アオザイ通信
【2005年9月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

< 3年ぶりのマングローブ親善大使・ベトナム訪問 >
今年は実に3年ぶりの、マングローブ親善大使のベトナム訪問となりました。しかも今年は親善大使史上、一番参加者の多い親善大使となりました。

一昨年はSARS.、昨年は鳥インフルエンザが発生して、2年続けて親善大使も中止になり、ベトナムそのものからも観光客の足が遠のきました。

そしてこの3年の間に、ベトナム側でも変化したものがいくつかありますが、一番の変化はやはり物価の上昇でしょう。親善大使の生徒たちがいつも利用していたホテルの料金も上がっていました。レンタカー代も同じように上がりました。

これには止む得ない事情もいろいろありますが、やはり何といっても原油の高騰が一番大きい要因です。昨年までは1リットル=5000ドンだったガソリンの価格が、今や10,000ドンと2倍。さらにこれからもまだまだ、物価の上昇は続いていくでしょう。

次にカンザーでのマングローブ林探訪で、いつも挑戦していたコースのあまりの変貌ぶり。この3年の自然の変化で、今までマングローブ林を探訪していた時に、小道として歩いていたものが8割ほど崩れてなくなっていて、みんなクリークの中のコールタールのように練り込む泥の中を歩く時間が多くなり、親善大使史上最強の難コースになりました。
生徒たちみんなも、腰まで埋まる泥と格闘しながら歩いていました。30分も同じような状況が続くと、さすがにみんな悲鳴を上げていましたが、無事に終って見るとそれはそれで、またどこかで懐かしい体験として残っていることでしょう。

さらに今年はベトナムの生徒たちとの交流会も実現しました。ベトナムでは外国人との生徒同志の交流会などは、人民委員会の許可を得るまでに煩雑な手続きが掛り、なかなか簡単には実現しないのですが、今回はベトナム側のある先生の協力により、日本人の生徒たちと大変素晴らしい交流会を持つことが出来ました。

日本から来た生徒たちにとっては、遠い異国のベトナムという地で、同じ年齢の生徒と友達になれたという経験は、単なる観光地や名所を訪れたのとは違い、ベトナムという国を思い起こす時に、胸が高鳴る嬉しさを感じてくれるに違いないと思います。

またベトナム人の学生たちにとっても、こういう外国の若い生徒たちとの交流会がこれからももっともっと広まれば、ベトナム人の若い人たちの視野も広まり、将来はベトナムの国自体もさらに開かれた国になっていくことでしょう。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース 「日本・ベトナム両国の歌手がチャリティーコンサート」■
8月15日夕方、青年文化会館において、青年団と日越友好協会の協力により、「平和な世界のために」という名前のチャリテイーコンサートが開かれ、日本とベトナムの両国の歌手が共演して歌い、当日の会場には500人以上の若者の観客が参加した。

そして今までに日本風の折り紙の記念品作成や、このコンサートで入場券などを売って得た売上の総合計は、79,000,000ドン(約55万6千円)に達し、それが寄付金としてトウーズー病院の中にある平和の村に、枯葉剤障害者を助けるために贈られた。

日本から参加した歌手たちの中には、かってアメリカがベトナムで戦争していた当時に、ベトナム戦争反対運動に参加した人たちもいた。

その当時の反対運動の言葉の中にも、まさしくこの日に日本からの参加者の一人であるTAKAHASHI BENさんが歌ったような言葉があった。

「永遠なる平和を若者たちのために取り戻せ!」という言葉である。

(解説)
私もこのチャリテイーコンサートを聞くために出掛けました。公演の始る7時頃には8割方の席が埋まりました。そして正面中央の席の3列は、手や足に障害を負った子供たちが、ある子は大人に抱きかかえられて着席しました。その数は全員で約30人はいたでしょう。
この記事の中にある、トウーズー病院の「平和の村」の枯葉剤被災者の子供たちでしょう。

日本から来た歌手は、KITAGAWA TETSUさん、TAKAHASHI BENさん、HASHIMOTO NOBUYOさん、MURAYAMA YUKIKOさん、などでした。しかし私には、初めて見る歌手の人たちでした。

ベトナム側からは、Tran Tien(チャン テイエン)、Cam Van(カム バン)、My Le(ミイー レー)、Tam Ca Ao Trang(タム カー アオ チャン)などの年配、若手双方から参加。

最初に双方の代表の挨拶からスタートして、日本側の歌手全員であの喜納昌吉の有名な曲「花」を唄い、次にベトナム人の年配の実力派歌手My Leが「おとうと」を唄って幕が開きました。

TAKAHASHIさんの手話による歌やKITAGAWA TETSUさんの日本国憲法の歌にもベトナム人も、事前にベトナム語に一部翻訳されていたこともあり、熱心に聴き入っていました。

驚いたのは膝から下が両方ともない子が、日本の歌手が一曲歌い終わると、驚くべき速さで舞台に駆け上がり、花束を贈っていた光景です。
ベトナムでは舞台上の歌手に、観客が花束を持って上がって渡すというのは普通の習慣ですが、そのスピードには驚きました。

ベトナム側から参加した歌手たちは日本語の歌を唄い、日本から参加した歌手たちも、ベトナム語で挨拶を返したりするなどして、ベトナム人の観客も大いに喜んでいました。

最後に日本・ベトナム双方の歌手が、「大勝利の日に、ホーおじさんがいるようだ」という、ベトナム人なら誰でも知っている有名な曲を最初はベトナム語で、次に日本語に訳した歌詞を日本語で歌って終りました。
大変印象的なコンサートだったと思います。


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