アオザイ通信
【2003年6月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

一月ぶり、ご無沙汰してしまいました。みなさんお元気ですか。
今月からフーンさんの子育て日記も始まります。また読んでくださいね。
そして質問や感想メールいただければうれしいなあ。

こちらは5月初旬から本格的な雨期に突入しました。突然大雨や雷が襲い、その雨が止むまでしばらくは何も出来ません。

この雨期の時期というのは、どうしても皮膚感覚での部屋の中の温度と、外に出た時の温度の差が有り過ぎて調子が狂ってしまい、今まであまり病気をすることも少なかった私も、つい風邪を引いてしまいました。

部屋の中は蒸し暑くて半そで一枚もいらないほどなのに、外に出てバイクで走ると、半そででは鳥肌が立ってくるような涼しさなんです。外に出て初めて、長袖を着てくるべきだったと後悔します。

実はこの風邪を引いた前日は、ちょうど路上のヤギ鍋屋さんにひさしぶりに行った日で、ひさしぶりにヤギの乳肉の炭火焼きと、ヤギ鍋に舌鼓を打っていたら、隣の席に旅行客らしい外国人の一団が、旅行用のザツクを椅子の上に置いて、全員で6人ほどが同じようにヤギ鍋をつついて食べていたのです。

聞くとは無しに聞いていると、その話している言葉からして、どうも台湾からの旅行客らしいようで・・・。しかもその距離は、私と2mも離れていなくて・・。

台湾→旅行者→至近距離→???!!!!

そうと分かった段階ですぐそこを出ましたが、帰り道は気のせいか寒気がして来たような・・・。そしてその日の夜に熱が出て、こわごわと体温を測ると38度は超えてはいませんでしたが、37.2度ありましたので、この日はビールは飲まずに、バファリンを飲んで早く寝ることにしました。

翌朝起きると熱はまだ引かずにいたので、知り合いの先生に電話すると、「体温は?症状は?」と聞いた後、「それは単なる風邪だよ、ハハ」と一言。

「もしや、あの流行の病気では?もしその場合はどうしたら?」と聞くと「あの病気はベトナムは一応終息宣言も出て、終ったの。それにもし本当にそうであれば、今頃こんな電話など出来ないよ。もし万が一その病気だったら、私を訪ねて来ないでよ。」と、笑いながら電話を切ってしまいました。

私の場合はどうやら単なる風邪だったようですが、世界を震撼させたSARSをベトナムはいち早く終息させたにも関わらず、やはりその影響はまだまだ続いています。私が日本からベトナムに帰った時にも、全部で乗客は30人くらいしかいなくて、通関も早いものでした。

さらにSARS発生前には、石を投げれば日本人に当たると言われていたくらい、このホーチミン市内を買物カゴをぶら下げた若い日本人の女性が数多く歩いていたのに、今はほとんどその姿を見掛けなくなったのです。

先日知り合いの雑貨屋さんに、「どう最近は?」と聞くと、そこの店員が「ベトナムはもうあの騒ぎは終ったというのに、全く日本人が来なくなったわよ。日本人だけじゃなく、他の国の人も同じだわ」と嘆き、「最近街を行く人で一番多いのはベトナム人になってしまった」と、最後は諦めに近い言葉を吐いていました。

*残念ながらこのSARSの影響で今年のベトナムマングローブ子ども親善大使は中止になってしまいましたね。毎年、大使のみなさんにお目にかかるのを楽しみにしていたのですが残念です。来年こそはみなさんと一緒に元気よく植林活動や交流ができるといいですね。


フーンさんの子育て日記@

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これは日本人と結婚して、昨年初めて赤ちゃんを産んだベトナム人女性・フーンさんの半年間の子育てを、日記ふうに綴ったものです。
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*初めての赤ちゃん誕生!*

2002年11月4日、深夜1時40分に女の子が生まれました。身長が49cm・体重が2,800グラムでした。ここベトナムでは女性は、(雪のように白い肌)が理想とされていますので、日本の名前を「雪」と付けました。そしてベトナム名ではAi(愛)と付けました。

「予定では11月20日くらいですよ。」とお医者さんは言っていたのですが、想像していたよりもかなり早く生まれました。11月3日の夕方に少し痛みを感じたので、まだだろうなとは思いながらも、念のために夕方ころに病院に入ることにしました。私の母が病院には春さんと一緒に付き添ってくれました。

病院に着いてしばらくしたら痛みも収まって来たので、春さんは一旦家に帰りました。しかし夜の11時過ぎから、だんだん痛みが増して来ました。激しくなる痛みと、その痛みが収まることの繰り返しが続き、そして12時過ぎからだんだん痛みがさらに増して来て、ついに待望の赤ちゃんが1時40分に生まれました。

春さんもまさか今日のこの日に生まれるとは思っていなかったようで、2時すぎに電話したら寝ていたらしく、「今先ほど生まれたわよ!」と言うと「えっ…」と言って、しばらく黙っていました。その後「本当かい!?で2人とも元気かい?」と聞いて来たので、「ええ、元気よ。」と答えました。

「すぐ今から行くよ!」と春さんが言ったけれど夜も遅いし、同室の人が大勢いて迷惑を掛けてもいけないので、朝早く来てもらうことにしました。そしてあらためて私の腕枕の横に寝ている赤ちゃんをじっと見つめました。

まだ目は閉じたままで、ずっと眠ったままの状態です。今このとき何を思っているのだろうか?(あなたは今この世界に、今日生まれたのよ)と、こころの中で赤ちゃんに語りかけました。

そしてそのまだ小さな・壊れそうな鼻や唇をそっと触って見ました。この子が9ヶ月以上も私のお腹の中にいて、こうして生を受けてこの世界に現われて来たことが、今赤ちゃんを目の前にしても信じられません。じっと見ていると涙が出て来てしまいました。

私が入院した病院は、Tu Du(トウー ユー)病院という名前で、日本でもあの「ベトちゃん・ドクちゃん」が入院していた病院としても有名です。ホーチミン市内では一番大きく、毎日多くの赤ちゃんがここで生まれています。市内だけでも毎日多くの赤ちゃんが生まれますので、部屋が足りなくて狭い一つの部屋に4人くらいの人たちがベツドに寝ています。

しかしまだそういう部屋に入れる人は良いほうで、部屋に入れない人たちも多く、そういう人たちは通路の廊下にベツドを置いてそこで休んでいます。個室一人の部屋というのもありますが、病院関係の知り合いか、特別に高い料金を払わないと入れませんので、普通は入院しても相部屋か廊下で寝るしかありません。私も相部屋に入ることになりました。

それで相部屋や廊下であれば料金が安いので、ベトナム人の多くがここの病院を利用します。そして見舞いに来た家族や親戚の人たちは、病院の中にある中庭にゴザを敷いて、ついでにお昼ご飯も食べながら時間を過ごしています。

翌日の朝早く春さんが来てくれて、すやすやと寝ている赤ちゃんの顔をじっと見つめていました。そして「大変だったろうけど、よく頑張ったね。ありがとう…」と言ってくれました。赤ちゃんに顔を近づけて見ていましたが、まだこの時には赤ちゃんも目を開けることも出来ずにただ寝ているだけです。そしてこの部屋には他にも大勢の人たちが出入りして、ゆっくり座る場所もないので、春さんは病院の中にある中庭に出て行きました。

午後からは私の父や弟や妹たちも来てくれて、「お姉さん、おめでとう!」と言ってくれました。家族みんなが揃って来ていろいろ祝福してくれることに対して答えている時に今までのことを思い出し、やっと永い出産までの道のりを終えることが出来たのだな〜と思ったことでした。

つづく



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