中学2年生
「被災者のみなさんへ」 越馬 悠介(金沢南・中2)
毎日毎日、テレビやラジオ、新聞などを通してみなさんがどれだけ苦しんでいるのかが良く分かります。何も罪のない沢山の人が亡くなり、沢山の人々が自由な生活をうしなったことを思うと、僕たちは今、生きているだけでもありがたいと思います。生きていることは本当にすばらしいと思います。
人が亡くなるという悲しさは僕もよく知っています。でも、この世にいなくなっても人は人の思い出の中で生きているのです。もし、被災して亡くなってしまった仲間がいるのなら、どうかその人のことを忘れないで下さい。例えどんなつらい思い出でも・・・。
大きな地震、大きな津波には人間は勝てません。でも、人と人が助け合って沢山の人たちが助け合えばかならず勝てます。日本の団結力は世界一だと思います。また、僕たち日本人の血には、どんな時もあきらめず全力で戦える侍の血が流れています。どうか、どんな高い壁でも乗り越えて下さい。
「復興の種」 江崎 雄亮(松任・中2)
僕は今回の地震が本当におそろしいということを最近まであまり知りませんでした。ニュースや新聞ではそのことばかりだったのに自分には関係のないことだと思って、興味も示しませんでした。
そんな僕に、地震のおそろしさを教えたのは、祖父でした。祖父は大工で、仮せつ住宅を作りに、二週間後くらいには被災地に行きました。それから毎日のように無理して、電話をくれて、現地のじょうたいなどを教えてくれました。僕はその時初めて地震のことを真剣に考えました。
いろいろ考えると、なにか力になりたいと思いました。でも、力になれないので、せめて現地のことを考え、見て見ぬふりをしないようにしたいです。
被災人の人たちには、あきらめないで、がんばって生きてほしいです。
「被災地の皆さんへ」 能登 喬子(小松・中2)
皆さん、こんにちは。私は石川県に住む中学2年生です。あの大地震から一ヶ月、私なりに考えたことを書きます。
地震がおきた日、私はいつものように部活をしていました。くたくたになって家に帰ってきてお風呂に入って夕食を食べて、テレビをつけたときに初めて知りました。驚きでした。同じに日本に住んでいて、一部の地域ではこんな残酷な出来事がおきているなんて!!それなのに私は気付かなかったなんて!!流れている映像を見ながら、何度も何度も自分の目を疑いました。
地震がおきた次の日から、私は「このままでいいのか」と考え始めました。原発、流された家や家族、財産、住む所などなど。でも一番強く思ったのは「私たちは今までどおりの生活を送っていてもいいのか」ということでした。被災者の人たちは食べる物がない、住む所もない、お金もない、家族と離ればなれになった人もいる。それなのに私は、いつもどおりの毎日を送っている・・・。私は、こんなのはおかしいと思うし、絶対許せません!!
今現在、全国や世界各国からたくさんの義援金が被災地へと送られています。被災地のみなさんがお互いに助け合うシーンを見たときもそうですが、改めて「つながり」の強さを実感しました。ほら、大丈夫です、安心して下さい。みなさんの周りには、みなさんのことを支えてくれている人がたくさんいます。だからみなさん、どうか信じて下さい。一刻も早い復興を、そして、未来への希望を捨てないで下さい。
今の私にできること、それはこのようにしてみなさんに思いを伝えたり、義援金を送ったりというはかないものです。しかし、みなさんを救いたい、原発をくい止めたい、なによりもこのままで終わらせん!!という思いは堅く心に決めています。何度も何度もあつかましいと思われると思いますが、どうか私を、いや、私たちを信じて下さい!!
「どんな時でも笑う」 大村 隆太(福井・中2)
ぼくは小さい時に、お父さんという存在をなくした。その当時は、ぼくと弟と母で毎日のように泣いていた。しかしある時、ぼくが家族を守るんだと思った。そして、その日からぼくは泣かないことにした。大好きな母や弟をぼくが助けようと、なんでも必死でがんばった。そうしているうちに、笑顔が表れはじめ、家族も明るさをとりもどしていった。
ぼくは、このじごくのようなつらい思いから学んだことはたくさんあった。今でもあの時のことははっきりと覚えているが、それを覚えている限り、学んだこともわすれないだろう。まず始めに学んだのは、父とはどういう存在であるべきかだ。ぼくはこの経験から、自分は絶対ああなってはいけないと心にちかった。そして将来、ぼくに子どもなどができたら一生大切にしていきたいと思った。もう一つの学んだことは、どんなにつらくても、かなしくても笑顔をわすれてはいけないということだ。泣いていたときには見えなかったこれからするべきことが、笑顔になることではっきりとみえた。だからぼくはこれから先どんなときでも笑っていようと思う。また、最近、東日本大震災のニュースが毎日やっていて、ぼくと同じくらいの人がたくさんひ害にあわれていると聞いた。ひ害にあわれている人は、家族がなくなったり、家が流されたりとひどいことにあっていて、ぼくはそれを考えるだけで胸がつらくなる。しかし、ぼくの経験から、どんなにつらくても笑ってほしいと思う。そうすれば必ず町は復興する。一日もはやい復興をぼくは願っているし、ぼくも節電などをがんばろうと思う。
「復興の種」 森田 真由(ホロン芦屋・中2)
私は、この東日本大震災が起きたことで、「あたり前」と思っていたことについて考え直そうと思いました。
震災の被害は、私の想像以上に残酷なもので、本当に同じ日本なのかと思うぐらい悲惨でした。とっても心配になったし、できることはないかと考えました。けれど、今の私は応援することしかできません。募金をしたりつるをおったり、本当に役に立っているかはわからないけど日本中が心配して、動いています。
こんななかで私は、毎日変わらず過ごしています。私の住む町は桜が咲いて、いつもの道をいつものように通っています。私が感じるのは、今日を昨日のように過ごせる幸せです。家族そろってご飯を食べること、友達と学校へ行くこと。それは、あたり前のようなことに思えていたけれど、すごくすごく幸せなことなんだと思いました。
この震災で、被災地の方々は、そのあたり前を奪われてしまったということ、それは私なんかにはわからないつらさだと思います。
けれど、復興まで頑張ってほしいです。また、いつもの毎日が過ごせるように願って、日本そして世界じゅうが応援しています。これからどうすればいいのか不安だらけの毎日だと思うけれど、前向きに頑張ってもらいたいし、私達は被災地の方の不安を、少しでもなくせるように応援し、助けれるようにしないといけません。困ったときに支え合えるということ。それが人のとても良いところだと思います。
被災地の方が、できるだけはやく震災前のような暮らしができますように。そして、たくさんの笑顔が咲く元気な日本になりますように。
「復興の種」 妹尾 光(芦屋南・中2)
私は今回のこの地震をたまたまテレビをつけた時に知りました。津波で車や家など様々なものが流され、行方不明者の数も増えていっているこの現状を初めはどうしても自分たちが住んでいる「日本」という国で現実に起きていることだとは思えませんでした。またこの映像を見て、自然に対しての恐怖を覚えました。
私は、赤ちゃんだったので何も覚えていませんが、阪神淡路大震災を経験しています。それこそ津波はなかったものの今までに体験したことのない恐怖を両親や大勢の方たちが経験し、心に深いキズを負った方もいます。今回の大地震もあの地震のように沢山の方がつらい想いをされていると思います。しかし、色んな方の支援や世界からの支援、私はこれを知って一人ひとりができることをするということはとてもすばらしいことだと思いました。「ハチドリのひとしずく」というペルーの民話がありますが、私はとてもこの話と似ているなと思いました。一人の支援、募金では少ないけれど、皆がやれば大きなものになります。私も今自分がやれることをやり、少しでも被災者の皆さんの力になれればと思います。
もう地震発生から一ヶ月が経ちますが、まだまだ苦しい状況が続いているのを見ると早く、少しでも早くこの状況が良くなればいいのにといつも思います。今が一番つらい時かもしれませんが、諦めず希望を持って頑張ってほしいです。
「Fight! 東日本!!」 加藤 瑞葵(大久保・中2)
私が、経験したわけではありませんが、十六年前、神戸で阪神淡路大震災がありました。実際に見てはいませんが、その恐しさはテレビなどでよく知っています。私は、これ以上に恐ろしいことは、自分の生きているうちに起こるなんて思ってもいませんでした。だから、そのニュースを初めて見た時は、びっくりして声も出ませんでした。きっと、十六年前の神戸もそんな状態だったんだと思います。
でも、今の神戸はそんな面影など全くなく、とても活気づいています。今回の方が被害は大きかったけれど、絶対、東日本にもそんな日が来ます!!私は中学生なので、直接手伝うことはできませんが、募金など、できる限りのことはしています。そして、これからも続けます。今では、日本中・・・いや、世界中の人々が東日本のことを応援しています。被災地のみなさん、自信を持ってください!!
Fight! 東日本!
「被災した方々へ」 柳川 実穂(大久保・中2)
この前、東日本大震災があって、たくさんの方々が亡くなりました。わたしは、その事実を知り、とても悲しかったです。
数日後、CMなどで、「わたしたちにできること」などで放送されていました。今回の震災は、そう簡単に乗りこえられるものではなさそうです。そのためには、みんなが協力し、ゆずりあうことが大切だと思いました。
この事態に、社会はどう動くのか、心配です。ひとごとではないとおもいました。
わたしができること、ぼ金や節電などが、できると思います。実際に実行しました。すると、40億円も集まったそうです。
それだけ、みんなが東北に復興してほしいと願っているのです。その気持ちを、裏切らないで下さい。
大変だとは思います。わたしたちも、できることはしています。
東北に、再びたくさんの笑顔が戻ってくることを願っています。
「復興の種」 長谷川 未咲(稲美・中2)
大きな地震があり、はや1ヶ月が過ぎました。沢山の命が地震と津波でうばわれました。私達は直接被害にあったわけではありませんが、ニュースなどで情報は聞いています。今はすごく大変な時期だと思うけど、今をのりこえ、またいつか元の生活に戻れる事を信じ頑張って下さい。いつまでも私達は応援し続けます。少しずつライフワークも復活してきていると思いますが、これから余震が続くと思います。でも今、日本はひとつになり、被災された方々のために、支援し、応援しています。私達が生まれる前、阪神淡路大震災がありました。その時も日本がひとつになり、早い復興ができたと聞いています。東日本大震災は地震の規模でも世界の中で大きい方に入ります。津波もあって、放射線もあってと次から次へと被害が拡大してきています。今を一生懸命生きている東北の方々。あきらめず、頑張って下さい。私達も応援し続けます。いつか必ず、元の生活に戻れるように私達も全力をつくしていきます。しかし、いくら私達が支援しても、大切なのは私達の気持ちではなく、被災された方々の「生きる」「頑張る」という気持ちが一番だと思います。だから、今、生きている事に感謝し、元の街に戻れるように頑張って下さい。そしてこの地震を体験し、命の大切さを私達よりも感じたはずです。頑張って下さい。元の街に戻れても、頑張って下さい。私達はいつまでも支援していきます。一緒に頑張りましょう!東北の方々へ〜fight〜
「復興の種」 鳥越 翔(大村・中2)
東北地方太平洋沖地震にあわれた皆様には心からお悔やみ申し上げます。地震だけでなく津波や、放射性物質の被害、ガス爆発や火事などの二次災害なども大変だとは思いますが、希望を持ち続けて下さい。遠く離れた地域で自分にできることを一つずつやっていきたいと思います。例えば、節電、義援金の寄付、できるだけガソリンを使うことをしない、物を無駄にしないなどです。僕は、テレビで援助に来た人に日本より大変な所があるから、そちらを優先して下さいといっているのを聞いて、一刻も早く復興したいのがふつうなのにと、深く感動しました。このような時こそ人間の本質がわかるのかもしれません。これからも日本人の誇り高き心を忘れることなく一日も早い復興を目指して頑張って下さい。自分にできることを少しずつ手伝っていきたいと思います。日本中のそして、世界中のみんなで力を合わせて、頑張りましょう。ガンバレガンバレ東北ガンバレガンバレ東北。
「東北地方太平洋沖地震で被災された方々へ」 道上 あかり(大村・中2)
私は長崎県大村市に住んでいます。東北からはとても遠い所にいますが、テレビで現場をみたときは、とてもびっくりしました。最初はこんなにも大規模な地震とは知らず、時が過ぎていくにつれてくわしいことが分かってくると、とても悲しい気持ちになりました。私の父は東京に住んでいて、しばらく連絡をとることができることができなかっただけでもすごく心配でたまらなかったから、被災された方々は私の何倍も辛いんだろうなと心が痛くなりました。距離はとても離れていますが、私にも何かできることはないかと考え、募金をしました。こんな小さなことしかできない自分がとてもなさけないですが、こんな小さなことでもみんなが協力し合えば大きな力になり、皆さんを元気づけられると信じています。今は家族や友達を亡くされたり、家が流されてしまったりとても辛いとは思いますが、負けないで下さい。世界中のみんなが応援しています。これから私も精一杯支援をしていきます。
「Smile for All」 宮田 夢姫(大村・中2)
題名の、「Smile for All」というのは、「みんなの笑顔のために」という意味です。被災者の方々のために、私たちに何ができるのか、ニュースを見るたびに考えます。まず最初に思い浮かぶのが、募金です。ここ、被災地から遠い長崎でも、学校、店などで募金活動を行っています。遠くても、私たちは同じ日本の仲間なのです。他の大きな災害があっても、日本は力を合わせてここまで復旧してきたんですよ!!!私たちはみんな、被災地が復興して、被災者の方々に笑顔が戻って来るのを待ってます!!
今回の東北・関東大震災は、原爆が落ちた後に似ていると私は思います。でも、長崎・広島は、ここまで約65年頑張って来ました。
大きな被害を受けた地域も、希望は必ずあります。また気持ちよく過ごせる日々が戻ってくると、私は信じています。そのために私が出来ること、精一杯していきます。希望を捨てないで下さい。『日本中が笑顔で包まれますように。』
「復興の種」 井川 怜美(ホロン住吉・中2)
私が地震が起きたことを知ったのは、授業が終わった放課後のことでした。職員室のテレビの画面にうつった水浸しの町の様子は、現実とは思えないほどでした。私は長崎にいるので実際に声をかけて一緒に乗り越えていくことはできないけれど、こうして文として被災地のみなさんを応援する気持ちが伝わればいいなあと思っています。
地震が起きて時間がたつにつれて、悲しい気持ちやつらい気持ちが大きくなっているかもしれません。でも、みなさんの周りにはいつでも、はげまし合える仲間がいるのではないかと思います。そして、離れたところからなにかできないかと考え、動いている人達がいます。だから、元気を出してほしいです。みなさんが一刻も早く笑顔をとり戻せるように心から祈っています。
「復興の種」 中尾 槙佑(ホロン住吉・中2)
ぼくは大きな地震たいけんしたことがありません。地震がおきて、次の日、朝テレビをつけてみると、全チャンネルは地震のニュースでした。まだ、一日目二日目は地震のニュースでよかったけど、あとは、テレビすら見るのがいやになりました。でも、ぼくがテレビを見ているとこんなことを言っていました。「家は、なくなったけど私たちかぞくはだいじょうぶですよ。」そのテレビのほうそうを見ていたぼくは、家がないのに、こんなにがんばれるんだ!!と思いました。
ひさいしゃのみなさん、まだまだながいしゅうだん生活が、つづくと思いますがこれからもがんばってくださいね。