春さんのひとりごと
<サイゴンで古典落語を聴く>
古典落語など日本にいるときでさえ、テレビで観ることはあっても、今だかつて本物を観たり、聴いたことなど一度もありませんでした。それを生まれて初めて、このサイゴンで聴くことが出来ました。
今回日本からベトナムにやって来た落語家は、あの有名な「立川談志」師匠です。題目は「立川談志・落語独演会」。キャッチフレーズは誰が考えたか、「来るかぁ〜!落語界の天才師匠がホーチミンへやって来る」でした。入場料は何と、たったの10ドルでした。
当日私は開演の40分前には着きましたが、その時にはもうすでに用意されていた席の半分くらいは埋まっていました。この日は指定席制ではなくて、早いもの勝ちの席取りであることは分かっていましたので、(遠くの席になるかもしれないかな・・)と、万が一を思い双眼鏡持参で行きましたが、運良く何とか前の席の位置に座ることが出来ました。
この日に用意された席は300席ぶんでしたが、予定時間の5時の開演直前にはそのほとんどの席が埋め尽くされていました。そして私が座った席の後ろには、見ただけでベトナム人と分かる人もいました。
そして5時からいよいよ「立川談志・落語独演会」のスタート。最初に出て来た司会者の説明の後に、ようやく「立川談志」の登場です。出てきた当人は、確かに本物の(当たり前ですが)立川談志です。
今日の談志師匠は、髪は少し茶髪がかった色に染め、体つきは以前テレビで観た時よりも少し痩せてはいました。声もテレビで観たときよりも、少しかすれてきていましたね。聞けば、今年でもう70歳だ そうです。
司会者の話では、立川談志師匠は十数年前にベトナムに初めて来て以来、今回で4回目の来越になると言っていました。しかし落語をベトナムでやるのは、今回が初めてだそうです。
今回の「立川談志・落語独演会」の構成は、前半が談志師匠一人のジョークが大盛りされた独演会。中座で談志師匠の弟子の一人が短い落語を演じ、後半では談志師匠が有名な古典落語「芝浜」を披露してくれました。
談志師匠が一人で演じていた独演会の時には、「最近、こころと体が離れていく感じがして来ましてね〜。若い時にはこういうことは無かったんだけど、歳を取って来たんだということですなー」と伏線を張っておいて、途中で言葉を忘れたのか、または一体それも計算され尽くされた演技なのか(間違いなく演技だろうと思いますが)、ふっとしばしの沈黙があり、その後つぶやくように(こういうふうに言葉に詰まる談志を観れるみなさんは運がいいよ・・・)と、一人言を吐いて場内の笑いを取っていました。
しかしさすがはプロですね。ジョークの引き出しが一体いくつあるのか、40分くらいの間にこれでもか・これでもかというくらいに次々と出て来ます。それも思い付きではなく、事前に周到に準備されたものらしいということも、ポケットからこっそりとメモを出して、ちゃんと全部披露したかをわざとらしく確かめる演技をして場内を沸かせてくれます。
でもやはり談志師匠の真骨頂は、後半の古典落語でした。古典落 語というのは「忠臣蔵」と同じで筋書きは決まっています。その筋書 きの決まった話の中で、観客をいかに笑わせるか、感動させるかは、それを演じる芸人の技量次第でしょう。
古典落語「芝浜」に登場する、怠け者の亭主とその尻を叩く女房のやり取りを、基本的な古典落語の筋書きを踏襲しながらも、談志師匠の独創性も加えた演技で(後でここはこのように自分なりに変えましたと、本人が説明してくれました)、私は本当に感動しました。女房が亭主に3年前のウソを詫びている場面では、涙を拭いている人も実際にいました。私自身も(ジーン)と来ました。
これが本当の「落語」なんだな・・・と改めて思いました。やはりテレビで観るのとはその臨場感、迫力が段違いでした。それ以上にテレビでは分からない、談志師匠が落語や独演会で話す時の「間」の取り方の絶妙さにも感心させられました。
「間」というのは芸人にとっては無言の時間なのですが、その無言の時間は観客にとっては、芸人が多くを語る以上に深い思いを巡らせている時間なのですね。そういう意味では敢えて「間」の瞬間を意図的に創っているような印象でした。
この日の談志師匠の声は時々かすれていながら、マイクも敢えて小さく絞り、大きく場内に響かないようにしていました。最初は「なぜ?」と不思議でしたが、時間が経つにつれてその理由がだんだん分かって来ました。彼の話す声が小さくなればなるほど、彼が小さく洩すその声を聴き取ろうと、場内が次第に(シーーーン)としてきたからです。
立川談志の落語はまさに「観客に聴かせる芸」ではなくて、「観客が聴く芸」のレベルにあるのではないかと思います。また次にいつか観たいもんだと思いましたが、本人は「今日は、一生に一度談志の落語を聴いたよと、みんないい思い出が出来たらそれでいいよ」とサラッと話していましたが、日本で聴くことはまずないだろうし、もしかしたらこれが最初で最後かもしれません。
|