春さんのひとりごと
<志を持つということ>
私の手元に今、1個の可愛い携帯電話のストラップがあります。これは実はベトナムの小学生たちが自分たち自身の手で一つ一つ作成したものです。この小学生たちは以前私が紹介した、経済的な困窮と戸籍上の問題が原因で、普通の小学校に行けない生徒たちを救うために、あの日本人Fさんが創ったS小学校の生徒たちです。
彼らが作っているのは、犬や猫や象や豚やウサギやキリンや亀などの動物の形をした、色鮮やかな可愛い小物です。ピカチュウやキテイちゃんのデザインのものまであります。私の携帯に付けているのは、小さいながらも案外精巧かつ丈夫に出来ていて、半年経っても壊れていません。そして実は今、これが海を越えて日本で売られています。
「何のために・・・?」これを作成した子供たちが、自分たちの勉学の費用に充てるためにです。このストラップは昨年だけで1万個ほど日本で売ることが出来ました。それを売るために協力してくれたのは、日本にいるFさんの友人・知人たちでした。
ベトナムから日本へは輸送代を節約するために、日本へ帰る友人・知人に依頼して直接持ち込んでもらい、日本ではまたその友人・知人たちが販路に協力してくれたりして、フェアトレードの商品を扱う店などに置いてくれるようになりましたが、まだまだ十分ではありません。
Fさんの学校の生徒たちとは、テイエラの「マングローブ親善大使」の参加者たちがベトナムにやって来た時にも、2年ほど前から交流会を一緒に開いたりして親交を深めて来ました。日本の子供たちにとって、彼らのような小学生との出会いはいろんな意味で衝撃的だったり、いろんな事を考えさせられたりしたようでした。
日本では『学校に行けるのに行かない生徒(いわゆる不登校)』がいますが、ベトナムでは『学校に行きたくても行けない生徒』がいるという現実があるのです。
そのことにこころを痛めた一人の日本人がFさんでした。そしてそのような学校に行けない子供たちを集めて、小学校レベルの教育を受けさせてやりたいという志を抱いて、ベトナム人の奥さんと小学校を開いたのが今から8年前の1999年でした。そして私がそのS小学校を初めて訪ねたのは、2000年のことでした。
その当時からFさんはあまり他人を当てにせずに、出来るだけ自分たちの力だけで運営していきたいというのが、彼と奥さんの気持ちだったようです。今現在は、他からの援助も少しずつ協力の輪が広がって来てはいますが、原則としてこの方向性は今も続いています。
学校を設立した当初から今に至るまで、Fさん自身が日本に半年ほど帰国しては、建築現場で自ら汗を流して稼いだお金をベトナムに持ち込んで、それを学校の運営資金に充てています。日本にいる時は、Fさんは毎朝6時半には家を出て建築現場に向かうそうです。
そのFさん自身は子供たちを支援していきながら、「ただ子供たちが支援されるだけの受身の姿勢だけでは、将来の子供たちのためにならない。今後は、子供たちにも自立の志を育てていくことにしよう」という気持ちが強くなって来ました。
そこで考えたのが、子供たちの手で何かを作らせて、それを販売して、そこから得た利益を子供たちにそのまま還元して学業の費用に充てるという方法だったのでした。それでスタートしたのが、この携帯電話用のストラツプの作成だったのです。
このストラップを作る作業に慣れてくると、いまは1人の子供が2〜3時間で1個を作り上げます。手先の器用な生徒だと1時間くらいで作り終えるようになってきたそうです。最近は1ヶ月間に、約500個くらいが出来あがるそうです。
そして自分たちの手で作り終えたものが日本で売れて、その時間と労力の報酬として、それを実際に現金という形で受け取る時の子供たちの充実感は、本人にしか分からない感覚でしょう。
実はベトナムでは、学校教育は無償ではなくお金が掛かるものなのです。ですから貧しい家庭の子供たちの中には、学校に行く費用を稼ぐために親からゴミ拾いをさせられたり、ガムや宝クジを夜遅くまで売っているような少年・少女たちが街中にゴロゴロといます。
そういう子供たちは犯罪にまきこまれたり、非行に走ったりすることも少なくありません。そういう意味でも、教室の中でみんなで協力しながらこういうものを作り上げていく作業のほうが、教育上も精神的にも子供たちにとってはるかにいい方法だと言えるでしょう。
Fさん自身が何の代償も求めることもなく(と言うよりほとんど自分の手出しの状態ですが)、恵まれない子供たちに教育を受けさせてあげたいという強い「志」から開いた学校ですが、今そこで学んでいる子供たちに、自分たちの手で作った物で学費を稼いでいきながら、「自立という志」を教え育てていこうとしていることに私は強い感銘を受けています。
そして実は、Fさん自身には子供がいません。「学校に来ている子供たちが、私の子供のような気持ちでいます」と、いつもの淡々とした、明るい表情で話してくれました。
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