春さんのひとりごと
<日本人のつくった学校>
先日日本から来た知人4人を案内して、日本人がベトナムに創った私設小学校を訪問しました。場所はホーチミン市の7区にあり、市内から車で20分ほどのところにあります。
この小学校は日本人男性のFさんと、その奥さんでベトナム人のOanh(オアン)さんが2人で一緒に始めた私設の小学校です。名前はSaint Vinh Son(セイント ヴィン ソン)小学校といいます。今から6年前に建てられました。現在生徒は、全部で約100人います。
今ベトナム全土の人口は8100万人。ハノイ市の人口が300万人、そしてホーチミン市はその2倍以上の700万人が住んでいるといわれます。この中にはもとはメコンデルタに住んでいて、洪水で家や田んぼを流され生活に困窮して、やむなくホーチミンのような都会に出て行き、最初はゴミ拾いなどの仕事しかないような、まさに最低限の生活を送っている人たちが数多くいます。
夕方になると今でも、サンダルも履かずにハダシで、貧しいみなりをした人が、左手に大きなビニール袋、右手にヒバシを持って道路のゴミを漁っている光景を良く目にします。彼らはその集めたゴミをまた別の所に持って行き、日本円にして5円・10円単位で現金に換えて、ようやくその日の食を得ているような状態なのです。
そういう彼等にももちろん家族があり、子供もいます。子供たちもまたゴミ拾いをしたり、宝クジを売ったりしています。しかし何といっても最大の問題は、地方から流れて来た彼ら両親が戸籍がないために、その子供たちもまたこのホーチミン市に戸籍が存在しないことです。
子供たちが通学年齢に達した時に直面する問題は、地方から出て来てホーチミン市に戸籍のない子供は、公立の小学校には通うことが出来ないということなのです。学校教育を受けていない子供は、話すことは出来ても満足には字も書けないし、いわゆる「読み・書き・そろばん」の初歩的なレベルも身に付けることが出来ません。
成長しても満足な教育を受けていない子供たちは、将来大きくなってもまともな仕事に就くことも出来ないので、そういう子供たちの大部分が悪事に手を染めたり、非行に走ったりするというパターンになります。
そういう現状を近くで見て、「このままではいけない。何とか自分たちの力でそういう子供たちにまともな教育を受けさせてあげたい!」と、同じカソリツクという共通の信仰を持つ2人で6年前に創り上げたのが、このSaint Vinh Son小学校なのでした。
ここに通う子供たちは無料で授業が受けられますので、子供を学校に通わせるなど今まで考えもしなかった貧しい家庭の親が、自分の子供をようやく通わせることが出来るようになり、今では3つある教室にあふれるほどの生徒がいます。
最近はこの地区の人民委員会も、この施設の存在の貢献を認めてくれるようなになり、ここで勉強した生徒たちは公立で勉強した生徒と同じ扱いをしてあげるということになり、公立の小学校の卒業試験への参加も認め、それに合格すれば公立小学校を卒業したものと認めてくれるようになりました。
しかしここで教えてくれているベトナム人の先生はボランテイアではなく、当然彼等には毎月給料を払っているのですが、ベトナムの政府からも日本の団体などからも援助などは一切なく、ここで掛る経費のすべては、FさんとOanhさんが2人だけでやりくりしているのでした。Fさんはそのために一年のうち3分の2を日本で働いていて、その給料をすべてこの施設の維持に充てているということです。
この施設を訪れる前にOanhさんに、「せっかく日本から知人が訪問するので、子供たちが喜ぶものを何かプレゼントしたいのですが、何がいいですか?」と聞くと、「9月になると新学期が始まりますので、子供たちは学用カバンが一番喜ぶと思います」ということなので、一個100円くらいのカバンを100個ほど買って、生徒みんなに上げることにしました。
そして当日その小学校を訪問することになり、我々が教室に入ると生徒みんなが教室の中でさっと立ち上がって挨拶してくれて、まず歌を唄って迎えてくれました。日本から来たみんなが挨拶をしたあとそれぞれ自己紹介をして、ベトナムと日本のことをしばらく話し、そして生徒たち一人・一人にみんなでカバンをプレゼントすると、みんなこころから喜んでくれました。
教室の中の一人の生徒に「将来は何になりたいですか?」と質問すると、「いままで学校に行けなかった僕が、今ここでこうして勉強出来るようになりました。将来は僕も社会の役に立てるような仕事をしたいです」と、明るく答えてくれたのが大変印象的でした。そして別れる時、みんな遠くから姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振っていてくれていました。
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