アオザイ通信
【2013年11月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<鹿児島に行った研修生たち >

十月半ば、五人の 「研修生」 たちが 鹿児島県垂水市 に着きました。これから三年間、垂水市の漁協で【カンパチの加工】の仕事に就きます。彼らがベトナムを発ったのは、その一ヶ月前の九月半ばです。その後一ヶ月間、名古屋で講習を受けて、ようやく鹿児島の土を踏んだわけです。

垂水市で初めての 「外国人研修生」 ということもあり、 今回彼ら五人の研修生たちを迎えるに当たり、市側では “熱烈歓迎!!” と言ってもいいほどの歓迎ぶりでした。私の知人のUさんの話では、彼ら五人の研修生たちのために、新しい寮まで建てて頂いたそうです。Uさんは、その新築の寮の写真を私に送ってくれました。

さらには、彼らのために漁協が中心になって盛大な歓迎式典まで開いて頂きました。その式典の会場から、Uさんが興奮した感じで、直接私に電話して来られました。私も感激しました。

その数日後に、 「読売新聞」 に彼らの記事が掲載されました。アオザイを着ている五人の写真もありました。以下がそれです。

■アオザイ姿の漁協研修生、3年間で学ぶのは … ■

鹿児島県垂水市漁業協同組合(中馬清文組合長)は今月、ベトナムから研修生を受け入れた。

市が国内有数の生産量を誇るカンパチの加工について、3年間の実習を通じて冷蔵保存や切り身の技術を身につけてもらい、ベトナムへのカンパチの輸出拡大にもつなげたい考えだ。

研修生は21〜26歳の女性5人。9月18日に来日し、名古屋市で1か月間、日本語や生活習慣などの講習を受けた。今月18日から同漁協の加工場でカンパチ加工品の製造に従事している。

昨年8月、尾脇雅弥市長と中馬組合長がカンパチの輸出促進のためにベトナムを訪れた際、ホーチミン市のADC日本語学校を訪問し、「研修生として 学生を受け入れたい」と打診。

アジアへの販路拡大やカンパチの加工品製造の増強を目指す市漁協側と、多くの学生に日本で研修を積んでほしいという学校側の目的が一致し、実現した。

21日、市漁協で歓迎式があり、5人はベトナム民族衣装のアオザイ姿で登場。「がんばります。よろしくお願いします」と日本語であいさつした。

中馬組合長は「手先が器用で、熱意もある。研修後は母国の魚食の普及役として期待したい。母国では野菜中心の食生活のようなので、まずは、魚も食べてもらえるように勧めます」と話した。

( 2013 年 10 月 22 日  読売新聞)
http://prayforjp.exblog.jp/19860607/

さらにまたその三日後には、 「西日本新聞」 にも次のような記事が掲載されました。こちらの記事のほうは、何故ベトナムからわざわざ垂水市に研修生たちが行くのか、その詳しい実情も書いてあります。そして、同じように、五人が写った写真が載っていました。

<魚の加工技術学ぶ ベトナムから女性研修生5人>

単一の漁協では養殖カンパチの生産量日本一を誇る鹿児島県垂水市漁協で、ベトナム人女性5人が研修生として魚の加工技術を学んでいる。同漁協の外国人研修生受け入れは初めて。

昨年8月、カンパチ販売のセールスのため、ベトナムを訪れた尾脇雅弥市長が現地の日本語学校を視察。「生徒たちの礼儀がしっかりしている。性格も穏やかでまじめ」と好印象を持った尾脇市長が、学校側に研修生派遣を打診した。

漁協の加工場は職員、パート約25人で操業しているが、地元の人口が少ないことや早朝からの業務のために常に人手不足気味。生産体制の増強を進める計画もあったことから、今回の研修生受け入れが実現した。

研修生は21〜26歳。9月中旬に来日して名古屋市で日本語や生活習慣の講習を受け、今月17日に垂水市に移った。市内で共同生活しながら、すでにカンパチを機械でさばく作業などをしている。研修期間は3年。

21日にあった歓迎式典に、研修生は鮮やかな民族衣装「アオザイ」で出席した。中馬清文組合長が「みんな一生懸命働く意志を持っている。温かく見守ってほしい」とあいさつ。研修生の一人、レー・ティ・タオ・タムさん(23)は「桜島がとてもきれい。日本語をもっと勉強して仕事を頑張ります」と話した。

同市漁協では、今後3年間で毎年5人ずつベトナム人研修生を雇用する予定。

彼らが写ったその写真を見ていて、思わず ( ジーン ) として来ました。そして、今から二年前に出会った人との 「不思議な縁」 を思い出していました。その人との出会いが無ければ、 ( ベトナム人の研修生が垂水市に行くこともなかったろうな〜・・・ ) という気がします。「その人」というのが、知人のUさんでした。

ちょうど今から二年前の 11 月に、私の娘の 「9歳の誕生日パーティー」 をサイゴン市内のレストランで行いました。その時、クチで日本仕様の瓦を製造している日本人・ SW さんが、数人の友人たちを連れて来られました。その中の一人がUさんでした。Uさんは鹿児島出身でした。

その時がUさんとの初めての出会いでしたが、同じ九州の出身ということもあり、大いに話が弾みました。Uさんは性格が明るく、いつもニコニコされていて、私たちはすぐに親しくなりました。その後、Uさんがベトナムに来られるたびに、一緒に食事をしました。

そして、私がベトナムの研修生たちに日本語を教えているということを知り、 「是非一度、学校訪問をしたい。」 と希望され、昨年の二月に友人を連れて学校を訪ねて来られました。そして実際に、研修生たちの勉強ぶりや、集団生活の様子を直接見られました。

鹿児島の垂水漁協とも繋がりが深いUさんは、その時頭の中に

( ここの生徒たちをいつか鹿児島に連れて行き、【カンパチの加工】技術を習得してもらい、将来ベトナムでの【カンパチ加工】のリーダーに育ててゆけばいいのではないか・・・ )

という構想が湧いて来たようでした。そのような思いを私にも伝えられましたが、私はすぐにそれが実現する話だとは思えず、その時は「そうですか・・・。」くらいに聞いていました。

そして、私がその二ヵ月後の四月には日本に一時帰国することを知り、Uさんは「田舎が熊本なら、鹿児島からは近いので、是非鹿児島の垂水市の漁業組合に来て、水産加工工場とカンパチの養殖場を見学して下さい。」と言われました。私は「時間があれば、是非行きますよ。」と答えました。

そして日本に帰ってからも、Uさんから数回垂水市への誘いの連絡を受けました。私も ( 将来もしベトナムから研修生が行くとしたら、どんな所なのだろうか・・・ ) という興味がありましたので、お互いの都合の良い日程を決めて、昨年の四月下旬に鹿児島を訪問することになりました。この時は、瓦屋のSWさんも一緒でした。

錦江湾に面した垂水漁協に着いた時には、あの 「桜島」 がモウモウたる火山灰を吹き上げていました。漁協の駐車場にも、黒い火山灰が数センチ積もっていました。そこで、垂水市役所の水産課の人たちに会いました。本当はその日そこに、垂水市の市長も同席される予定でしたが、急遽予定が入りお会い出来ませんでした。

私たちがここを訪問する日が決まった後、Uさんは事前にここの水産課の人たちに根回しされていて、私たちがここに来た目的・・・ 「将来、ベトナム人研修生をここに連れて来て、水産加工や、カンパチの養殖技術を学んでもらい、本国でそれを活かす」 ・・・という計画を再度説明されました。

その時まで、私自身は「カンパチ」という魚については全く何も知らず、せいぜい私の母親の好物が「カンパチの刺身」というくらいのものでした。Uさんの話では、カンパチの稚魚は日本では獲れず、中国の海南島 近くで捕獲し、その海南島の海軍の基地近くで大きくなるまで育て、それを鹿児島まで運び、ここの錦江湾のイケスで養殖しているというのでした。

しかし、今の中国は様々な問題を抱えているので、そのまま事業を続けてゆくには難しくなり、 脱中国」 を考えていた時に、ベトナムの中部で、カンパチの稚魚を見つけることが出来たという情報が入りました。そこで、今までの中国での事業から、ベトナムにシフトを代えようという計画を立てました。

Uさんが考えている将来の計画は、そのベトナムの中部に 「カンパチの養殖場」 「カンパチの加工工場」 を連携させてゆくというものでした。そのためにベトナムの若い研修生たちに、垂水市の漁協で「カンパチの加工」の技術を学んでもらい、その習得した技術を本国に持ち帰って活かしてもらう計画でした。

漁協で話をした後、隣にある水産加工場を実際に見学しました。その時は定時を過ぎていたので、従業員の人たちはいませんでした。工場内に入り、その中をじっくりと観察することが出来ました。

加工工場の中の室温は 17 度に設定されていると言われました。カンパチをマイナス 40 度に一気に冷凍する機械もありましたし、倉庫の中にはカンパチの餌になる、イワシのすり身の固まりが冷凍した状態でありました。 ( もしかしたら、この場所で研修生たちが三年間働くことになるかも・・・ ) と想像しました。

その後、錦江湾の中にある 「カンパチの養殖イケス を見るために、ボートで行きました。この時にも、桜島が巨大な噴煙を上げていました。大きな爆発音がしました。

ボートに乗って十五分ほどして、ボートのエンジンが止まりました。そこには、カンパチのイケスが無数に浮かべてありました。ボートを運転して頂いたSTさんによると、この錦江湾の中に浮かんでいるカンパチのイケスは何と約五千個もあり、一つのイケスの中には約四千匹のカンパチが泳いでいるとのことでした。

ただし、研修生がもしこの垂水市に来るとしても、養殖の仕事は男性でないと無理だろうと話していました。女性の研修生であれば、工場の中で「カンパチの加工」の仕事になるだろうということでした。現場に出る仕事であれば大変ですが、工場内での仕事であれば、定時に始まり定時に終わるので、研修生たちにとっても働き易い環境だと言えます。

その時の垂水市漁協への訪問は、私の中で ( もしベトナムの研修生たちが研修するとしたら・・・ ) という仮定をした時に、様々な具体的なイメージが湧いて来ましたので、ベトナムに戻った後、それを学校のほうにも報告しました。

そして昨年の夏、ちょうどわが社の 『ベトナムマングローブ子ども親善大使』 がベトナムを訪問している時に、サイゴンの 3区にある SUSHI BAR 「 カンパチ フェア」が開かれました。この「カンパチ フェア」は、その二ヶ月前に鹿児島からUさんが来られて急遽決まりました。

錦江湾で養殖している「 カンパチ」を、まずはベトナムにいる日本人、そしてベトナムの人たちに味わって欲しいというのが、鹿児島の垂水市の漁業組合の人たちの夢でした。そのデモンストレーションを兼ねたイベントが、この「カンパチ・フェア」なのでした。垂水市長と漁協の人たちがベトナムまで来られました。私は垂水市長とはこの時初めてお会いしました。

そしてこの「カンパチ・フェア」には、サイゴンにいる日本料理関係者。水産物を扱う業者。日本食屋さんに材料を卸す「日本食材屋」さん。そしてティエラの「ベトナムマングローブ子ども親善大使」全員が招待されました。「親善大使」の生徒たちは、翌日からはベトナム料理しか食べられないカンザーに行きますので、大喜びでした。

ゆき掛かり上、この「カンパチ・フェア」では私が司会を務めることになりました。ベトナム人では、私の知人で 「ダチョウのフォー 」Tri(チー)さん や日本食材屋さんの店長も来てくれました。総勢で、 40名近くになりました。

座ってしばらくして、Uさんから「もうそろそろ始めましょうか」という合図が私にあり、前に立って司会しました。まず私は、昨年の春に鹿児島の垂水市を訪問して、「カンパチの養殖場」を見た思い出を話しました。そのカンパチが、今日このベトナムで食べることが出来ることの嬉しさを話しました。その後、漁業組合の組合長に挨拶して頂きました。そして最後に、垂水市長に話して頂き、市長の音頭で「乾杯!」の合図とともに、「カンパチ・フェァー」が始まりました。

室内のお客さんから先にカンパチが行き渡った後、ベランダで食べていた私たちのテーブルにも、カンパチが回って来ました。まず「カンパチの刺身」、次に「カンパチの寿司」。最後に「カンパチのしゃぶしゃぶ」です。日本の生徒たちは、大皿に盛られたカンパチをバクバクと食べていました。「カンパチのしゃぶしゃぶ」が出された時には、みんな「美味しいです!」と言って、大変喜んでいました。

「カンパチのしゃぶしゃぶ」がテーブルに出された時、垂水漁協の人が私たちのテーブルに来て、「しゃぶしゃぶを熱湯に入れたら、シャブー・シャブーと二回お湯にくぐらせるんだよ。」と、冗談とも本気ともつかないアドバイスをしてくれました。

この「カンパチ・フェア」を契機にして、その後徐々にサイゴン市内にある日本料理屋さんでも 「 カンパチ入りました!」「カンパチあります!」 というメニュー表示が増えて来ました。最近では、私がよく行く路上屋台の日本食屋さんにも、「カンパチのサシミ」が置いてあります。

しかし、垂水市にベトナム人研修生たちを受け入れるまでには、現場の受け入れ態勢や仕事の条件面を一つ一つ詰める必要があり、まだ少し時間が掛かりました。その受け入れ態勢が整い、垂水漁協から研修生たちの面接に学校に来られたのが、今年の六月頃でした。その時に、最終的に五名の女性の研修生を選ばれました。

その五名の研修生が、今回鹿児島の垂水市に行った生徒たちでした。そしてその中に、 Hang(ハン)さんという、今年20歳になる教え子がいました。その五名の生徒たち一人・一人に思い出がありますが、彼女はその中でも特に印象が強い生徒でした。実は次のような出来事があったからです。

それは昨年の 12月初旬の出来事でした。私が日本語を教えていたクラスの中で、研修生たちが写ったアルバムの小冊子を見せたことがありました。そのアルバムの中には、日本に行く前に研修生たちが私にプレゼントしてくれた、クラスの中で写した写真を記念に数十枚入れていました。

ある日、たまたまそのアルバムの中から、一枚の写真を抜き出し、写真の中の一人の女性を指差して、こう話しました。

「ここに写っているこの人たちは、今実習生として日本にいます。しかし、三年間は長いようで、実際はあっと言う間に終わります。だからみなさんたちも、日本で過ごす三年間を有意義に過ごして下さいね。そう言えば、ここにいるこの女性も日本での三年間の実習がそろそろ終わり、もうすぐベトナムに帰る予定です。」

すると、一番前の席に座っていた女子の生徒が、「わぁー、その人は私の姉です!!」と叫んだのです。それを聞いた私は大いに驚きました。今まで数ヶ月彼女のクラスで教えていましたが、その時初めて Hangさんが三年前の教え子の妹さんだったのだと知りました。

その後、 Hangさんがお姉さんにもそのことを連絡したようで、お姉さんから「妹も同じところで勉強出来て嬉しいです。妹をよろしくお願いします。」というメールが届きました。Hangさんのお姉さんは、今年の五月にベトナムに戻りました。

そしてその妹さんが今回また、同じく日本へ研修生として行くことになったのです。彼女達五人の研修生たちが学校を去る前に、その五人と私が一緒に写った写真を貰いました。その写真もまた、いつか彼らの後輩達に見せる機会があることでしょう。

Uさんは、「読売新聞や西日本新聞にも彼らベトナムの研修生たちが大きく採り上げられたので、その後の反響が大きく、鹿児島に研修生を派遣するための<説明会>を開くことになったよー。」と嬉しそうに話されました。

さらにUさんの話では、垂水漁協側では来年明けにもまた五名の研修生を選ぶためにベトナムに来る予定だと言うことでした。そういう意味では、今回初めて垂水市に着いた五名のベトナムの研修生たちの日本での評価は、次に続く研修生たちの今後にも繋がりますので、

“三年間しっかり頑張ってね!!”

と願っています。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

日本への留学生 一年で五倍

日本国内の日本語学校などに新規に入学するベトナム人留学生が、一年で一挙に5倍に増加し、在学生と合わせると1万人を突破した。日本語教育振興協会の調べで分かった。

同協会が日本国内の日本語学校に照会した結果では、 2012年10月から1年間の日本語学校に通うベトナム人留学生へのビザ発給件数は9,018件で、前の1年間の1,816件の約5倍となった。

日本国内に約 400カ所ある日本語学校などに通う外国人留学生は、今年7月末時点で約4万2,600人。ベトナム人が4分の1を占める。日本語教育振興協会の担当者は、「日系企業のベトナムへの進出の広がりとベトナム政府が日本など海外への送り出しに熱心であることが、日本留学の急増につながったのでは ないか」とみている。

日本語学校に通う外国人留学生は 11年の東日本大震災以前は、中国からの学生が約3分の2を占めていたが、震災と日中関係悪化を受けて現在は半分程度に落ち込んでいる。

<NNA ニュース>

◆ 解説 ◆

「一年で一挙に5倍に増加」 したというのはすごいですね。今多くのベトナムの若者達が、留学先に「日本」を選んでくれているというのは嬉しいことです。そのような観点から、今のこの盛り上がりを 『第二の東遊運動』 に例えている人もいます。

実は私が今日本語を教えている学校にも、 「研修生クラス」 のほかに 「留学生クラス」があります。「留学生クラス」は一年前に創設されました。高校を卒業してすぐこのクラスに入り、半年ほどそこで日本語を学びますので、18歳ぐらいの生徒が多いですね。すでに最初の留学生たちは日本に行き、今岐阜県で学んでいます。

日本に行った留学生たちの歩み方は、二年間日本語学校で日本語を学んで、その後四年制大学か短大に進むというのが標準のようです。ですから、長くて6年間は日本に滞在することになるわけです。「研修生」の二倍の期間です。しかし、その後の歩みは、一人・一人の夢が違います。

数日前その「留学生クラス」の生徒たちと話していました。「日本の大学を卒業した後はどうするの?」と私が聞きますと、「ベトナムに戻り、日系の会社で働きたいです。」と言う生徒がいれば、「そのまま日本にいて、日本の会社で働きたい。」と言う生徒もいました。そのまま日本人と結婚して、日本に住む生徒もいるかもしれません。事実私が教えた「研修生」の中には、そういう人が何人かいますから。

実は、昨年7月に紹介した < 熊本に行ったベトナム人の女性 > の、あの Ngoc( ゴック ) さん は、今もまた留学生として日本で学んでいます。彼女は一時期、私が紹介した熊本市内にある 「外語学校」 にスタッフとして採用され、サイゴン市内で留学生募集の営業活動をしていました。

そして 10月末に、その熊本の「外語学校」の担当者の方がサイゴンに着かれて、私たちの学校も訪問されました。そこで「留学生クラス」の責任者とも話をして、来年の三月から正式に留学生として熊本に行く生徒たちを選びました。10名ほどが来年熊本に行くことになりそうです。

私は日本滞在中に教え子たちに会う機会はあまり無いのですが、もしかしたら来年の帰国時には、 「鹿児島へ行った研修生」 「熊本に行った留学生」 たちに会えるかもしれません。



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