アオザイ通信
【2008年3月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<Sさんの田舎、Binh Duongを訪問する>
ベトナムのテトが終わり、2008年度の第一回の「日本語会話クラブ」が2月の下旬にありました。この日は日本人、ベトナム人合わせて約70名を超える人たちが参加してくれました。

前回参加した日本人は5名だけでしたが、この日には何と25名もの参加者がいました。実はこの日は2つの大学生のグループが参加してくれましたので、大いに盛り上がる日本語の会話クラブになりました。

今回参加してくれた1つの大学生のグループは大阪の大学生たちで、もう一つのグループはあのフォトジャーナリスト・村山さんのスタデイツアーのグループでした。村山さんとも久しぶりの再会が出来ました。

この日は座る場所もないぐらいの多くの人数が参加してくれて、リーダーのSさんは大変喜んでいました。ベトナム人の参加者たちも多くの日本人と日本語で会話が出来て大いに満足していました。

そして実はこの日の会話クラブの終了後に、会話クラブの有志のメンバーで、Sさんの田舎にあるフルーツ園を訪問しようという計画を組んでいました。

彼の田舎はサイゴンから約25キロ離れたところにあるBinh Duong(ビン ユーン)というところで、村山さんのツアーの参加者たちはローカルバスに乗ってそこまで行き、他は全員がバイクで移動することにしました。

この果樹園訪問には、全員で約30名近くの参加者がいました。しかしSさん以外はみんながそこに至る道順を知らないので、彼を先頭にして途中ではぐれないようにゆっくり・ゆっくりと走るように注意を与えて、私たちは11時過ぎにサイゴンを出ました。

このBinh Duongという省は、最近大々的に開発されていて道路も広くなり、工場や大きいマンションなどもドンドン造られているところです。私もひさしぶりにバイクで郊外に出ましたので、途中の景色を楽しみながらバイクを走らせていきました。

するとサイゴンを出て40分も経った頃でしょうか、左手に川が見える道路を走っている時に、その川沿いに色とりどりの花が咲き乱れていて、その花の向こうには個人の別荘なのか、ホテルなのか、喫茶店なのか、見事なくらい瀟洒な景観をした建物が見えて来ました。かなりの長い距離で川沿いに様々な色の花が咲きそろっているこのような光景は、私はベトナムでは初めて見たことでした。

後でSさんに、「あれは喫茶店ですか。別荘ですか。」と聞きますと、「あれはBinh Duongの人民委員会の幹部の家です。」という答えでした。

彼が言うには「今Binh Duongは土地の開発ラッシュが続いているので、その土地開発認可の権限を握っている人民委員会の幹部の人たちにそのお恵み(ワイロのことです)が入ってくるのです。」ということでした。

彼が言うようにもしそれが事実なら、呆れかえるほどのケタ違いのお恵みですね。しかしここ最近のベトナムでの一部特権階級と、貧しい庶民の格差はどうしようもないくらい広がって来ている気がします。

しかもそういう事実をマスコミがつかんでも、報道の自由がないこの国では、そのような事実が新聞でもテレビでも公に報道されることはまずありません。またそういう真実を暴いた記事を書いた記者は、すぐ首にされるそうです。まあ、こういうことは国民の間ではいろんなルートから周知の事実のようですが。

その点では汚職が蔓延し、腐敗しきった官僚がはびこる中国と同じ体質ですね。実際、社会主義の国の官僚や公務員や公安というのは、支給される給料が低く抑えられているので、裏でワイロを貰わないと生活出来ないという現実があるようです。

さて私たちは約1時間かけて、最初の目的地である昼食を摂る場所に着きました。私たちは最初レストランに行くのかと思い込んでいましたが、そこは何とお寺でした。彼の菩提寺でもあり、彼の今の仏教信仰の場所なのでした。

このお寺は田舎の寺ですが、すごい大きい造りで、信徒の人たちが集まる講堂も広いものでした。その広い講堂の中に、すでに私たちが食べる昼食が用意してありました。それを見た時に、(ああー、Sさんがすべて事前の手配をしてくれていたんだなー)ということが分かりました。

しかしお寺の中での食事ですから、当然肉類もビールも一切なく、精進料理が出てきました。ただ精進料理といっても、野菜だけが出て来たのではなく、大豆を材料にして、魚のすり身のような色や形にして揚げたようなものや、肉に似せた揚げ物なども料理されていました。

この日大変美味しかったのは、苦瓜をスライスしたのと、湯葉とキノコが入った鍋でした。これは本当に、ベトナム人はもちろん参加した日本人のみんなも、「美味しい!美味しい!」と言って食べていましたね。

私は「湯葉」というのは、日本では言葉としては知っていても食べたことがありませんでした。それをこのベトナムで生れて初めて食べたのでした。私がベトナムに来てすぐの頃、ベトナム人の知人が路上のヤギ鍋屋さんに連れて行ってくれたのでした。そこでヤギ鍋を食べた時に、そのヤギ鍋に湯葉が付いていたのでした。

「これがあの湯葉か・・・」と、その時実物をはじめて目で見て、じっくりと味わうように食べました。その時初めて食べた湯葉は、独得の風味と歯ごたえがあり、大変美味しいものでした。それ以来私の大好物になりました。

しかし湯葉というのは日本では高級料理だと聞いていましたが、もしそれが本当ならバカバカしいかぎりですね。ベトナムでは路上の屋台で食べるヤギ鍋屋さんや、いろんな料理にこの湯葉がさりげなく入っていますし、その値段も安いものです。一皿で日本円にして100円もしません。

この時にこの昼食を準備して頂いたのは、この中で修行をしているお坊さんたちでした。食事が終わって、Sさんに「昼食代はいくら払えばいいですか。」と聞きますと、Sさんは「いえ、いいですよ。皆さんたちがこのお寺を訪問して頂いたことで、この人たちも喜んでいますから。」と言いましたが、それでは私たちも余りに申し訳ないので、日本人とベトナム人の参加者から食事代を集めて、そのお寺に寄付をするという形をとりました。

そして食事後はいよいよ、みなさん期待のフルーツ園訪問です。そのお寺からバイクで約20分くらいの時間でそこには着きました。このBinh Duongにある彼のフルーツ園の場所は、正確にはLai Thieu(ライ ティウ)という名前で、ベトナムの人たちがその名前を聞けば「ああー、ドリアンやマンゴスチンで有名なあの果樹園か。」とすぐ分かるそうです。

しかしここも今は環境が変わり、工場排水や団地から流される生活排水の汚染によって、以前ほどは果物が収穫出来なくなって来たということでした。特にここ最近は河川の汚染がひどくなり、果樹の根元や枝の先が枯れていく現象が出始めて、果樹の収穫量も段々と減りつつあるという話でした。

それで最近は果物で有名な産地(特にドリアン)としては、以前私も訪問したLong Khanh(ロン カーン)に取って替わられているということでした。確かにLong Khanhで見たドリアンは見事なものでした。

さて私たちが着いたところは、今は彼のお兄さんが果樹園を営んで住んでいる家でした。そしてその家の裏には50頭以上の豚が飼われていました。裏手に回ると、今子供を産んだばかりのメスの豚が、私たちを警戒してブーブーと大きい声で吠えてきました。

私は果樹園自体は以前別の場所でも数回は見たことがありましたので、およその想像が出来ていました。それ以上に私が関心が有ったのは、Sさんのようにユニークな青年が、一体どういう環境下で育ったのかということでした。私の今までのベトナム人との出会いでは、彼のような人物は初めての出会いでしたから。

彼は今はサイゴン市内にアパートを借りてお母さんと一緒に住んでいますが、お兄さんが経営しているこの農園を手伝うために、週のうち何回かはここに働きに来ているということを話してくれました。

そしてここには彼の部屋もあり、その中にある本棚には、日本語の本や中国語やロシア語の本などがぎっしりと詰まっていました。仏教関係の本も数え切れないくらい本棚に入っていました。

それは一時的な興味だけではおそらく収集は出来ないであろうと思えるような数でした。剣道の本までありました。剣道は二十代の頃に本を読んで研究したということでした。

私たちはしばらく休憩した後に、昼1時半頃からいよいよ彼の果樹園に歩いて入って行きました。彼の家のすぐ前が果樹園になっているのでした。家の前から歩いて2分もしないうちに果樹園の中に入りましたが、中は非常に歩きやすく、適当な間隔を置いて果樹が植えられていました。

ここではバナナが一番多く植えられていて、他には金柑やココナッツ椰子やマンゴスチンやドリアンやセリーやマンやジャックフルーツやザボンやマンゴーなどが植えられていました。

彼が言うには、ここで栽培している果樹には全然農薬を使っていないということでした。彼にこの果樹園の広さを聞きますと、「十ヘクタールくらいはあります。」という返事でした。何年前からこの果樹園が出来たのかと聞きますと、「祖父の時代からですから、約百年前くらいからです。」と言いました。

私たちが果樹園の中を歩いていると、目の前に突然大きい豪華なお墓が現れました。聞けば、6年前に亡くなったSさんのお父さんのお墓ということでした。彼の兄弟姉妹たちは、父親のお墓を作るに当たっては静寂な場所を選んだ結果、この果樹園の中に建てたようです。

結局私たちはこの果樹園の中を歩きに歩いて、約3時間くらいも過ごしたでしょうか。この果樹園で若い人たちと一緒に遊んでいる時に面白かったのは、ベトナム人の学生が椰子の木にまるで猿のようにスルスルと登って行ったことでした。ハシゴも何も使わずに、ただ手と足だけを使って器用に、何の苦もなくスルスルと登っていくのを初めて見ました。

そして果樹園の中で休憩した時に、Sさんが音頭を取って日越歌合戦をやろうということになりました。最初にまずベトナム人の学生が歌いました。ベトナム人のみんなが共通で知っている歌を、全員が唱和して、大声で歌ってくれました。

次は日本人が歌う番になって、この時に参加してくれていた大学生たちにマイクを向けましたが、皆んな恥ずかしがって自分からすすんで名乗りを上げて歌おうとする人がいません。

国際交流のために来たツアーなのに、その肝心の国際交流力が弱いですね。もっと考えさせられたのは、若い日本人のみんなが知っている、外国人の前でも全員で唱和出来るような日本の歌を、今の若い人たちは知らないという現実ですね。

ベトナム人の大学生たちは、一人が音頭を取ると、全員がそれに唱和して元気良く歌っていましたが、日本の大学生たちはみんなが知っているようなそういう歌を、共通の知識としては身に付けていないようでした。Sさんのほうがむしろ彼等よりも日本の歌を知っているようで、こういう場面でも、その場を盛り上げる努力を汗をかきながらしていました。

そういう彼の姿を見ながら、私は園内にあるバナナの葉を下に敷いて、果樹園の中を吹き抜ける涼しい風を肌に感じながら、Sさんのユニークでおおらかな彼の人となりは一体どういうような環境で育ったのだろうかと一人想像したことでした。

私は今回彼の田舎を訪問して、彼の仏教に対する強い関心のルーツを知りたかったのですが、それはとうとう分かりませんでした。彼の部屋にあった多くの仏教の書籍は彼の関心の結果であって、その関心の初めの動機ではありません。

それで果樹園の訪問を終えた後彼に、「どうしてまた仏教や悟りの世界に憧れたんですか。」と再度聞き直しました。彼は一瞬沈黙した後に、「実は、自分でもなぜそういうのに憧れたのかが良く分からないのです。ある時を境にして自然に深くのめり込むようになり、気が付いたら今のこういう自分があるのでした」と答えてくれました。

それを聞いて私は、彼のような人間と出会えたことを幸運とも思い、これから友人として永い交友を結べることを大変嬉しく思ったのでした。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <環境汚染と病気との関係> ■
この数年間、近所や家族から「テレビの音が大きすぎる!」と文句を言われてきたDおじいさんが、耳鼻科の病院に診断をしに行って、X線を撮って検査した。その結果、医者の診断ではおじいさんは「難聴だ」という結果が出た。

医者が言うには、このおじいさんに限らず、一般的に難聴の原因は騒音度数の高いところで長い間働くとか、生活環境自体が騒音に囲まれているとかが多く、それで神経が麻痺して聴く能力が弱くなっているからだということだった。

Dさんも若い頃は普通に聞こえていた。時にはずいぶん遠くの音も聞こえていた。耳がいい時は、大きい音がしたら「耳が痛い!」というほどだった。それがここ最近3年前くらいから、ひどい騒音にも慣れて来て、小さい音だったら聞こえなくなってきたのである。

医者がそのように診断してDおじいさんに説明しても、最初は信じられない様子だったが、詳しく説明していくうちにDおじいさんも分かってきて、「大きい騒音がそんなに耳に悪いと分かったら、今後注意していきます。」と答えて帰って行ったのだった。

この事例に限らず、今ベトナムの経済が発展していく中で、環境汚染によるものと思われる様々な病気の割合が高くなっているのである。ある場所によっては、他の場所と比べても病気の割合が異常に高い地域もある。

ハノイにあるThuong Dinh(トウーン ディン)地区では、慢性肺気腫の割合が6.4%に達している。他の地区では2.8%しかないのにである。呼吸器系の病気は36.1%以上、他の地区では13.1%以下。目に異常のある割合は、28.5%、他の地区では16.1%。肺の機能障害29.4%、他の地区が22.8%などである。

このように他の地区と比較しても異常に高いThuong Dinh地区の数字は、研究者によると、この地区の環境汚染の悪化が様々な病気を引き起こしているのではないかと考察しているのである。

都会では以前肺気腫という病気は少なかったが、今は段々と多くなり、症状も重くなって来た。Y先生によると、鼻炎の患者も最近は多くなり、しかも以前は鼻炎は鼻水だけが出ていたが、最近はノドの炎症や呼吸器系の症状にまで広がってきているという。

サイゴンの児童病院のT先生は、「都会のように人口密度が高いほど、そこの環境汚染のレベルの高低が、そこで生活している住民の病気の主な原因となっているのです。」

「ガンや中耳炎や気管支炎や白血病や先天性障害児など、環境汚染による病気との因果関係はベトナムではまだ究明されていません。しかし今子供たちを診察していまして、最近のいろんな病気の症状は環境汚染と密接に関係があると思います。」と話してくれた。

(解説)
“環境が汚染される”というのは、直接的には「空気・水・土」に影響が出てくるものでしょう。そして今のサイゴンにおいて、この「空気・水・土」のレベルは、どんどん悪化しているというべきでしょう。

サイゴンに住んでいる人たちの飲み水は一体どこから来ているのかと聞きますと、いくつかの取水口はあるようですが、実はあのSさんの田舎のBinh Duongにもあるということでした。

そのSさんがいうには、そのBinh Duongにある河(ドンナイ河)に工場の排水がドンドン流され、新興住宅地や団地に住む人たちのゴミがバンバン棄てられているというのですから、堪ったものではありません。

工場の排水を取り締まる規則はあるようですが、Sさんによると(そういう場合でも、ワイロを公安に渡せばお咎めなしです。)と言うことですが、実際は行政側が何も手を打っていないのが現状のようです。

ゴミの問題も、まずは分別ゴミの棄て方からスタートしないと解決しないのですが、昨年の新聞には今年からサイゴン市内の一部の地区では分別ゴミの回収が始まると載っていましたが、全然まだ一向にスタートしません。

こういうシステムを作るためには、まず分別ゴミを集めたのを最終的にどう処理するかのノウハウと、大規模なその処理施設が必要になるのですが、この国の関係者の人たちはどうもそこまで思い至らなかったようです。

ですから結局今でも生ゴミも、プラステイック類や燃えないゴミも一緒くたにして、ビニール袋に入れてポーンと路上に放り投げて終わりです。私が住んでいる地区などは、そういうゴミが朝や夜には道路に山のように棄てられて放置されています。そしてそれを、朝から夜まで清掃員が片付けている光景が見られます。

さらにはサイゴンでは自分の家の前にあるゴミを回収してもらうには、ゴミ回収員にお金を払わないといけないので、自分の家から出たゴミは家の前には置かずに、わざわざ少し離れた他人の家の前や、車やバイクが走っている道路まで運んで行って棄てて行く不心得者もいます。

さらに言えば、大気の汚染も最近は市内は交通渋滞が激しいせいかヒドイですね。昨年から、通勤・通学でみんなが家路につく夕方くらいになると、市内の交差点の至る所で、もの凄い交通渋滞が発生するようになりました。

ひどい時には、5分も10分もバイクに乗ったまま身動きが出来ませんので、その間は前のバイクや回りにいるバイクが吹かしている排気ガスをモロに吸わないといけません。しばらくすると、排気ガス特有の匂いで目はチカチカしてくるし、息も苦しくなって来ます。

以前はマスクをすると暑いし、面倒なので、私はしていませんでしたが、今は(これはタマラン!)と思い、毎日マスクをして外出しています。しかしこれはただの布で出来たマスクですから、どれだけの効果があるかは疑問ですが、しないよりはマシというくらいです。

そういえば最近のニュースで、日本のODAでサイゴンと郊外を結ぶ地下鉄の工事が開始されたと流れていましたが、それが完成するのは予定では6年後、実際には10年後くらいと考えておいたがいいでしょうが、それまではこの交通渋滞の状態が続いていくことになるでしょう。

また地下鉄が完成しても、百メートルくらいでも歩くのが嫌いなベトナムの人たちが、実際どれだけ利用するかは分かりません。

サイゴンにおける「空気と水」の問題が良い方向に改善してくれればいいのですが、「いずれ改善されて、明るい光が見えてくるだろう。」とは、私は全然楽観していません。

そういう意味では、毎年夏にベトナムに来てマングローブを植えてくれている「マングローブ親善大使」の生徒たちの活躍は、ベトナムのきれいな空気を作り出す上で、体験植林ではあっても大いに貢献していることだと思います。

今年でまた9回目を迎えますが、生徒たちや、いろんな方々が日本から来て頂いてカンザーに植林してもらいましたが、今まで植えたマングローブの数、それらを全て合計すれば1万本は超えているでしょう。

「マングローブ植林行動計画」の浅野さんの活動は、この百倍に達するくらいには植えているでしょうが、カンザーに行くたびに今まで生徒たちが植えたマングローブが少しずつ小さい森を創り出してくれているのを見ると、そのたびに感動して来るのです。


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