春さんのひとりごと
<日本から来た歯医者さんたち>
先日、私の教え子が、「先生、日本から歯医者さんたちがや って来て、今度の日曜日にメコンデルタの田舎に出かけて 行って、ボランティアでこどもたちの歯の治療を行うそう です。」 「そしてその時の通訳などの手伝いを募集しているので、 私も参加したいと思い申し込みましたが、先生も参加しませんか。」と、私を誘ってくれました。
「へえ〜、それは いい ことだね。よーし、一緒にみんなで手伝いに行きまし ょう!」 と、私も参加させて頂くことになりました。
当日は私の教え子が4人と、サイゴン市内にあるD日本語学校の生徒さん2人が、通訳兼手伝いとして参加してくれました。
今回日本からは約20人弱の人たちが参加されていて、歯医者さんが3人と、歯科助手の人たちと、そして大学生や高校生や、さらにはどう見ても若すぎる生徒がいましたので良く聞きますと、何と中学生までが参加していました。この方々すべてが、ボランティアの活動です。
私たちはサイゴン市内を8時過ぎに、大型バスに乗って出発し ました。 行き先は Long An (ロン アン)省にある Thu Thua (トゥー トゥア)郡にある村の学校です。この場所は、 サイゴンから観光客がメコンデルタ見学に向かう、ミートー ・カン トー方面と同じ南西方向にあります。
私はこの方面へ行く時には、今までいつも5区の方から下って行っていましたが、今回は7区の方から行きました。 7 区と言えば、あの 日本人Fさんが創った、授業料無料の小学校、 Saint Vinh Son (セイント ビン ソン)小学校もこの地区にあります。
この7区という場所は、以前は湿地帯の野原のような場所だったようですが、この広大な野原に目を付けた外国の資本家によって大々的に開発されて、道路も広く造られ、環境も整備されていて、高層マンションが立ち並び、今やサイゴンの中ではここだけが別天地のような観があります。当然最近はこの地区の不動産の値段は高騰してしまい、もはや今普通の庶民には手が届く価格ではありません。
ふだんは私もこの方面に足を運ぶことは少ないのですが、たまたま今回はバスに乗ってこの7区の景色をじーっと眺めていました。そしてバスの窓から、外の景色をずっと見ていますと突然、ホーチミン主席が言った「金と銀の国、ベトナム」という言葉を思い出しました。ここの街造りを見ていて、その言葉が 将来実現する可能性をふっと感じさせる思いがしました。
私はサイゴン市内に住んでいますが、ここは一歩外に出ればあらゆる道路にバイクの群れが疾走しています。そしてそのバイクの騒音と排気ガスとホコリの中でも、サイゴンに住む人たちは(私も含めて)、次第にそのような生活環境に順応していきます。
でもやはりこころの中では、(静かな、落ち着いた、そこに行けばこころ安らぐ)ような場所を求めているのですが、 このサイゴン市内には私が求めるそういう場所など、めったにあるものではありません。そういう意味ではハノイのほうが、むしろ街としては落ち着いた印象があります。
それが今回この7区の景色をじっと眺めていますと、まだまだ整備途上の段階なのですが、私の目から見て(なんといい雰囲気なんだろうか・・・)と、こころ安らぐような情景が目の前に広がっているのでした。
サイゴン市内を一枚のキャンバスとして考えれば、もはや市内中心部やその近くには白い空白のスペースは残っていない状態ですが、ここは同じサイゴンでもまだ手付かずの広い空白が残っています。です か ら、まだまだ好きな絵を描ける余地があります。
この区域には、広い片側一車線の道路として、上り・下り専用に二つの車線が造られているのですが、その間に緩衝地帯して木が植えられていたり、花が植えられたりしています。
しかしその緩衝地帯のほとんどを占めているのは、ここでは優雅なハスと睡蓮の池でした。このハスと睡蓮の池が数キロメートルにわたって続いています。そしてちょうどこの時に、その池には赤いハスの花や睡蓮の花が咲いていました。そしてその池の淵に座って、釣竿を垂らしている人たちも数多くいました。日曜日にここで、このようにして優雅に過ごしている光景を見ていますと、お金は掛からないでしょうが、(何とのどかな、いい雰囲気だろうか)と思いました。
そのような情景がかなり長い距離に亘ってずっと続 いているのを見ていますと、(サイゴンにもこういう場所があったんな〜)と改めて思いました。
ですからやり方次第では、(というか、アイデアと金さえ掛ければ)、こういう素晴らしい環境が整った街造りが出来る可能性を、このベトナムという国は秘めているんだなーと思いまし た。
まあしかし、こういういい環境が整った場所でも平気でゴミを捨てる習慣が無くならない限りは、その実現の可能性は低いだろうとは思いますが・・・。
さて私たち一行は、約一時間半近く掛けて、だんだんと Thu Thua (トゥー トゥア)郡にある村の学校に近付いて行きました。私たちが乗り込んだバスは55人乗りの大型バスなのですが、田舎道に入ると舗装も途切れ、道幅も狭くなり、向こうからトラックが来た時など、路肩すれすれに離合出来るような危ない場所もありました。若い女性などは、「キキャー、 大丈夫・・?」と叫んでいました。
そしてここから先はもうバスでは行けないという場所まで来た所で、全員が降りて荷物をバスから一旦全部移して、そこからはフェリーに乗り換えての移動です。現地では抜歯や歯を削ったりするなどの治療も行うようなので、その荷物も結構な量でした。
しかし私たちが乗り込んだこのフェリーは、いかにもメコンデルタ地方ののんびりした雰囲気を漂わせたレトロなフェリーでした。バイクとかが積み込みやすいように、ちょうどカマボコ板のような平たい形をしたフェリーで、エンジンの音も大きくなく、クリークの中を静かにすべるように動いて行きました。
そしてそのフェリーに乗って20分ほどで、今回治療を行うことになっている目指す学校に到着しました。時間はこの時、9時半くらいになっていました。 そしてフェリーに移した荷物を皆んなで手で持って学校まで運んで、その中の教室にそれぞれの用途ごと(主に歯の検査だけの部屋と削る部屋。そして抜歯の部屋)に別けて器材も運び入れました。その器材を見て私も感心したのがあります。
小さいトランクの中には、簡易用の歯を削る器材がトランクそのものに組み込み出来るように作られていたのでした。後で聞きますと、 2000 年から毎年ベトナムを訪問していて、今年だけでも数回はベトナムの田舎の子供たちの歯の治療を行っているので、こういう器材は日本から持ち込んで来るのではなく、常時このベトナムに置いてあるということでした。
日本から来た歯医者さんたちが着いた時には、すでに学校の敷地内には多くの生徒たちとその父兄が待っていました。この学校には、同じ敷地内に小学校と中学校が建てられていて、 校長先生の話によると小学生が200名、中学生が194名在籍していて、今日は日本からわざわざ歯医者さんが来てくれるというので、そのうち約150名ほどの小・中学生が参加することになっているという話でした。
今回日本から参加した歯医者さんたちは岡山県からの人たちが多く、この活動自体は日本全国のいろんな県から数多くの有志の方がボランティアで参加されていて、すでにこの活動は 8年が経っていました。今回の団長のC先生は、今年のこの活動で6回目のベトナム訪問になったと話されていました。
しかもこのベトナムに来る日程は、日本での本業の仕事もしながらの調整が必要ですから、どうしても日本が連休に入る時を利用してベトナム訪問のスケジュールを組むしかないということでした。
それを聞いた時に、日本での本業だけでもさぞ大変でしょうに、さらにみんなが休暇でゆっくりしているその時に、わざわざベトナムまで来て、観光ではなくベトナムの田舎の子どもたちのためにボランティアで歯の治療に当たるというのは、並大抵のことで はない だろうなーと、その志の素晴らしさに本当に私は感心 しまし た。
しかも今回参加した人たちを見ますと、歯医者さんや歯医者の助手さんたち。そしてその助手さんの中には、女性の姿が多かったですね。今回参加していた高校生や中学生に良く聞きますと、今回のこの参加者の中に両親が来ているので、自分も大変興味を持って参加したのだということでした。そして彼らも大人に混じって、いろんな手伝いをしっかりとしていました。それは私が傍で見ていても、本当に頭が下がる光景でした。
さていよいよ9時半過ぎから受け付けが始まり、今日来た生徒たちは大まかには次の3つのグループに分類されて、それぞれ を分担する人たちのほうに振り分けられていました。
@ 虫歯が全然なく、そのまま帰って良い生徒
A 虫歯があるので、削ったり、虫歯の穴に詰め物をする必要のある生徒。
B 治療も無理なので、抜歯するしかないレベルの生徒。
そして外の廊下に受け付けの場所を作って、順番ごとに生徒を並ばせて、廊下でC先生ともう一人の年配の先生の2人で診察を行い、歯を削る必要のある子どもと、抜歯する子どもに振り分けて、それぞれの部屋に助手の人たちが案内していきました。
抜歯する場合は、子どもとその親に「このまま放置しておいたら、後から生えてくる歯に悪いので、今抜いたほうがいいですが、どうしますか?」と確認してから抜歯をするということでした。ですから両親と本人が、「お願いします。」と言えば抜き、そうでない場合は敢えては抜かないということでし た。
私は今回Bの抜歯する生徒たちのほうを中心にお手伝いしていましたが、それでもAの治療を受けている生徒たちの部屋からは、歯を削るだけの作業のレベルでも「ワーーン」という 泣き声が聞こえてきました。そしてそういう姿を次に治療を 受ける子どもたちがじーっと、不安そうに窓越しに見ています。
しかし大人でも歯医者さんにかかる時というのは緊張するものですが、やはりまだ小学生くらいの年齢の子たちが多いので、歯を削るだけの治療でも大声で泣き喚いている生徒も多く、抜歯する部屋の子どもなどは、麻酔用の注射器を見ただけで「ワーー、ギャー!!」と火が点いたように泣き出す子どもが 多くいました。そういう姿もまた、次の順番の子どもは黙って 見ています。
いわんやいよいよ抜歯が始まる時には、それを体全体で嫌がる子どもには親や助手の人たちが手足を押さえ付けて、何とか抜歯をしていました。しかし中には、とうとう治療台の椅子に座るまでにも至らず、その部屋から飛び出して逃げ帰った中学生くらい男の子もいました。慌ててお母さんがその後を追いかけて行きました。みんな呆れて見ていましたが。
反対に、ある6歳くらいの女の子などは、涙一つも見せず、怖がりもせず、泣き喚くこともなく、黙々と口を開いて、黙々と先生の抜歯の治療を受けていました。年端もゆかないこのような年齢の子どもながら、実に気丈な子どももいるものです。
今回日本から参加された先生方は、この日午前中だ けで80人の治療を行いました。お昼になった頃、学校の 別の部屋でおそらくこの学校の先生方が調理したと思われ る昼食を頂いた後に、また午後からは70人ほどの子どもの治療を無事終えました。ですから合計ではこの日だけで、 当 初予定していた150人くらいの子どもを治療したことに なりま す。 最後には今日の参加者全員の子どもたちに、Tシャツや文房具などのお土産なども進呈していました。
たまたま最後の最後に、ある一人の子どもの歯がなかな か抜けなくて助手の先生が手を焼いていた時に、C先生が 「抜くと決めたら迷わずに抜く。そこにタメライがあってはならない。モタモタと躊躇しているから、子どもが長い時間の治療に堪えられなくて、抜く方の側にもさらにまたタメライ が出てくる。」という言葉を厳しく、助手の先生に与えてい ました。こういう異国の地に於いても、現場での実体験を通 して教育的な指導をしておられるんだなーと、傍で見ていて 思いました。
そしてそこですべての治療が終わって、荷物を片付けてまた来 た時のフェリーに乗り込んだのは、夕方の4時半を過ぎていま した。聞けば翌日もまた別の場所で、同じような治療活動を行 うということでした。
今回の一人の参加者に、「この活動に参加してどうでしたか。」 と 聞きますと、「海外で自分の学んだ経験が役に立つことが出 来る のが嬉しいです。」と言う答えでした。
こういう若い人たちが、そして医療技術を持った方々が日本か ら 来られて、ベトナムの田舎で活躍されているその姿は、同じ 日本人として実に嬉しく思いました。
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