アオザイ通信
【2007年6月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<第13回日本語スピーチコンテスト終わる>
5月半ば、今年で13回目を迎えた「ホーチミン市日本語スピーチコンテスト」が終わりました。今までは私は、このコンテストを楽しみに待ちわびている一人の観客として参加していました。

(今年はどんな人たちが、どんなテーマで、どんな日本語のスピーチ能力を披露してくれるだろうか)と期待しながら聴くのが楽しみでした。

過去聞いた中では、すばらしくスピーチの上手な人が幾人もいました。目を閉じて聞いていると、実際日本人が話しているのではないかと見まがうばかりに達者なベトナム人もいました。その人が今までどのぐらい日本語を学習して来たのかは紹介されませんでしたが、「よくぞここまで頑張って来たことだなあー」と、私は一人で感心していました。

それが今回は、このスピーチコンテストを運営する側の一人として参加させて頂くことになりました。これに参加して初めて、今まで観客として楽しませて頂いていたこのスピーチコンテストが、実はこれを運営する日本人とベトナム人のボランテイアスタッフに支えられて、いかに事前に大変な時間と労力を使い、そして周到な準備の下に進められていたのかが良く分かりました。

5月中旬に行われるこのコンテストに向けて、5ヶ月前の昨年12月から呼びかけが始まり、最初の第1回会合は1月中旬にスタートしました。
この時には20人ほどの日本語を教えている先生たちが参加していました。

この会合は最終的には全部で6回ほど開かれましたが、普段の平日は全員が授業を抱えているので、原則としてその後もずっと日曜日にこの会合は開かれました。

最初の会合で出された問題点は、昨年の運営や準備や当日の進行の記録がほとんど残っていないし、担当者も入れ替わっているので、昨年からの引継ぎが全然出来ない状態であるという嘆きでした。

しかしそこからみんなでお互いがいろんな役割分担を振り当てて、少しずつ形らしきものが出来上がったのが3月くらいだったでしょうか。さらにまたこの3月度の1ヶ月間の中で、応募者への原稿募集を行いました。これには各日本語学校で教えている先生たちが、自分たちの学校の生徒たちに声掛けをして行きました。

そして締め切り日までに集まった原稿が78部。その原稿の内容審査を行う会合が4月中旬にあり、私もここに参加しました。78名すべての原稿の一つ一つに全員が点数を付けて評価を下し、その中からさらにまた2次審査用に20数名に絞り込むので、この日は朝8時からみんなが集合して、終わったのは夕方くらいになりました。

しかしこの1次審査では、私から見て(これはすごい日本語の表現能力だな〜)と感心した1人の男子学生がいました。その語彙の豊富さ、漢字表現の上手さ、文法や言い回しの確かさなど、日本人以上に上手な文章を書いている応募者がいるではありませんか。

そのことを昨年の1次審査に出た人に指摘すると、「あまりに上手い表現はどこかからの盗作の可能性も否定出来ないので、次回の2次審査で行うスピーチと質疑応答で、本当に本人に実力があるかどうかが分かります」と言う答えでした。

この2次審査は4月の下旬に行われましたが、残念ながら私は日本に帰国していて参加出来ませんでした。後で聞いたら、この審査には23名のベトナム人が参加して来たそうです。

そしてこの中から最終的に当日の「第13回日本語スピーチコンテスト」に参加する14人が絞り込まれました。この14人の中には、私が感心したあの男子学生の名前は見当たりませんでした。やはり盗作だったんでしょうか。

そして本番の審査となる5月半ばの日曜日。スピーチコンテストの開始は8時45分でしたが、私たち実行委員は7時にベンタイン劇場に集合しました。私は後半の会合には参加出来ませんでしたので、当日は受付・誘導を担当しました。しかしいつものごとく、9時になってもまだ観客席は半分も埋まっていません。ほぼ埋まって来たのは9時半を過ぎた頃くらいからでしょうか。

それでも、昨年よりは集合が早くなって来たようだと実行委員の一人が言っていました。そしてこの日は最終的には約800名の観客が来たということでした。ものすごい数だと思います。そういう意味では、年に一度のこの行事は、ホーチミン市のスピーチコンテストでは一大イベントに成長していっていると思います。

スピーチコンテストの前に披露されたアトラクションでは、日本語を学んでいる中学生や大学生が日本語で歌を唄ったり、踊りを披露したりしてくれましたが、観客が一番喜んだのは柔道の型の紹介や組手でした。

そして肝心のスピーチコンテストもみんな一人一人が堂々と、原稿などは一切読まずに、全員が暗誦していましたね。こういう舞台で発表する時間の5分間というのは、観客には短いようでも、案外本人には長いようですが、そのプレッシャーを感じながらも良く頑張ったと言えるでしょう。

1位の優勝者には日本行きの往復の航空券がプレゼントされました。
この1位の優勝者が日本に行ってベトナムに帰った後は、日本滞在の感想文を書いてくれるそうなので、それも楽しみです。

さて昨年と比較しての「今年と昨年とどちらがレベルが高かったか?」というのは、毎年来ている観客たちもアンケートに率直に答えているんですが、今回も私が感じたのは、発表者の14名中、男子はたった2名しかいないということでした。

昨年も男子学生の発表は少なかったのですが、やはり日本語学習者の比率がベトナムでは女子が圧倒的に多いですので仕方がないのでしょう。それと洋の東西を問わず、男の子はコツコツとした継続的な努力が要求される語学はやはり不得手なのでしょうか。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <ベトナムの南北間に、新幹線型鉄道建設の早期着工を> ■

ベトナム首相はこのほど、南北高速鉄道・南北高速道路・ホアラックハイテク工業団地の3件の大規模建設案件に関して「ベトナム・日本調整委員会」を設置することを決めた。

ベトナムの計画投資相とF駐越日本国大使が共同議長を務めることになった。同委員会は、この3案件に関する情報の収集や投資家誘致などを行う予定である。この3案件については、日本政府はベトナム政府を支援することを明らかにしている。

日本政府は今後もこのようなベトナムのインフラ整備のために、その推進に支援をしていくことをベトナム政府に約束した。

特にこの中で規模の大きいものとして、ベトナム政府が早く手がけたいのが日本の新幹線型鉄道の早期着工である。計画では、ハノイーホーチミン間の1700kmに新幹線型鉄道を開通させ、最終的にはホーチミン市のさらに南にあるカントー市まで伸ばす計画であり、そうなるとその総延長は1900kmになる。

この計画を2020年までに達成するために、今さまざまな関係機関が動いている段階である。この計画には日本政府や日本のJICAの他、欧州開発銀行が協力を申し出ている。

(解説)
日本に帰国するたびに、私は新幹線に乗ります。最近私は「新幹線とは日本の進歩した鉄道技術が結晶した単なる鉄の塊ではなく、柔道や生け花のような日本の文化そのものではないだろうか」と思うようになりました。

文化というのは、最初にその国の人たちが独自に創り出し、それを愛していきながら時間をかけて育てていくうちに、国民にとって生活に快適さを与え、やがてはその国民にとって欠かせない存在にまでなっていくものだと思います。今の日本を走っている「新幹線」は、まさしくそういう存在ではないでしょうか。

新幹線がホームに入って来る時の時間の正確さと、停車する時のそのスムーズさ。そしてドアが開いて、車内に座ってから感じる心地よさ。さらにその車両の明るさ快適さ。下を見ても床にはゴミやガラクタなど一つも落ちていないし、落書きや傷もありません。そしてトイレや洗面所はいつも清潔さが保たれていて、いかに徹底したメンテナンスが行われているかを感じさせます。

我々はこんなことを「なんだ、そんなこと当たり前じゃないか」と思うんでしょうが、じつは同じ鉄道技術を搭載した最新車両を外国に輸出しても、その鉄道の扱い方は国民によっては大変異なるという現実が分かってきました。

先月5月に中国で、鉄道高速化計画の目玉として登場した「新幹線型」弾丸列車が走行を開始して1か月、定期点検のために、技術者が車体を検査したところ、無残なほどボロボロにされていることがわかったそうです。

そのボロボロになった原因は乗客による備品の持ち去り。備品の持ち去りは、手洗い場のセンサー式蛇口から緊急脱出用のハンマーにまで及び、またトイレの便座の温度調節つまみやペーパーホルダーの軸さえ取りはずされ、消え失せていたというではありませんか。そして足元にある通気口には、ゴミ箱と間違えられたらしくガムの食べカスが詰め込まれていたというのです。

日本ではこんなことが考えられるでしょうか。日本での新幹線は私が小学6年生の頃に、日本の明るい未来を象徴する存在として花々しく登場し、それ以来これを利用する日本人は無意識の中で「その車両を自分の家のように、その車内を家庭のように愛して来た」といえるのではないでしょうか。

日本人は新幹線の中でゴミを至る所にバンバン捨てたり、車内に傷を付けたり、落書きしたりなどしないでしょう。「自分の家」であれば、誰もそういうことはしませんからね。いわんや備品を持ち去る人など、まずいないでしょう。

ベトナムの鉄道にも私は何回か乗りましたが、いつ乗ってもベトナム人の乗客が果物を食べた後の皮や、食事した後の小さなゴミは床に捨て放題です。清掃員が、車内をホウキで掃きながら「おまえたちは何でこんなに汚すんだ!」と怒鳴りながら清掃していたのを今でも思い出します。

さらに日本人の衛生観念からすると、トイレの汚さはもうお話になりません。これは列車に限らず、普通のレストランや小さな店などでも同じです。
しかし、ベトナムの人たちはあまりそういうことは気にならないようです。面白いのは、ベトナムではレストランのトイレがどんなに汚かろうが、お客が大勢つめかける所が数多くあることです。

ですから、中国やベトナムで新幹線型鉄道がこれから導入され、実際に走り出しても、日本人が新幹線を大事にするようなレベルまで「それを愛し、育てる」までには、まだこれからかなりな時間がかかりそうな気がします。


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