春さんのひとりごと
< ベトナムで『夕鶴』の上演 >
あの木下順二の有名な戯曲『夕鶴』がベトナムで初めて上演されました。演じたのはすべて全員がベトナム人の役者さんたちです。
2月20日から3日間に渡って、ホーチミン市内の劇場で公演されました。喋るセリフももちろん全員ベトナム語でした。
『夕鶴』といえば、たしか私が中学校の時の教科書に出て来た記憶があります。その時の担当の国語の先生が、「この戯曲は世界中で今も上演されている、非常に有名な戯曲なんですよー」と説明してくれた記憶があります。でもその時は実際に劇を見たわけでもなく、あくまでも教科書の中だけのことですので、その後関心も薄れてしまいました。
それがこのベトナムで、日本でも実際に見ることのなかった『夕鶴』を見ることが出来るとは、何という幸運というべきでしょう!この戯曲『夕鶴』の上演の知らせは約2ヶ月前から知らされていて、劇場の場所もホーチミン市内ですので、その日が来るのを期待して待っていました。
この『夕鶴』上演にあたって動いたのは、Uさんという70歳を少し超えたばかりの一人の日本の方でした。Uさんは日本では演出家として数々の舞台を手掛けている方だそうです。
そのUさんが3年前にベトナムを訪問した時に、ベトナム人の純粋さに惹かれ、ベトナムで何か公演をやりたいと考えて思い到ったのが今回の「ベトナムの地で、全員ベトナム人の役者による『夕鶴』の上演」でした。ですから3年がかりでようやく実現にこぎつけたことになります。ベトナム人による役者さんたちの練習は、4ヶ月かけて上演直前の夜遅くまで続いたそうです。
そしていよいよ当日。夕方5時半から劇が始まりました。子供のわらべ唄が聞こえてくる中で、ベトナム人の役者の「与ひょう」が眠りこけているシーンから始まります。「与ひょう」が寝ている小さなあばら家は屋根に雪がいっぱい積もっている風景が見事に描かれています。ここだけ見ると、まさに今日本で劇を見ているような光景でした。
そしてしばらく時間が経ち、いよいよ「つう」役のベトナム人女性が、障子を開けて登場しました。白い着物を着て舞台に現れた背のスラリとしたその女性は、見事に日本人の雰囲気を漂わせた「つう」の役を演じ切っていました。(後でUさんに聞いたら、舞台装置などはほとんどベトナムで調達したが、この白い着物だけは日本から持ち込んだそうです)
『夕鶴』の内容はご存知の方がほとんどでしょうから、敢えてここでは触れませんが、私が劇の間に注目して見ていたのは、「つう」役の女性の演技力です。『夕鶴』は何と言っても、「つう」の存在感が大きい戯曲ですし、その演技力がこの戯曲の感動を高めもするし、低くもするのは間違いないでしょう。
ベトナム人女性の演じる「つう」が、日本人女性特有の繊細さ・たおやかさに満ちた挙措動作をどのように演じて振舞うのか?ベトナムの人たちは日本人のような行儀・作法は身に付けていませんから、細かいところでは違和感のあるシーンが出て来るかな・・・?と思いながら見ていました。
それがどうでしょう。1時間10分に亘った劇の間、「つう」のベトナム人女性は見事に日本人女性の身のこなしや作法を、本当の日本人かとみまちがうくらいに身に付けていました。そして最後に「与ひょう」との別れの終盤のシーンでは、感動的なレベルまで高めてくれました。
あっという間に終った1時間10分の劇でしたが、劇の終了と同時にベトナム人の役者さん全員に花束が贈られ、最後にベトナム側の代表のかたとUさんがお礼の挨拶を述べて、ベトナム人・日本人の観客の拍手の中で無事、ベトナムで初めての『夕鶴』の上演が終了しまし。
私の隣に座っていたベトナム人のお客さんに「どうでしたか?」と聞きましたら、「大変素晴らしい劇でした。そして質の高い・深い内容のある劇だと思いました」と喜んでいました。
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