アオザイ通信
【2003年4月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

アフガンの戦塵がまだ消えてもいない段階で、また今度はイラクとの戦争。本当にアメリカの戦争好きにも呆れますが、まあ今回はかろうじて「悪党フセインを懲らしめる」「ナラズ者国家を退治する」という大義名分がアメリカには有るぞと言いたいところでしょうか。

米英がイラクと戦争を始めた数日後、ここベトナムでも、今世界中で行われているのと同じような「反戦デモ」が開かれました。まあこちらのは政府が号令を掛けて、政府が音頭を取り、政府の許可を受けての「官製デモ」ですが、それでも50人乗り大型バス20台くらいを市民劇場前に集め、反戦を訴えてコブシを突き出して、大声で「Phan Doi(ハンタイ)!Phan Doi(ハンタイ)!」と叫ぶパターンは同じ。しかしそのデモに集まった群集にまで、宝クジの子供がクジを売って回るというのは、いかにもベトナムらしいパターン。二時間くらいこの「反戦デモ」は続き、その終った後に地面に捨てられたチラシやゴミが、また山のように散らかりながらも一応無事大騒動もなく終了。

アフガンの時にはこのような反戦運動はなかったので、今度の戦争はベトナム人にとってはベトナム戦争を思い起させるのか、素直にはアメリカの言う大義に賛同出来ない部分が有るのでしょう。

しかしこの国で、イラクについて、フセインについてどれだけの情報があるかと言えば、TVや新聞を含めて今だに政府の検閲を受ける体制は残っているのか、あまり露骨・過激な報道や、コメントはありません。

でもフセインが犯した自国民への大量虐殺などは知っています。それでも今回は爆撃に遭う、イラクの民衆の上に思いを馳せるような記事や報道が多いです。今回のイラクとの戦争はアフガンよりもてこずりそうですが、いつまでこの戦争が続くことやら・・・。

アフガンの戦争が始まった時に、ベトナム人のおばちゃんがしみじみと言ったことを思い出しました。「アメリカ人は本当に可哀想だね〜。また若い人たちが戦争に出て行かないといけない」と。

本当にアメリカの戦争は最近切れ目無く続き、このイラクとの戦争が終った後も、また「ナラズ者国家」を退治に出掛けなければいけないとしたら、「本当に可哀想だね〜」と、あのおばちゃんと同じ気持を抱かざるを得ません。


フーンさんのニッポン日記J

<2002年4月4日(木)>熊本→神戸へ

■ああ、もうすぐベトナムに帰れるんだ!■

一ヶ月の日本滞在が終りもうすぐベトナムへ帰ることになった。春さんの田舎の駅でお父さん・お母さんと別れた。やはり涙が出て来た。お父さん・お母さんお元気で!席に座っても、しばらく涙が出て止まらない…。

神戸には3時くらいに着いた。春さんはそのまま会社に行く。私はホテルで一人春さんが帰るまで待つ。

この一ヶ月の日記を今思い出しながら付けている。初めての日本。寒い日本。新幹線。京都を訪ねた日。金色の寺。赤い門の寺。ユドウフ。大きいカニを食べた鳥取。春さんの田舎。熊本のラーメン。熊本城。熊本城の桜。バサシ。ワラビ。納豆。イソギンチャク。田舎の山。春さんの妹さんたち。小さい子供達。3匹の犬。デパート。結婚式。キモノ…など、色んな思い出がよみがえる。

春さんは6時過ぎに帰って来た。そして今から、神戸の近くにあるベトナム料理屋さんに行くと言うので嬉しくなった。一緒に行くのは神戸に初めて来た日に会ったMさんという女性と、今日初めて会ったHさんという男性。

タクシーでベトナム料理屋さんまで行った。店の名前は「LAM」という名前。そこには本当のベトナム人の男の人がいた。ベトナム語で話しが出来たので、少し嬉しくなった。その男の人はハノイの人で、50才を超えているくらい。日本には23年住んでいるという。

私は最初にフォーを頼んだ。みんなは春巻きやヤキソバ、ニワトリの手羽先などを頼んだ。出て来たフォーを食べたが、やはりベトナムのフォーとは違う。ベトナムのフォーにはショウガとかの調味料が入っているが、ここのにはその味がしないし、ダシも違う作り方をしているのだろうと思う。それにここにはフォーの上に乗せる香菜は無いし。でもここは日本だもの。仕方がない。明日の今頃はベトナムなんだから、今日は我慢しよう。

<2002年4月5日(金)>日本→ベトナムへ

■ やっとベトナムに帰った!■

今日が日本最後の日。朝早くホテルを出て、バスに乗って関西国際空港に向かう。空港には9時前に着いた。今日もまた多くの人が空港にいた。こんなに多くの人が、毎日ここから海外に行くのだろうか。今日は朝が早くて食事をしていないので、軽く食事をした。それとみんなのためにお土産をいろいろ買った。ここが日本では最後のお土産を買うところだから、時間をかけて一人一人を思い出しながら買った。買ったお土産は、私には重いので春さんに持ってもらう。

11時15分に飛行機は空港を飛び立った。機内にはベトナム人もいたようだ。アア、あと少しでベトナムに着くと思うと嬉しくなってきた。長い日本の旅だった。またいつ来れるのだろうか?さ・よ・う・な・らニッポン。

2時半過ぎにベトナムに着く予定だ。2時半前に、飛行機は機体を下げ始めた。そして機内アナウンスが、女性の声で流れてきた。「もうすぐホーチミン市のタンソニヤット国際空港に着陸致します。今日のホーチミンは快晴。気温は32度でございます…・・」

これは日本人と結婚して、初めて日本を訪れたベトナム人女性・フ−ンさんが一ヶ月の日本滞在中に体験した、感激、驚き、不思議、怒り、涙、望郷の念などを日記にまとめて、それを日本語に翻訳したものです。毎月長い間お読みいただきありがとうございました。
日本滞在中体調がすぐれなかったのはどうやら赤ちゃんを授かったためのようでした。今フーンさんは1児のママになって日本人のパパ、春さんと子育て奮闘中です。また「ベトナム子育て日記」でお目にかかれることもあるかと思います。またそのときまで…



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