春さんのひとりごと
<T君の帰国>
それは実に3年ぶりのT君とのベトナムでの再会でした。今から3年前の2000年に、彼は日本に飛行機でカバンひとつを持って飛び立って行きました。彼とはこのサイゴンで知り合い、私は彼の明るい性格がたまらなく好きで、時々彼と同じように日本に仕事に行く友達と、一緒に食事をしたこともありました。
その彼が、日本の人材派遣センターが募集する仕事に応募して、日本ではお金をしっかり稼げるという夢を抱いて、日本行きを決めたのでした。この時彼は32才。
もちろん日本に行くにあたっては、タダで行けるはずもなく、日本円にして約30万円の保証金を積まなければならなかったと言います。ちなみにこの30万円という金額は、普通のベトナム人の年収の2年半〜3年ぶんに当たります。日本で働く契約期間は3年間でした。そしてこの保証金は、3年後にまたベトナムに戻る時に本人に返してもらえることになっていたそうです。
日本に着いた後、彼は仕事場を高知県に割り当てられました。仕事の内容は機械工でした。高知県と言っても市内ではなく、田舎の山奥のほうに連れて行かれたそうで、そこは何の娯楽もなく、また日本にいながら日本人と付き合う場面も少なかったそうです。
そしてこの時彼と同じ時期に、日本に行ったベトナム人は日本全国にまたがり、高知県だけでも500人はいたといいますから、日本全国ではどれだけの数になるかは想像も付きません。彼と同じ会社には20人のベトナム人が働いていたといいます。
3年間の間、給料は1ヶ月7万数千円で、家賃や電気代は会社負担で、食費のみ自分で払えば良いという条件で、さらに休みは土・日隔週休みで、1ヶ月に6日の休みが与えられていたといいます。
しかし日本での仕事にも慣れたある日、突然彼は災難に襲われます。機械の旋盤をしていた時に、ちょっとしたミスから、彼は左手の小指を根元から切断してしまったのです。すぐその切断した小指を持ったまま病院に駆け込んで、縫合手術をして治療すること4ヶ月。
幸い小指はつながりましたが、神経を繋ぐ手術だけでも5回を行い、その間ずっと彼は病院に寝たきりだったのです。そして両親も兄弟も親戚も見舞に来ることのない異国の病院で、じっと彼は傷が癒えるのを待つしかありませんでした。
病院のベッドに寝ている間に、傷の痛みと異国で遭った災難に彼は毎日涙を流していました。そして彼はこのことをベトナムにいる両親に知らせるべきかどうか大いに迷いましたが、「知らせたら、遠い異国での事故だけに両親に心配を掛けるだけだろうな・・・」と結局両親への連絡は思い止まり、結局その事故のことは両親には日本に帰るまで黙っていたそうです。そして彼の両親は彼がベトナムに帰国して初めて、そのことを知りました。そのことを聞いた時、私は思わず涙を流してしまいました。
ただ傷も癒えてしばらくすると彼が病院のベツドに寝ている間に、同じ病室にいる日本人の人たちが、外国人の彼を毎日のように慰めに来てくれたそうです。そして無事傷も癒えて退院して、また仕事場に戻り、ようやく3年後に故国ベトナムに戻ることになったのでした。
日本にいる間も、ほとんどどこにも遊びにも行かずに、お金を貯めてベトナム帰国後の生活設計を彼は考えていたといいます。彼のベトナムでの新しい仕事はタクシーの運転手です。日本で貯めたお金で韓国製の車を自分で買い、それで新しい仕事を始めるんだと今やる気になっています。
*彼の新しい仕事に幸せ有れ!*
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