「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース 「孤児のレストランの“先生と生徒”」■
●2人の日本人の「お母さん」
「イラッシャイマセ!」。日本風の制服を着た子供たちが、日本風の挨拶をして、日本語でお客さんを出迎える。ここはベトナム中部のフエにあるレストランの光景である。
2006年5月に、フエに初めて日本レストランが出現した。このレストランは「ベトナムの子どもの家を支える会(JASS)」の運営費用を補うためと、子供たちに働く場所を提供するために作られた。
まだ幼さの残る従業員は、日本人のお客さんが来ると、ドアをそっと開けて、お辞儀をして出迎えて席に案内する。そしてメニューを見せて、日本語とベトナム語の2つで書かれた料理の内容をグエットさんが説明する。
お客がメニューを選んだ後で、「ドウゾ ゴユックリ」という言葉を、深くお辞儀をしながら言うのを忘れない。それを聞いたお客は、まだ幼さの残る顔をした女の子たちが、はっきりとした日本語を話すことが出来るのを見て目を丸くして驚いている。
そしてこのレストランに2人の日本人の女性がやって来た。その一人のサイタ マリコさんはここの管理者として仕事を任されている。彼女は世界のいろんな国を旅行したが、ベトナム人のフレンドリーさに惹かれて、そのままベトナムに足をとどめることになった。
マリコさんが言うには、「この日本レストランの開店が孤児たちを支え、また外国語を習得したり、技術を覚えたりするのに役立つことを希望しています。またここでそのような能力を身に付けた子供たちは他の場所に行っても働けることでしょう」。また彼女は「このレストランをもっと大きくして、将来は支店を作りたいです。そうすればもっと孤児たちを助けられるでしょう」とも話してくれた。
もう一人の日本人・オオツカ アイコさんは次のように言っている。「ベトナムの小さい子供たちは、欧米の同じ子供たちと比べると大変年長者に対して礼儀正しいと思います」と。彼女は62歳の時、縁あってベトナムにやって来た。
彼女が言うには「私が大学に通っている時、ベトナムを一度訪問した先生が(もしこのクラスの中で誰か良心があるのなら、是非一度ベトナムを訪問しなさい。そこは英雄の国であり、痛ましい歴史があるけれども、お客さんをもてなすこころのある国だ)と言ってました」と。
今アイコさんが日本へ帰るたびごとに、ここの孤児たちから「日本へのお土産です。ぜひ持って帰って下さい」と言って、ベトナムのお茶の葉や、ヌックマムや、刺繍の布絵などをプレゼントしてくれるという。
●一度灯ったランプの輝きは途切れない
ここの指導に来た最初の2人の日本人の先生に就いて、日本語と給仕の仕事を6ヶ月以上勉強する養成するコースをグエットさんは終えたばかりである。そこの先生が言うには、彼女は3ヶ月日本語を正式に勉強し、また6ヶ月は聞き取りの訓練もしながら、テレビで日本の文化も勉強したばかりである。ここでグエットさんは先生から「お母さん」のように手取り足取り個別に指導を受けて来た。グエットさんは将来旅行会社の通訳になる夢を抱いている。
このレストランに来るお客さんの幾人かは、ここで一所懸命に働いている16歳〜19歳までの子たちが孤児センターの出身であることを知っている。台所を覗くと、ミーさん(18歳)が大根やジャガイモの皮を剥いたり、牛肉を四画くく切って細切れにしていた。
彼女は、「今私はスシのような料理も作れるようになりました」と誇らしげに話してくれた。「料理を作るのに精神を集中していると、寂しさも忘れるんです」とも話してくれた。
実は彼女の父親は彼女が生まれてすぐ亡くなり、その後しばらくして母は彼女を捨ててどこかに行ってしまい、彼女たちは親戚の家に預けられて育てられてきた。今はその弟とも離れて暮らしている。「いつか私が、自分で弟に美味しい料理を作って食べさせてあげたいんです」と彼女は言う。
今彼女は一ヶ月に300,000ドン(約2,200円)の給料をもらっているが、おばさんのところに預けられている弟のための食費や学費として、そのほとんどを送っているのだという。アイコさんは台所でせっせと働く、そういういろんな子供たちを暖かいまなざしで見守っている。
(解説)
このフエにある「子どもの家」には私も一度訪問したことがあります。その時に、そこの責任者である日本人の先生の話も聞きました。その先生は大変情熱的な話をされる方で、「子供たちをここで預かり、ここで教育を受けさせていますが、さらに大事なのはその子供たちに将来どういう仕事を提供するかであり、そのために今職業訓練も施しています」と話されていました。しかしこの時にはまだ、この記事の中にある日本レストランは出来ていませんでした。
サイゴンでも孤児を預かって面倒を見ている日本人の組織団体もあります。孤児ではないけれども、学校に行けない子供たちの面倒を見ている日本人もいます。この夏ティエラの「マングローグ親善大使」の子供たちもそういう子供たちと丸一日交流会をして過ごしました。
孤児の子供たちというのは、こころに深い傷を残しているケースが多いと聞きます。「体の傷は治るが、こころの傷はなかなか治らない」ということを、ある孤児の施設の園長先生が話していました。
日本の生徒たちと一緒にプールではしゃいでいるベトナムの施設の子供たちを見ていて、(この子たちはどういうつらい過去を背負っているんだろうか?)と、思うこともありました。
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