春さんのひとりごと
<“ベトナム人の眼で見た日本の歴史”を綴っている人>
とある日曜日、今ホーチミン市内の大学で日本語を教えている年配 のベトナム人のT先生に会いました。私が今回彼に会った目的は、今年の12月に実施される日本語能力検定試験の試験監督の手配を依頼されたからでした。
彼に会う予定の時間の少し前にたまたま大雨が降り、私は約束の時間に五分ほど遅れましたが、彼はもうすでに先に着いていて私を待っていました。私は今までベトナムの人と会う約束をしていて、相手が先に着き、私のほうが遅れたのは今回が初めてでした。最初に遅参の詫びをして、お互いの自己紹介をしました。
私と彼が会った場所は、レストランでも喫茶店でも路上のカフェーでもなく、バイクの駐輪場の中でした。そしてその入り口に置いてある、バイクの駐輪のために切符を切る受け付けの机の前でその話をすることになりました。当然一杯のコーヒーも、水も、オシボリも出て来ません。
まあしかし、サイゴンにある普通のカフェー屋さんはどこもかしこも賑やかで、耳をつんざくようなうるさい音楽がガンガン鳴っていて、お互いが大声を出さないと会話が出来ませんので、このように真面目な話をする時にはむしろこういう場所がいいこともあります。
喫茶店などでのベトナムの人たちの顧客サービスの感覚というのは、店内に賑やかな、うるさい音楽をガンガンかけるのがお客に対するサービスだという発想ですので、時に日本人が「うるさくて話が出来ない。音を小さくしてくれ!」と店員に言うと、(音を小さくしたら寂しいだろうに・・・)という風な表情をして、ケゲンな顔します。
そういう顔付きをした店員は、すぐには音を小さくしませんので、「いいから、とにかく音を小さくしてくれ!!」と怒鳴るように言って、ようやくボリュームを下げてくれます。しかし他のベトナム人のお客はこういう賑やかでうるさい音楽が好きなのは知っていますので、電源を切って音楽そのものを消すことは嫌がります。
さて私達は自己紹介が終わった後、時に外から雨が降り込んで来る中で、受け付けの机をお互いが挟むような形で話しましたが、T先生は私と会話する時、その発音といい、文法といい、語彙表現の正確さといい、見事なほどの日本語で対応してくれましたので、私達二人の会話は、私にとっては一番楽な日本語で話を進めることが出来ました。
T先生は私に、「今年の受験者数は昨年よりもさらに増えて、試験監督の手配に今苦労していますので、いろんな日本語学校の先生方々に協力をお願いしています。是非あなたにも協力して頂きたいのですが・・・」と話されました。
もちろん私は「いいですよ。私の知り合いの人たちに声を掛けて見ます。」と答えましたが、私は彼が話している時にその彼の見事な日本語を聞きながら、(どこで、どのようにして、この先生はこのような素晴らしい日本語能力を身に付けたのだろうか・・・?)とそちらの方に興味が湧いて来ました。そして一通り日本語能力検定試験の話が終わってから、私のほうからT先生にその事について聞いてみました。
彼は今年65歳になりますが、見た目は大変若く、紳士然として大変知的な印象を受けました。彼はベトナム戦争終結まではホーチミン市内にある師範大学に勤めていて、戦争後はまた別の大学で60歳の定年になるまで日本語を教えていました。そして定年後も続けて教えて欲しいと同じ大学から請われて、今でも夕方から大学生に非常勤で日本語を教えていると言いました。
T先生は今はそうやって夕方から日本語の先生をしていますが、毎年12月の日本語能力検定試験の試験監督の時期には、その流暢な日本語能力と実務能力から、日本語能力検定試験の総責任者として会場の手配や試験監督の人員の手配などを担当しているようでした。
彼が日本語を習い始めたのは実に今から35年前で、まだベトナム戦争が続いている最中でした。その日本語は、日本政府から派遣されて、当時ベトナムに赴任していた日本人から習ったということでした。その日本人も当時は彼と同じ30歳くらいで、今でもその人が時々ベトナムに来られた時には再会を喜んでいるそうです。
しかしその当時ベトナムにいた日本人の数は、以前私が紹介したあの「ベトナム戦争当時にバナナを植えていたYさん」から聞いた話でもあまり多くはなかったようですから、T先生のようにその数少ない日本人から日本語を学んでいたベトナム人もさらにまた少なかったことでしょう。
「そういう時期に、またどうして日本語を勉強したいと思ったのですか。」と質問しますと、「ベトナム語で書かれた日本の歴史の本を読みまして、特に江戸時代と明治時代に強く惹かれたからです。」と答えてくれました。彼は日本へ留学した経験もあり、その時にも日本の歴史に関する多くの本を集めてベトナムに持ち帰ったそうです。
そしてさらに続けて、「江戸時代のように、政治も文化も芸術も特異な時代は世界のどこにもありません。そしてさらにまた、その江戸時代とは政治も文化も芸術もまるで異なる明治時代が、一つの国の中でその後に続いていることの面白さ、不思議さに大変強い興味を抱きました。」
「さらに興味深いのは、まるで違うようなこの二つの時代が、日本という国の根幹では一貫して連続していて、本質的な部分では変わらぬ何かがあるような感じを持ちました。」
「それで実は今私は、日本の歴史の本を執筆中です。私たちベトナム人が今まで読んでいる日本の歴史の本は、すべての資料が欧米で書かれた英語の資料を参考にして書かれています。」
「私はそういうやり方ではなく、日本語で書かれた文献に当たり、日本語の資料を読んで、日本語の記事や資料を直接引用して、それをベトナム語に翻訳し、ベトナム人のために“ベトナム人の眼で見た日本の歴史”を書こうと思っています。」というふうに、T先生の話は聞いているこちらのほうがワクワクして来るような内容でした。
「その完成はだいたい何年後くらいになりますか。」と聞きますと、「五年後くらいを予定しています。」という答えでした。さらにその後には、越和辞典の出版も計画しているので、日本歴史の本の執筆と併行して、そのための資料集めも今進めているということでした。しかしこのように高度な創作作業というのは、T先生のように高い語学の才能を持っている人にして初めて出来ることでしょう。
私たちは一時間ほどそこで話したでしょうか。T先生との別れ際には、「お体に注意されて、是非その本を完成させて下さい。ベトナム人の眼から見た日本の歴史の本は、私たち日本人もまだ読んだことが無いし、大変興味深いものになることでしょう。さらにまたベトナムの人たちにも、日本理解の大いなる手助けとなることでしょう。」と、私はその本が出来あがる日を期待しつつ、T先生にそのように挨拶させて頂きました。
ちなみに今年の日本語能力検定試験の受験者数ですが、9月初めに締め切った時点で、このホーチミンの試験会場だけでも8200人を超える受験者がいるそうです。昨年が6300人くらいですから大変な増え方です。T先生の依頼もあり、私も当日は試験監督として出向くつもりです。
そしてまたこのように今現在日本語を勉強している受験生たちだけではなく、日本に関心のあるベトナムの人達にも、T先生が日本語の文献や資料を読み解いて、ベトナム語で書き上げた、“ベトナム人の眼で見た日本の歴史”の本を読める日がいずれ来ることになるでしょう。
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