春さんのひとりごと
<M選手の結婚式に思う。・・陰徳について・・>
今からちょうど6年前のことになります。当時私の知人が、日本の有志の人たちが里親となって、ベトナムの経済的に恵まれない生徒たちを支援する団体で働いていました。
その知人はベトナムの貧しい生徒たちを支援するために、日本の人たちから預かったお金を毎月奨学金として支給するため、その生徒の選別や、里親になって頂ける日本人たちの募集活動をしていたのでした。その団体は今も、あの有名なD日本語学校の中にあります。
そして日本人からその奨学金を受けた生徒たちは、学期に一回くらいのペースで、里親の人たちに対して学校での試験の結果報告と、里親の人に対してのお礼の手紙をベトナム語で書いていました。そして今度はそれを受け取ったスタッフが、次に日本語に訳して里親の人に渡すということをしていました。
しかし何せその生徒たちの人数も多いので、少人数でやっているその人たちだけでは翻訳の手が足りず、サイゴン在住の、ボランティアで翻訳をして頂ける日本人に依頼して、その手紙を日本語に訳してもらっていたのでした。
私にもその翻訳の依頼が回って来て、「いいですよ。」と引き受けました。一人の生徒が書いている手紙の枚数はさほど多くは有りませんでしたが、大体一回で4〜5人ぶんの翻訳をして、それが終わるとその手紙の翻訳をスタッフに渡すようなやり方でした。
それを引き受けてしばらくしたころ、私がある生徒の手紙を読んでいた時に、手紙の冒頭に書いてある[敬愛する恩人:〇〇〇〇様]の名前にM・Hという名前が書いてありました。もちろん生徒はベトナム語のアルファベットで書いています。
しかしそれは、日本のあの有名な野球選手とローマ字表記は同じでした。(単なる偶然の、同姓同名の人かな・・・?)と思い、その時は気にせずにそのまま訳していきましたが、しばらくしてまた別の生徒の手紙を訳していた時に、こんどはM・Mという名前がありました。それはまた、その野球選手のお父さんの名前と奇しくも同じでした。
それでこの(敬愛する恩人:M・Hさんとは、やはりあの有名なM・H選手のことだろうか?)と推測し、訳し終えた手紙を渡す時に、そこの日本人の担当者にさりげなく聞いてみました。
するとその人は、「はい、そうですよ。」と肯定もせず、「いいえ、あのM・H選手ではありません。」と、強く否定もしませんでした。ただ下を向いて笑っていただけでした。
それを見て、(もしかしたら・・・)という私の推測は、(やはりそうなのか・・・)という確信になりました。この頃はちょうど、M・H選手がアメリカの大リーグに入るために大志を抱いて雄飛する時期ではなかったのではないでしょうか。
この時M・Hさんにお礼の手紙を書いていた女子生徒は当時16才でしたから、今は22才くらいになっていることでしょう。その手紙には、M・Hさんが日本では有名な野球選手であることなど一切触れられてなかったので、[敬愛する恩人:〇〇〇〇様]がどういう人なのかは、その生徒自身も何も知らなかったということでしょう。
またたとえ知ったにしても、ベトナムでは野球というスポーツはあまり人気のあるスポーツではないので、彼女自身も強い関心を持つことはなかったでしょう。
私自身も興味があるのは高校野球だけで、日本では故郷の高校がテレビに登場した時だけは手に汗を握って観ます。しかし、日本にいる時にはプロ野球には全然関心がありませんでした。そして今でもそうです。
しかしこのことがあって以来、このベトナムから私自身はM・H選手に強い興味を個人的に抱いて来ました。特に彼がアメリカに渡ってからは、ますます彼に対する私の関心は深まりました。しかし野球に興味のない私の関心事は、野球の記録ではなくて彼のその人となりです。
テレビに映る彼のあくまでも謙虚な人となりは、多くの人たちを魅了する彼の美質の最たるものでしょう。そしてその彼がテレビに映っている姿を観ながら、誰にも言わずに異国の地で多くの貧しい生徒たちを支援している彼の素晴しい志が、私の目にはオーバーラップして映ってくるのでした。
私が学生の頃漢文を習っていた時、「陰徳」という言葉に出会いました。その詳しい内容は、今となってはすっかり忘れてしまいましたが、その言葉だけは今でも忘れずに鮮烈に覚えています。
そして20世紀に私たちがそれを学校の授業で普通に習っていたというのは、昔の歴史世界に生きていた中国人のそういう人生哲学に、現代の日本人でも共鳴・共感する人たちがいればこそでしょう。
このことは今まで誰にも話さず、私の胸の中にずっと封印して来ましたが、「M選手結婚!」のあまりに嬉しいニュースをテレビで観て抑えきれぬ気持ちになり、その封印を解くのは、あらゆる人たちから祝福される結婚式という晴れの舞台の、今しかないかなと強く思いました。
もし今解かないでそのままにしていたら、いずれ私自身がずっと封印したままあの世に雄飛してしまいそうだからです。 M選手は怒らずに、笑って許して頂けるでしょうか。
そしてベトナムの一人の女子生徒がその時書いていた次の言葉は、新郎のM選手とその新婦の結婚に寄せるお祝いの言葉として、このベトナムからの最高の祝辞の言葉になるのではないでしょうか。
“ベトナムの言葉でこういう言いかたがあります。あなたのような「人にやさしい人は、その人自身がこれから巡り合う人もまた、やさしい人に巡り合うことが出来、その人の仕事もまたいい運命の花が開くことでしょう」と。”
Chuc Mung Dam Cuoi !
(ご結婚おめでとうございます!)
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