春さんのひとりごと
<村山日本語学校を訪問する>
今ホーチミン市内にある公立のL高校で、今年の9月から日本語教育がスタートしました。生徒たちは全員ベトナムの高校生です。実はこの学校では、中学生を対象に2年ほど前から日本語教育をスタートさせて来ました。その担当をしていた日本人の先生とは私も懇意にさせて頂いていましたが、任期が切れて9月に日本に帰国されました。
それが9月の新学期から、この高校に在籍している1年生を対象に、新たに日本語教育をスタートすることになったのでした。公立学校の中で行われるこの授業の学費は無料です。そしてもちろん中学校のほうでは、今も続いて日本語教育が行われています。
この高校での日本語学校の設立に当たり、全面的な支援を申し出たのが、あの「村山元首相」です。そして、その名前も「村山日本語学校」と名付けられました。
日本では「村山元首相」といえば、あの阪神大震災の時に、何の緊急支援の手も打たず、全くの無為無策状態でしたね。あの時に「普通の常識的な判断が出来る宰相」であったならば、阪神大震災では多くの人命が救われたことでしょう。
しかしこちらに滞在していると、村山元首相など「あの人は今・・・」の世界の人で、日本では何をしているかも分からないでいましたが、それが最近こちらベトナムの新聞に、村山元首相の名前が載っていて、大変私の興味を引きました。
その新聞記事によりますと・・・
ベトナムのグエン・タン・ズン首相は村山富市元首相に「友好勲章」を授与した。村山元首相は1994年、南北統一後のベトナムを日本の首相として初めて訪問し、2国間関係発展の新たな道筋を作った。
首相の職を退いた後、2000年に日本ベトナム平和友好連絡会議(JVPF)JVPFを設立し、会長に就任した。JVPFはこれまでに、北部タイビン省での枯葉剤被害者や社会援助センター建設への支援活動、北部ハタイ省での奨学金支給活動などを行なっており、支援金額は数十万米ドル(数千万円)に上る。
さらに村山元首相はホーチミン市内にあるL高校を訪れて、「村山日本語学校」の開講式を行った。この日本語学校は、第2外国語として日本語を選択した学生を対象に、無料で授業を実施していく。
ここを3年後に卒業した生徒たちは、日本語を生かした職業に就いたり、日本に留学したりするなどの進路選択の可能性が広がってゆくことだろう。
・・・・という内容でした。
そして実はこの「村山日本語学校」を設立するに当たり、そこの学校の校長先生として村山元首相がお願いしたのが、あの「あけぼの日本語学校」の校長のLuan(ルアン)先生でした。
Luan先生は、1994年に村山元首相がベトナムに来た時の通訳をしたのが縁で、それ以来親交が続いているといいます。Luan先生の家には、2人が並んで立っているその時の大きい写真が額に入れて今も飾られています。
村山元首相は在任中にベトナムを訪問したのを機会に、今までも時々はベトナムに足を運んでいたようです。その時には毎回Luan先生と会っていたようなので、そういうところからこの“公立高校の中に日本語学校を開講する”という話に繋がっていったのでしょう。ベトナムでの日本語教育の普及という面からは、それはそれで評価されることでしょう。
そのLuan先生から「一度村山日本語学校を見学に来て下さい。」という誘いがありましたので、当日の夕方にL高校へ行って来ました。
L高校は校庭はさほど広くはありませんが、大きい木が何本も生えていて、歴史を感じさせます。そして実はこのL高校は、ホーチミン市内で上位三本の指に入るくらいのレベルの高い進学校です。
ここで日本語を受けている全員の生徒(約240人くらいいるといいます)は昼間の授業を受けてから、また夕方から週3回だけ月・水・金か火・木・土の2グループに分かれて授業を受けています。Luan先生は、「ここの生徒たちのレベルは高いので、教えたこともすぐ吸収してくれます」と大変喜んでいました。
私が訪問した時には、教室に20人くらいの生徒たちがいました。この日は全部で3クラスの授業をやっていました。驚いたことには、すべてのクラスにはクーラーが備え付けてありました。さらには、またパソコンの機器やスクリーンもありました。これだけでもずいぶん恵まれていると言えるでしょう。
しかしその使っているテキストを見ると、表紙に「村山日本語学校」のタイトルが切り貼りしてコピーしてありました。おそらく独自のテキストの準備までは間に合わず、既成のテキストの表紙に上から名前だけコピーしたのでしょう。
この時点では、すべてのクラスがまだ“ひらがな”をようやく習い終わった頃でしたが、挨拶の言葉は最初に教わっているらしく、私が教室に入ると全員が立ち上がって「先生、こんばんは!」と元気に挨拶してくれました。
Luan先生は授業の途中くらいから、教室内にあるパソコンの機器を使って、日本の文化紹介のDVDを生徒たちに見せて解説していきます。それは日本人である私が見ても大変興味深い内容でした。もちろん生徒たちも、DVDが始まる前からどんな内容なのか期待に想像を膨らませていて、いざ画面が現れると大喜びでした。
Luan先生は私に、「せっかくですから、生徒たちに一言挨拶して下さい。」と頼んできましたので、私も生徒たちに励ましの言葉を贈りました。
「まだみなさんのような若い世代の人たちが、日本語を勉強しているのを見ると嬉しい限りです。これからこの新しい学校でしっかり日本語を勉強して、将来ここで学んだ日本語を生かして日本に留学したり、日本の文化を研究したり、日本の会社で働いたり、日本とベトナムの架け橋になるような役割を果たして下さい。」と励まして来ました。
普通の日本語学校は、大学生や社会人くらいの年齢が多いのですが、この「村山日本語学校」ではこれから毎年・毎年、若い高校生が入学して日本語の授業を受けることになります。
今ベトナム全土には約3万人の日本語学習者がいるといいますが、これから毎年この高校で日本語を学ぶ生徒たちの存在は、日本とベトナムの高校生同士の交流会などにおいても大きい活動の輪が広がっていくだろうと、私は期待しています。
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