春さんのひとりごと
<16人の卒業式>
5月末、 Saint Vinh Son (セイント ビン ソン)小学校で、今年卒業する小学5年生たち16人の卒業式がありました。2年ほど前のクリスマスイブの時には、教会で開かれたSaint Vinh Son 小学校のパーティーに出席しましたが、私はこの小学校の卒業式には今年初めて参加させて頂きました。
ベトナムでは小学校は5年生で終わり、中学校は4年間なので、小・中の通算の年数では日本と同じ9年間です。フランスも同じ教育体系を採り入れていますが、フランスの植民地下にあったベトナムの教育制度は、そのフランスの影響を受けているのかもしれません。
この日の卒業式には、ベトナム人の先生が6人と、日本人が3人出席しました。ベトナム人の先生たちは全員が女性でした。日本人は私と、あのAさんと、Tさん夫妻の奥さんのRさんでした。学校創設者のFさんは、この時期は日本へ“出張”されていましたので、卒業式は奥さんのOanh(オアン)先生がすべて準備、運営されていました。
私は Aさんから事前に、「今回のSaint Vinh Son の卒業式には、日本からRさんも来られますよ。」ということを聞いていました。そのことを聞いた時に、遠い日本から飛行機代やホテル代まで自分で払って、ベトナムの生徒たちの卒業式に参加されるRさんに対して、(何という熱いこころを持った人なのだろうか。)と思いました。
Rさんは今回のベトナムの卒業式に出席するに当たって、子どもたちへの贈り物として、女子の生徒たちには手作りの櫛と、男子の生徒たちには腕時計を日本から持ち込んで来られました。さらに日本のお菓子なども持って来られました。今回もさぞトランク一杯に荷物を詰めて、遠い日本から持ち込んで来られたのでしょう。
わざわざ異国の子ども達の卒業式のために、今年の卒業生たち16名一人一人にお土産を自分の手で作製したり、他学年の生徒たちには全員に行き渡るお土産を準備して、長野県からベトナムまでそれを運んで来られたのでした。
私は卒業式の二日ほど前に、Aさんと一緒に、ベトナムに着かれたRさんにお会いすることが出来ました。Rさんは、「今年卒業する5年生は、私にとって思い入れが強く、特に生徒たちは一人・一人が楽しく、個性的な子が多くて、あの子達が卒業する時には、何とかして出席したいなーと思っていたんです。」と、まるで我が子の卒業式を待つ親のような表情で話されたのでした。
当日は朝の9時から卒業式が始まりました。今日の式は、午前9時からの部と、午後2時からの部の2回転で行われました。午前は5年生の卒業生たちと、1年生、2年生たちでした。午前の部には、全部で約50人くらいの生徒たちが参加していました。午後の部は、5年生と3年・4年の生徒たちで、40人くらいの人数でした。
この卒業式を行うに当たっては、実はベトナムでは普通、卒業する生徒たちがいろんな準備を自分たちでしているということでした。この学校でも、卒業生たちは在校生たちよりも早く来て、教室内の飾り付けや、生徒たちに配る準備物なども、 Oanh先生の指示を仰ぎながら、事前にみんなで買出しに行ったりして、今日のこの日を迎えたのでした。
そして今年の卒業生の中で一番しっかりした女子を司会役にして、卒業式が始まりました。その司会の子が手に持っているノートを見ますと、今日の卒業式の流れが、ノート一ページにびっしりと書いてありました。
午前も午後も式の内容は同じ流れでしたが、卒業してゆく5年生は、2回転目の式が終わるまで家には帰らずに、ずっと学校にいました。本当は一回転で行うほうが良いのでしょうが、全員を収容出来る広い部屋がないので、やむ無く2回に分けて行っていたようです。
この時間帯に参加した生徒たちの先生方も、それぞれが自分が受け持っている学年のほうに出席されていました。校長のOanh先生を含めて、全員が女性の先生たちでした。他の女性の先生方は、今日のこの日だからなのか、普段もそうなのかは知りませんが(私自身はそう頻繁に会うことはないので)、薄く化粧をされていました。
しかしOanh先生は普段もそうなのですが、今日のこの日もいつもと変わらない素顔のままです。彼女はいつもその素顔のままで、ニコニコした笑顔を振りまきながら私たちに接してくれます。私はそのOanh先生の明るい笑顔がたまらなく好きです。子どもたちもおそらくそういう風に感じていることでしょう。
この日の卒業式では、まず卒業生たちへのプレゼントとして、 Oanh先生から全員の生徒たちに対して、次の中学校でもしっかり頑張って欲しいという思いからなのでしょう、ノートや文房具などの進呈がありました。そのノートは1冊や2冊どころではなく、10冊くらいはある重さでした。5年生の中でも特に成績の優秀な数名には、さらにまた表彰状とプレゼントがありました。
さらには在校生の中の、各学年の成績優秀者にも、このノートのプレゼントが用意されていました。 Oanh先生が優秀者の名前を読み上げて、この日出席していた全員の先生たちが、その生徒たちへ表彰状ときれいに包装されたノートを渡しました。
そして今日のこの日の卒業式には、在校生である1年生から4年生までが、いろんな趣向を凝らした劇や歌を準備してくれていました。歌について言えば、ベトナムの生徒たちがこういう時に歌う曲は、日本の卒業式の時歌うような寂しい歌ではなく、明るく・元気な歌のほうが多いですね。
2年生の子どもたちが披露してくれた寸劇には、先生たちも生徒たちも全員が笑っていました。今日のこの日のために、 10数人の2年生全員が事前に準備して、何回も練習していてくれたのでしょう。今日が最後を迎える5年生に対して、みんなでお祝いをして上げようという子どもたちの気持ちがよく伝わりました。
そして式の途中では、今までお世話になった先生たちには卒業生たちから花束の贈呈がありました。ベトナム人の先生たちだけではなく、AさんやRさんや私にまで、生徒たちが花束をプレゼントしてくれました。AさんやRさんは少し目が赤くなり、私もジーンとしてきました。
そして花束を受け取った後、Rさんは日本から持ち込んだ手作りの櫛や、時計やお菓子などを生徒たちに渡されました。この時私はRさんが、自分で女子の生徒たちのために作成したというその櫛を初めて見ました。
市販のプラスティックの子ども用の小さい櫛の背の部分に、本物そっくりなお菓子や可愛らしい果物の小さいパ−ツをデコレ−ションしてありました。一見しただけでは本当の果物のような、見事に写実的なミニチュアの果物が櫛の背に取り付けてありました。
Rさんが言うには、こういう作成の仕方は「スイ−ツデコ」というそうで、一個を作成して接着剤が完全に乾燥するまでは、3日くらい掛かったそうです。しかも一つ一つが全て違うデザインであり、違うパーツを使用して作られていました。まさに「世界に一つだけの櫛」なのでした。
それをRさんから貰った女子の生徒たちの喜んだこと、喜んだこと。ベトナムの先生たちも、まるで本物のお菓子のような、その実に見事な出来栄えに感嘆して、「来年は私にも!」と、Rさんにお願いしていました。横で見ていた男子生徒も、その櫛に興味を持ったらしく、それを使って自分の髪を梳かしていました。これを受け取った生徒たちには、生涯の宝物になるでしょう。
そして Oanh先生は、16人の生徒たちが「私の希望」というテーマで書いた作文を読み上げられました。その内容は、今までこの学校でお世話になったことへの感謝。そして将来の自分の夢と目標が、ノートに書いてありました。いろんな夢を生徒たちは書いていましたが、一番多かったのは「先生になりたい!」という言葉でした。
子どもたちがそういう夢を描くというのは、今まで生徒たちに接して来たベトナム人の先生や、Aさんのような日本人の先生方の愛情や優しさを、彼らが感じてくれているからこそでしょう。
そして式の終わり頃に、 Oanh先生が「卒業生と今日集まった生徒たちのために、何か日本の歌を歌って下さいませんか。」と私にリクエストされましたので、以前カンザーへここの生徒たちと一緒に行った時に歌った、「幸せなら手をたたこう!」と「四季の歌」を歌いました。Aさんがふだんの授業でも、時々これらの歌を教えているようなので、この日も私が最初に歌った後に続いて、みんなの生徒たちが上手に歌ってくれました。
そして最後には、「今日の日はさようなら」を歌いました。これは今日の卒業式に合わせて、今回初めてみんなの前で披露しましたので、その歌詞を黒板にローマ字で書いて教えながらゆっくり歌いました。短い歌詞だということもあるのか、最初一回歌っただけで、二回目はふつうの速さでみんながちゃんと最後まで歌ってくれました。
日本の歌が終わった後には、 Oanh先生がベトナム人の生徒たちと一緒に、ベトナム版の「今日の日はさようなら」を歌って」くれました。ベトナム語の題名は、「Gio Chia Tay(ゾー チア タイ:別れのとき)という歌の名前でした。日本の「今日の日はさようなら」はスローテンポの、少ししんみりとした感じのする曲ですが、このベトナムの「別れの歌」は大変リズミカルで、にぎやかな歌でした。
そして今日の卒業式の午後の部は、4時くらいに無事終わりました。最後には全員が教室の外に出て、路上での記念撮影をして終わりました。しかしなかなかみんなはすぐ帰ろうとはしません。卒業生たちはもちろんですが、在校生たちも先輩や先生たちといろんなことを話していて、すぐには学校を離れませんでした。AさんとRさんと私は、卒業生たち一人ずつに、「中学校でも頑張れよ!」と、固い握手をして別れました。
この日の卒業式に朝から夕方ころまで初めて参加して、私は“手作りの卒業式”という印象を持ちました。先生たちも生徒たちもこころから喜び、笑い、感動し、そして別れが迫ると涙ぐみ、今日から次の学校へ巣立つ生徒たちへ、今日の参加者全員でお祝いをしてくれていたのでした。
こういう卒業式であれば、(子どもたちのこころにも一生忘れられない思い出として残る卒業式なのではなかろうか・・・)と思いました。それにしても今日のこの卒業式を事前に、周到に準備してくれていた Oanh先生は、どんなに大変だったろうなと思いました。
そして後で Oanh先生がAさんに話してくれたそうですが、全部の在校生たちが帰った後でもまだ卒業生たちは全員残っていて、すっかりみんなが帰ってしまって誰もいないガラーンとした教室の中で、Oanh先生を囲んでみんながワーワーと大声で泣いたそうです。Oanh先生もまたこの時、生徒たちとの今までの5年間の様々な思いが蘇って来たことでしょう。
彼ら全員の生徒たちが、今までお世話になったこの学校にもう来ることはない、この教室で勉強することはないんだということに思い至った時、その瞬間に子どもたちの感情が極まったのでしょう。後でそれを私も聞いた時に、深い感動を覚えました。この時の生徒たちの涙は、次の中学校に進んだ時に、彼らのこころの支えになっていくことでしょう。
そしてさらに言えば、実は今回の16人の生徒たちの卒業に当って一番頭を悩ませていたのは、創立者の日本人FさんとOanh先生。そしてAさんやRさんたちでした。
国名には「ベトナム社会主義共和国」という名前を掲げながらも、小・中学校の教育費は無償ではないこの国では、貧しい家庭の子どもたちは中学どころか、小学校にもいけない、親が行かせないという厳しい現実があります。故ホーチミン主席がもし生きて戦後の国造りに当たっていたのなら、 [小・中学校の教育費は無償とする!と宣言したのでは・・・]と想像するのは、私の淡い幻想でしょうか。
ですから中学に進学するにあたり、貧しい家庭であってももし上の学年に進学したければ自分たちで学費を払わないと進めないというベトナムの今の状況を考えた時に、果たして「今年 16人の子どもたちが小学校を卒業した後に、全員がそのままちゃんと中学校に進むことが出来るか、どうか。」というのが最大の問題点でした。
と言いますのは、この子どもたちの中には、お父さんがすでに亡くなっていたり、両親のうち片方が怪我をしていて働いていない家庭もあったからです。昨年は卒業生の内、ちゃんと中学に進学出来たのは8割だったそうです。つまり昨年は、2割の生徒たちが中学校には進めずに、 11歳くらいで何らかの労働に就かざるを得なかったということです。
それが今年の卒業生たちの場合は、Fさんの同級生でもある知人がたまたま飛行機の機内誌を読まれたことが縁で、スムーズに解決しました。その機内誌には、 Fさんのベトナムでの活動内容が詳しく紹介されていました。その方は小学校の同級生だったようで、小学校を卒業以来絶えて久しく会っていないFさんの名前を見てまず驚き、そしてまたそのFさんがベトナムでそのような活動をされていることに、深い感銘を受けられたのでした。
ですから、その方は同級生である Fさんがベトナムでそういう活動をされていることを、その機内誌を読んで初めて知られたのでした。それから以後、同級生であるFさんが創ったSaint Vinh Sonの活動に、継続的な支援をされるようになったということでした。
Fさんの知人は、日本では有名な家具の会社に勤務されていて、その会社はもともとそういう活動に深い理解を示していた会社だったらしく、今回こころよく16名全員の中学4年間に亘る奨学金を支援して頂けることになったのでした。それを聞いた時、生徒たちは当然ですが、FさんやOanh先生の喜びがどんなに大きいものであったことかと想像します。
Rさんは以前Fさんから聞いた言葉で強く心に残った言葉として、次のようなことを私に語ってくれました。Fさんはある日、 Saint Vinh Son の子どもたちに愛情を注いでくれているRさんに次のように話されたそうです。
「普通の大人になってほしい。」
「子どもたちに小学校をきちんと卒業させるのは、何も大学に行ったり、立派な大人にするためではないのです。普通の大人になってほしいからなのです。」
「教育を受けていないと、大人になった時に人を傷つけたり、騙したり、いろんな罪を犯したりして、安易な方向へ流れて行ってしまいます。しかしこの学校で教育を受けた子どもたちは、そういう事がいけないという正しい判断が出来、人に迷惑を掛けない“普通の大人”になってくれればよいのです。」と。
何と意味の深い、すごい言葉なのでしょうか。直接Fさんを知る者の一人として、私は今のこの時も、 Saint Vinh Sonの子どもたちのために日本で額に汗を流しながら働いているFさんのこの言葉に、震えるような熱い感動を覚えて、ただただ静かに聴いていました。
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