アオザイ通信
【2015年2月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<メコンデルタへの旅>

今年の正月、1月2日から3日まで家族で<メコンデルタ>Ben Tre(ベン チェー)、Vinh Long(ヴィン ロン)、Can Tho(カン トー)へ旅行に行きました。女房と娘・家族三人で旅行に行くのは、2013年にMui Ne(ムイネー)に行って以来約一年半ぶりでしたし、メコンデルタのCan Thoまで足を伸ばしたのも実に十数年ぶりのことでした。

ベトナムでの1月1日は正月休みという雰囲気は全くなく、ただの休日という感じです。例年公共機関も休みは一日しかありませんでした。それが、今年は正月と土日の休みが近かったこともあり、娘の学校でも四日間の休日になっていましたので、(今年の正月はどこかに旅行に行こうか・・・)と家族で話していたのでした。

それで選んだのが、一泊二日の<メコンデルタへの旅>でした。旅行日の一週間前にSinh Café(シン カフェ)の事務所に赴き、手続きしました。私はバス旅行の時にはいつも一番前の席を予約することにしています。その理由は「前が見やすい」「降りやすい」「乗りやすい」「ガイドにいろいろ質問しやすい」からです。私は車酔いしないので、前の席に座りたいと希望を言いましたら、当日のその席が空いていたのでラッキーでした。

● サイゴン ⇒ カントーへ ●

当日は朝7時45分集合でしたが、Sinh Caféの事務所前には大型バスが並んでいました。これはいつもの光景です。しかし、この事務所前を時折通り過ぎる時に、多くのバスが出発・到着する光景を見ていますと感慨深いものがあります。

Sinh Caféという会社は、元々は小さなカフェー屋から始めたベトナム人のSinhさんが、外国人相手のツアーの手配も手がけるようになり、それがベトナム全土のツアーまでを扱う大きな旅行会社になったということです。今Sinhさんはその経営を別の会社に譲渡されているそうです。

しばらくバスが来るまで待つことにしました。多くの物売りさんたちが外国人の観光客を相手に商売をしています。パンやジュースやお土産など売っています。私はこれからメコンデルタに行くので、「新しい地図が欲しい」と思い、それを買い求めました。6万ドン(約330円)でした。わざわざ本屋に行かなくても、こういう場所で買い求めることが出来ますから便利です。

そして、バスは朝8時15分にSinh Caféの事務所前を出発。バスの中は白人のお客やベトナム人のお客が多かったですね。日本人は私以外いませんでした。バスに乗って10分ほどして東西ハイウエーィに入りました。ここから一路Ben Treを目指します。約80キロあります。

男性ガイドは英語も堪能で、30分ほどバスの中でベトナム語と英語でいろいろ説明していました。しかし、途中で降りてしまいました。その理由はと言いますと「今日はこのメコンデルタツアーに行くお客さんが多くて、三台のバスで移動しています。しかし、ガイドが足りなくて一人で他のバスも掛け持ちしないといけません。」と言うのでした。呆れましたが、仕方がありません。白人のお客さんたちは笑っていました。

2時間ほどしてHung Vuong(フン ブーン)マリーナに到着。ここから屋根付きの小型観光船に乗り換えてボート・トリップによる観光。ベトナム人や白人の観光客で船内は満席になりました。我々が乗った船以外にも、5・6隻の船がそこに待機していました。

40分ほどして中洲にある小島に到着。ここではハチミツ茶のサービスと果物のサービスがありました。お客さんたちがお茶を飲んでいる間に、歌の楽器の演奏もありました。歌っているのはベトナム南部の民謡・Cai Luong(カイ ル−ン)です。しかし、サービス精神が旺盛です。

さらにここには養蜂の巣箱が設置されていました。その巣箱の中で蜜蜂が作っている巣を引き出して、観光客に見せてくれます。そこにはびっしりと蜜蜂がうごめいていました。蜜蜂が動いているその足元にはハチミツが詰まった巣がありましたが、蜜蜂が暴れて人を刺してはいけないので誰も手を出さず、眺めるだけです。

そして土産物屋さんもちゃっかりと設営されていて、観光客がそれらを手に取って品定めしています。値段もさほど高くはありません。お茶のツマミにみなさんは菓子類を買っていました。私の娘も乾したバナナを買って、そこで食べていました。

そこでは40分ほど休憩して、また次の観光地へ移動します。次はBen Tre名物のココナッツの飴やお菓子を家内工業で造っているところを訪問。ココナッツから出来た飴状のカタマリを、木を掘り抜いた型枠に入れて、それを包丁で次々とカットしてゆきます。観光客はそれを手に取って、自由に食べることが出来ます。無料です。やはり出来たてのココナッツ飴は美味しいものでした。

ここでは余興として、ニシキヘビを首に巻いて遊ぶのがありました。いろんな人たちが挑戦します。私の女房と娘も挑戦しました。私はニシキヘビでもコブラでも、ヘビ自体があまり好きではないので、首に巻くのは遠慮しました。

そこには30分ほど休憩して、タイ国で見たトゥクトゥクのような乗り物で昼食に行くことに。ベトナム製トゥクトゥクに乗ってすぐ、次は手漕ぎの舟に乗り換えました。川の両岸にはニッパ椰子が茂っています。そして、20分ほどで小島の中のレストランに到着。

みんな10人で一つのグループになってテーブルに座ります。私の家族と一緒になったのはベトナム人の家族連れでした。その中に、娘と年齢が近い男の子がいて、話が合うのかすぐに仲良くなっていました。先方のご両親も明るい雰囲気で、これ以来食事の時には同じテーブルで食事を摂ることになりました。

出て来たメニューには生春巻き、揚げ春巻き、ニワトリの唐揚げや、スープのほかに、定番の「象の耳魚の唐揚げ(Ca Tai Tuong)」がありました。メコンデルタへのツアーに行くと、必ずメニューに出てくるのがこれです。魚本体が大きいので、みんなで食べるのには向いています。この魚はウロコまで食べることが出来ます。しかし、油を何回もかけて調理してあるので外側が油ぎっていて、私は余り好みではありません。

昼食後、3時過ぎにまたボートに乗り、Hung Vuongマリーナまで戻ることになりました。30分ぐらいでそこに到着。そしてそこから一路Can Thoまでノンストップで行きました。しかし、この時にも車内にガイドさんはいません。そして、Hau(ハウ)河に架かるCan Tho大橋を渡りました。夜が暗かったこともあり、Can Tho大橋の全景は見えませんでした。しかしその翌日に、“念願”のCan Tho大橋の全景を見ることが出来ました。

夜7時前にCan Tho市内のホテルへ到着。ホテルの名前はVan Phat(バン ファット)ホテル。四つ星のホテルだと言うことでしたが、確かに室内は広いものでした。ホテルの前には対岸の灯りがかすかに見える、広いHau河が悠々と流れています。

7時半から夕食。私たちの席にはベトナム人の若い女性たちと、「オーストリア」から来たという三人の男性が座りました。あの遠い「オーストリア」から来たと聞いて感心しました。聞けば、東南アジアをいろいろ回っていて、ベトナム滞在は三日目だと話していました。彼らとベトナム料理を食べながらいろいろ話しました。

「ベトナムの印象はどうですか。」と聞きますと、「食べ物も大変美味しいと思います。ベトナムの人たちは大変明るくて、フレンドリーだと感じました。この後、中部のホイアンやフエまで行きたいと思います。」と話してくれました。ベトナムの若い女性たちも、彼らの話を聞いて喜んでいました。

食事後に、本当は家族でCan Tho市内の見物に行きたかったのですが、泊まっているホテルはCan Tho市内の中心部に位置していなくて、周りを見渡してもただ大きい道路があるだけで、歩いて行けるような繁華街が見えるわけでもありません。それで、メコンデルタの夜は早く寝ることにしました。

さすがにCan Thoまで来ると夜空の星がきらめくように輝いていて、キレイです。ホーチミン市の夜空とは違います。メコンデルタには特に有名な観光名所や遺跡があるわけではなく、川があり、ニッパ椰子があり、ココナッツの木がある、同じような光景が続いています。しかし、それがまたのんびりとした心地よさを我々に与えてくれるようです。

私の教え子たちには、メコンデルタ出身の若者たちが数多くいます。今日本で頑張っています。Ben Treの子もいれば、Vinh Longの子もいれば、Can Thoの子たちもいます。
彼らは日本に行って三年後には故国ベトナムに、そして故郷のメコンデルタに帰ってゆきます。

その彼らがメコンの河、ニッパ椰子、ココナッツの木を見た時に(ようやく故郷に帰って来たなぁ〜・・・)と実感するのではなかろうかと想像しました。何故ならば、私がいつも日本に帰った時、故郷の小高い山が目に入った時、いつもそういう思いを抱くからです。

● カントー ⇒ サイゴンへ ●

メコンデルタ二日目は朝6時半から食事。この日の夕方にはサイゴンに到着予定ですので、朝の食事を早めにしたようです。朝食はビュッフェ形式の食事でした。結構美味しいものでした。この日は「水上マーケットと果樹園に行く。」とガイドさんが話していました。

7時半にバスはホテルを出ました。最初に水上マーケットに行くというので、河に向うのだろうと思っていますと、バスはVan Phatホテル2という名前のホテルに停まりました。そこでまた別のお客を拾ってバスに乗せましたので、バスの中は満員になりました。

そのまま、観光船乗り場まで行きました。そこでまた船に乗り換えて、「水上マーケット」の見学です。30分ほどして「水上マーケット」に到着しました。さまざまな物が河に浮かぶ船の上で売られていました。

白菜やキャベツなどの野菜。マンゴーやスイカなどの果物。パンや揚げ物なども売られていました。可笑しかったのは、こういう所にまで宝クジ売りのおじさんが一人でボートを漕いでやって来た光景です。これには笑いました。しかし、陸地にふだん住んでいる我々からすると(何でこういうものまで船の上で買わないといけないのかな。陸上にもいっぱいあるじゃない。)と、率直に思いましたが・・・。

ふだん陸に上がることが少ない船上生活者にとっては、船の上で食材や日用品が手に入るというのは大きな魅力なのでしょう。それを見るために、ベトナム人と外国人の観光客が多く押し寄せているのです。

そして、「水上マーケット」見学を終えて、果樹園に到着。そこにはジャック・フルーツやバナナやマンゴーやランブータンやドラゴン・フルーツなどの果樹が植えられていました。小さい池もあり、そこに植えられていた蓮の花が赤く咲いていて実にキレイでした。ここで植えられて育って収穫された果実が、この日ここを訪問した観光客全員に提供されました。「産地直送」のためか、大変美味しいものでした。

想像するに、ここは個人の果樹園と旅行会社が提携し、観光客相手に果樹園観光を提供しているのでしょう。果樹園の雰囲気も素朴な感じでしたし、そこで働いていたスタッフも観光客ずれしていない感じがして、何かほのぼのした接客の態度でした。

果樹園訪問を終えて、昼食を摂るためにボートに乗ります。(どこかのレストランにでも行くのかな?)と思い、「行く先は?」とガイドに聞きますと、我々が宿泊したVan Phatホテルまでと言うのでした。旅行会社が提携したホテルでお客さんがお金を使ってゆくやり方になっているのです。どこで食べようが同じなので、それは構いませんが。

そしてそのホテルに向かう途中で、“念願”のCan Tho大橋の全景が見えてきました。実はこの正月の旅先をメコンデルタにしたのは、メコンデルタの<のんびりした風景>をひさしぶりに味わいたかったのと、以前からこのCan Tho大橋を見たい気持ちが強くあったからでした。

Can Tho大橋は<日本のODA>による協力で2004年9月にスタートしました。しかし、その3年後の2007年9月に「橋梁の崩落事故」が起きて、多数の死傷者を出しました。よりによって日本の建設業者が請け負っていた工事だけに、この大事故は現地の新聞にも連日大きく載りました。サイゴンにいた日本人の間でも、その事故の話が出ると沈痛な雰囲気になりました。

そしてその大事故の悲劇を乗り越えて、2010年4月にCan Tho大橋が完成しました。全長が2750メートルあるそうで、斜張橋では東南アジアで最長の橋だといいます。あの大きな事故が起きた後の橋の完成だけに、関係者の喜びは如何ばかりだったろうかと思いました。

この橋が出来る以前に、私はCan Thoを訪問したことがあります。その当時Vinh Longから Can Thoまで行くには、大型のフェリーに乗って河を渡っていました。そのために多くのフェリーが待機していたのを覚えています。

しかし、このCan Tho大橋の完成後はその必要がなくなり、フェリーは姿を消しました。それらのフェリーはベトナムの各地に振り分けられて、あのカンザーにもそのCan Thoのフェリーが一部回されたと聞いたことがあります。

そのCan Tho大橋を、私は観光船に乗ってしばらくずっと眺めていました。河のほうから見ていましても、確かにすごい長さの橋でした。この時船の中にはガイドさんがいて、Can Tho大橋についての説明をしてくれました。白人の観光客がいる前で、「この橋は日本の援助によって出来ました。」と感謝の言葉を述べていました。白人の団体さんたちも「ふむ・ふむ」という感じで頷いていました。

そして11時半にVan Phatホテルに到着。お昼は各自が好きなメニューを自分たちで選んで、代金も自分で払うやり方です。この席では初日に知り合いになったベトナム人の家族たちと一緒にお昼ご飯を食べました。ここでの食事を終えた後、Vinh Long市場を見学して、一気にサイゴンに戻る予定になっていました。

1時にホテルを出て、ちょうど2時にVinh Long市場に到着しました。ここの市場もまたいろんなものを売っています。女房はタイ産のジャック・フルーツを丸ごと一個、娘はヒヨコを二匹買いました。ジャック・フルーツはとても重くて、私はバスまで持ち帰るのに肩に担いで行きました。

サイゴンに着いてから味わって分かったことですが、確かにタイ産のジャック・フルーツはベトナムのジャック・フルーツのようなしつこい甘さが無く、私でも小片を二個・三個と食べられました。ベトナムのジャック・フルーツは甘すぎるので、好んでは食べません。

しかし、ジャック・フルーツとヒヨコはその特有の臭いと生き物であるためか、車内には持ち込んではダメで、バスの胴体下にある荷物入れに隔離されました。娘はヒヨコちゃんと離れ離れになって寂しがっていましたが仕方ありません。

2時50分にVinh Long市場を出て、一路サイゴンに向います。しかし、この時期のサイゴン南部への旅は大変快適です。朝夕は涼しいし、雨も降りません。実に過ごし易い季節です。北欧から来た人にもこの旅で出会いましたが、彼らも一様に「メコンデルタの気候はグッドです!」と言いました。私も全く同感でした。

実はこの正月に、私が一泊二日の短い旅行でもその気になったのは、渡部昇一先生の本「知的余生の方法」をこのベトナムで最近読み返していて、次のような文章に出会ったからです。第六章の<夫婦の絆>というくだりに以下のような内容が書いてあります。

「私は、若い夫婦には特に、今のうちに無理をしてでも休みをとり、夫婦二人で何か記憶に残るようなことをやりなさい、と勧めている。海外旅行でも温泉旅行でも、それは何でも構わない。一週間以上休みが取れるのなら、海外旅行などが良いかもしれない。

知らない世界へ行けば、もちろん楽しいことが多いだろうが、それだけではなく、何かとトラブルが生じたりする。それを二人で何とか解決したりすれば、その記憶は楽しかった時以上に残るものだ。楽しいことばかりのノッペラボウな人生は、その時は良いかも知れないが、後々の記憶としては薄れがちだ。デコボコがあるから、良い記憶として残る。そうした苦労は<人生の手ごたえ>といえるものだ。」

読書というのは、同じ本を読んでいても、その時の自分の年齢や環境や思索の度合いによって、その理解度が異なってきます。渡部先生のこの本を最初に読んだのは四年ほど前でしたが、その時にはこの箇所を特に深く考えないで読み過ごしてしまっていたのでしょうか。

しかし、あらためて今読み返してみて、まさしくその通りだと思いました。そのこころに沁みる的確な指摘は<若い夫婦>だけではなく、<子どもが出来た夫婦>も同じではなかろうか・・と自分の身に即して、しみじみと思いました。それで、その文章を読んでいた時、(今年の正月に日程が合えば、家族で旅行に行こう!)という気持ちを固めました。

現在上智大学名誉教授の渡部先生の本に私が出会ったのは、ある雑誌に掲載された「文科の時代」が初めてでした。それから、渡部先生が本を出されるたびに関心を抱き続け、「日本史から見た日本人」「日本語のこころ」「ドイツ留学記」「知的生活の方法」に至るまで、いろいろ読ませて頂きましたが、その著作の一つ・一つに大きな感動を受けました。

「知的余生の方法」は2010年に新潮新書から発行されましたが、今年で85歳になられる渡部先生は<老いてますますお元気>という印象を受けています。これからも渡部先生が書かれる著作には関心を持ち続けてゆくことでしょう。

よくよく振り返りますと、今まで家族で旅行をした思い出が、日本帰国時は別としてベトナム国内では数えるほどしかありませんでした。それで、<良い記憶としての思い出づくり>を今から出来るだけしてゆこうと考えました。

Vinh Long市場を出発してからサイゴンに向う途中で、トイレ休憩のためにバスから全員降りました。降りた場所は、あの有名なMEKONG REST STOP(メコン レスト ストップ)です。ここには2012年1月に訪問した思い出があります。ベトナムを訪問された日本の皇太子殿下がこのレストランに立ち寄られて休憩されたことがあり、室内にはその時の写真も掲示されています

しかし、2012年に訪問した時にもキレイな印象を受けましたが、あれから3年が経ちレストランの中にある庭が実に美しい景観を呈していました。ここで休憩した観光客にとっては絶好の写真撮影のスポットになっていました。緑の芝生と池の中に生えている蓮の花の調和が大変キレイでした。

そして夕方6時過ぎに、前日出発したSinh Caféの事務所前に到着しました。一泊二日の旅は無事に終わりました。タイ産のジャック・フルーツも二匹のヒヨコちゃんも持ち帰りました。タイ産のジャック・フルーツは私達家族だけではとても食べきれない大きさでしたので、女房の実家に持ち込んで、みんなで食べました。やはり全員が「わー、美味しい!」と言って食べていました。

Vinh Long市場で買った二匹のヒヨコちゃんは二・三日の間は元気でした。先客で住んでいるワンちゃんの格好の遊び相手になりました。しかし、この時期の朝夕の涼しさのためか、風邪気味のような症状になり、二匹とも一週間くらいで息絶えてしまいました。娘は大いに悲しんでいました。

しかしそういう体験も娘にとっては、<デコボコがあるから、記憶として残る>のでしょう。この時の悲しみは、「旅の思い出」の中でいつかふっと記憶の中から甦ることだろうと思います。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ テトのフラワーロード、ハム・ギー通りで2月16日から開催 ■

テト(旧正月)を祝う「フラワーロード」が2015年もホーチミン市で開催される。開催期間は2015年2月16日(月)19時から22日(日)22時まで。「フラワーロード」と同時に「ブックストリート」も開催される。
11回目となる今回のテーマは「ベトナムのアイデンティティと豪気」。開幕式は16日19時から、ホー・トゥン・マウ通りとハム・ギー通りの交差点、ビテクスコ・フィナンシャルタワー前で行われる。

例年「フラワーロード」は同市1区グエンフエ通りで開催されているが、現在同通りが改修案件に伴い通行止めとなっていることから、今回は開催地を変更して同区ハム・ギー通りでの開催となる。
なお、「フラワーロード」はクアック・ティ・チャン広場(ベンタイン市場前ロータリー)からホー・トゥン・マウ通りまで、「ブックストリート」はホー・トゥン・マウ通りからトン・ドゥック・タン通りまでの区間で開催される。

「フラワーロード」の設計を担当しているサイゴンツーリストホールディング(Saigontourist Holding Co.)のラム・クアン・フィー副社長によると、今回は通りを花で装飾するだけでなく、ハム・ギー通りの一角で南シナ海における島の領有権に関する展示も行う予定だという。

<VIET JO>

◆ 解説 ◆

今年のベトナムのテト(旧正月)テトは2月19日(木)です。約一ヶ月前から、恒例の「テトの歌」が街中に流れ始めました。そして、2月9日(月)くらいから、公園には花市の盆栽やいろんな花が次々と持ち込まれています。路上をバイクで走っている時にも、歩道上には菊の花や黄色いHoa Mai(ホア マーイ)の盆栽が並べられています。

サイゴンの街全体が、いやベトナム全土がテト前の十日ほど前からテトを迎える準備で大わらわという雰囲気です。このテトの時期は、人と物の移動が多くなり、街中はものすごい交通渋滞が発生します。しかし、ベトナムの人たちはそれも「テトの風物詩」という感じで、平気で移動しています。

例年フラワーロードはグエン・フエ通りで開催されていましたが、今年のフラワーロードは、この記事にもあるようにハム・ギー通りに変更されました。理由は、グエン・フエ通りで今行われている、あの地下鉄の工事のためです。

毎年このフラワーロードには、その年の「干支」の動物をデザインした創作品が数多く現われます。今年の日本の「干支」は<羊>ですが、ベトナムの「干支」は<ヤギ>です。

日本とベトナムの「干支」には、この他にも幾つか違いがあります。日本の「うさぎ」はベトナムでは「ネコ」。日本の「牛」はベトナムでは「水牛」。日本の「イノシシ」はベトナムでは「豚」などです。

「今年で11回目になる」とこの記事には書いてありますが、そのスタート時点からを知っている私は、(もうそんなにも経つのか・・・)と改めて驚いています。このフラワーロードは、最近では公園の「花市」と並んで、ホーチミン市の名物となって来ました。

私自身も(今年はどういうものが出来上がっているかなぁ〜)と、行く前から大変期待するようになりました。家族連れで行っても、半日は十分楽しめます。事実、多くのベトナム人や観光客で毎年賑わっています。みんな写真をバチバチと撮っています。

日本人の方でいつかベトナムを訪問する予定がおありの方は、このフラワーロードが開かれているテトの時期に訪問されたら、観光地だけを旅行するのとはまた違う、<楽しいベトナム>を発見出来るのではと思います。



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