春さんのひとりごと
<我が子へ贈る手紙>
これは父である日本人の私が日本語で書いて、この年に4歳の誕生日を迎えたあなたに贈る手紙です。いつか将来あなたが、父が日本語で書いたこの手紙を読むだろうことを期待して。
愛する我が子・Aiちゃんへ。4歳の誕生日おめでとう!2002年の11月4日に、ベトナムであなたが生まれてから、あっという間に4年間が過ぎましたね。
この4年間あなたは大きい病気をすることもなく、大した怪我もなく、私たち両親から見ても本当に手がかからない子でした。
「子供は生まれた時から、すでにその可愛らしさで親孝行をしている」と日本では良く言いますが、小さい時からあなたを見ているとまさしくその通りだと思います。
あなたはこの4年の間その大部分はベトナムにいましたが、今まで3度お父さんの故国である日本に行ったことがありますよ。あなたが大きくなった時に、その記憶はどこまで甦るでしょうか。
1度目は、あなたがまだお母さんのお腹に宿って2週間目の時。この時の記憶はもちろんないでしょうね。この時お母さんは体調的に大変辛い日本行きの旅になりましたが、日本の両親やご先祖さまにお父さん・お母さんの結婚を報告する目的の旅でもありました。そしてその時にあなたが宿っていることを知らせることも出来て、お父さんの両親も大変喜んでくれました。
2度目の日本はあなたが1歳半の時で、東京ディズニーランドにも行きましたよ。この時はあなたもしっかりした足取りになっていて、広い園内を喜んで走り回っていました。たまたまこの時には黄色い小さいアオザイを着ていたので、観光に来ていた人たちが一緒に写真を撮らせて欲しいと人気者でしたよ。
そして3度目は3歳半の時でした。この時はどこにも行かずに、ずっと田舎にいました。しかしお父さんの田舎の家の回りには、あなたと同年齢の子供たちがいないので、あなたは家にいる2匹の犬を相手に、朝起きてから夕方になるまで泥んこになりながら遊んでいました。
そしてこの時に80歳を超えて体力も弱って来ていたおじいちゃんは、私たち3人がベトナムへ帰る前に田舎の駅で別れる時「来年もアイちゃんの顔を見たいね。おじいちゃんも頑張るからまた帰って来てね!」あなたの頭を撫でながら話しかけていたのでした。おばあちゃんはその横で、目を赤くしながらうなずいていました。
そしてこの2006年11月に、ベトナムであなたは4歳の誕生日を迎えたのでした。家では家族と親戚の人たちが集まり、あなたの4歳の誕生日を祝ってくれました。そして4歳の記念にと、家族で記念の写真を撮りに行きました。
お父さんは日本の伝統的な服である紋付を着て、お母さんとあなたも日本の着物を着て写真を撮りましたよ。今でもその写真はまだあるでしょうか。
しかし大いに楽しく迎えるべきあなたのこの4歳の誕生日に、実はある事件がきっかけで、お父さんとお母さんは深刻な、「別れる危機」寸前のところまで到ってしまったのです。
その原因と責任はすべてお父さんの側にあります。お母さんの方にはありません。大きな理由は、今までお父さんがあまりに家庭を省みなかったことに対してお母さんの不満が続いていた時に、ある事件がきっかけでそれが爆発したのでした。
それからお母さんは数日泣いていました。何日も食事をしませんでした。夜もほとんど寝ていませんでした。お母さんのこころを深く傷つけたことを後悔して、お父さんもまた同じように眠ることが出来ませんでした。そしてお父さんは心からお母さんに謝りました。
今回のことで改めて、お父さんは「家族の大切さ」を再発見したことも事実なのでした。家族こそまさしく人間世界において「至上のものである」ことを痛感しました。
そしてお父さん・お母さんがこの時そういう危ない状態になっていたことは、まだ幼いあなたにも理解出来ていたようです。それであなたは夜中に、自分のお腹の上にお父さんとお母さんの両手を持っていき、2人の手を握らせて、「アクシュシナサイ!」とベトナム語で叫んだのですよ。
また夢の中でうなされていたのか、突然「ワー」と泣き出したりして、涙を流していました。まだ幼いあなたのこころをも傷つけたことに対して、お父さんは深く反省しました。
そしてお父さんはお母さんとあなたに強く・固く約束しました。「これからお母さんにはよき夫として、Aiちゃんにはよきお父さんとして努力していく」ことを。
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