学時代の四年間日本語を専攻し、大学卒業後に一級の試験に合格するために、さらに日本語学校に通って勉強出来るような環境下にあることを前提に考えた数字なのです。
しかしB君はベトナムでは専門学校を出ただけで、大学には行っていません。その専門学校を出て日本に行く前に、四ヶ月ほど日本語の基礎編を習っただけなのです。そして日本にいる3年の間も、毎日仕事をしているために日本語学校に通う時間などあるはずがありませんでした。
従って日本にはいても、日本語を勉強出来る環境に恵まれていたかといえば、サイゴンに住んでいて仕事はしなくて勉強だけしていればいい大学生のほうが、B君よりも日本語能力試験に挑むにはずっと有利な条件下にあるといえるでしょう。
ですから彼は一級に合格するまで、日本でも日本語学校に通うこともなく(というかその時間がなく)、日本人の先生から教えてもらうこともなく、日本語能力試験のテキストだけを頼りに、寮の中ですべて独学で日々努力して、その日本語のレベルを向上させてきたのでした。
さらに詳しく聞きますと、彼は日本に行って一年目に二級の試験を受けましたがこの時は不合格になり、二年目に再受験して合格し、三年目に一級に挑戦して見事に一回で合格したのでした。
そこに至るまで彼からいろいろ話を聞いた私は思わず、「あなたはエライ!今まで多くの研修生が日本に行って、働きながら勉強しているけれど、あなたのように努力している人は初めて見ました。本当にあなたはすごいですねー。」と叫んでしまいました。
そして彼が書いていた<日本とベトナムの架け橋になりたい!>ということについても「具体的にどういうことをしたいのですか。」と聞きました。すると彼は、「それをこの会社に入って考えたいと思いました。今はまだ漠然としていますが、お金儲けだけするのが人生の目標ではなく、自分が得意とする日本語を生かして、ベトナムと日本のために何が出来るかを考えています。」と答えてくれました。
彼の話を聞いていて、さらに感心したことがあります。彼は自分の日本語の能力を今のレベルにとどめずに、さらに磨きをかけるために、一度合格した一級を今年もまた受け、今後もずっと受け続けるということでした。これもまたすごいことだと思います。その後彼と何回か話しているうちに、私はB君に対して(大変謙虚で、素直な青年だなー。)という印象を受けました。
そして嬉しいことに、私は彼とこれから毎日顔を合わせるような状況になりましたので、私もまたそのような“ 熱きこころ ”を持った彼の夢が実現するために、今後もいろいろな応援歌を贈りたいと思います。
アジアの中で、これからの日本とベトナムがさらに広く・深い関係で結ばれてゆけば、まだ若い 25 歳の彼が将来の夢として描いている<日本とベトナムの架け橋になりたい!>という夢が現実のものとなり、いつかその橋を彼自身がベトナムと日本を往復しながら渡ってゆくことでしょう。そういう日が来るのが、私もまた楽しみです。
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