アオザイ通信
【2005年10月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

< 日本へ行く研修生たち >
今私が日本語を教えている教室の研修生たち30数名が、今月10月にいよいよ日本へ行きます。まだ日本語学習歴はみんな5ヶ月くらいです。しかしこの研修生たちの中には、長い人で1年半くらいの間、ずっと日本行きを待たされていた人もいます。

書類審査と、日本語能力の判定と、最後に日本側の受け入れ先の社長との面接を繰り返して、ようやく今回の30数名の日本行きが決まりました。彼等がこの日本行きのために人材派遣会社に保証金として預けた金額が、日本円にして150万円くらいといいますから、ベトナム人にとっては目をむくような高い金額です。

その費用を捻出するために、家族の今住んでいる家を担保にして銀行からお金を借りている家がほとんどでした。もっともこれは日本からベトナムに帰って来た段階で、日本行きに掛った費用と、滞在中に掛った経費を差し引いて本人に返却はされますが。

彼等が日本に行く場所は、愛知県、三重県、岐阜県と中部が多いです。期間は3年間ですから、2008年に帰国することになるわけです。全員がまだ20才初期の年齢の人たちばかりです。

生徒というのはどこの国でも同じで、日本で生徒たちに教えていた時と同じように、ベトナムでもやはりいろんな性格の生徒たちがいます。

いつも明るい生徒。おとなしい生徒。冗談ばかり飛ばす生徒。少し誉めると大喜びする生徒。少し叱ると、その日はずっとふさぎ込んでいる生徒。先のことをいろいろ心配する生徒。級長の役割を進んでする生徒などなど・・・。しかし総じてベトナムの若い人たちは快活で、大変明るい性格の人が多いです。

日本に行くのが決まった後の数週間は、日本語の勉強はもちろんのことですが、日本文化や習慣についても学習しました。
しかしやはり、実際に日本に行った後に戸惑うことが多いでしょう。

言葉の壁、文化の壁、習慣の違いなど、さまざまな問題に遭遇することでしょう。しかしまだ柔軟性のある若い人たちですから、そういうのをすぐ吸収して、さまざまな壁を乗り越えていってくれるものとは思います。私は以前のT君のように、日本での仕事中に、(大きな事故にだけには遭わないように・・・)と願っています。

「3年後に、全員また元気な姿で会おうね!」と一人一人と握手をして、教室を去って行く彼等を見送ったことでした。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース 「日本の大学生のグループがTuoi Tre新聞社を訪問」■
2005年9月13日、日本の法政大学のアジア学科の2〜3年生30人以上が、ASEAN学科主任の社会研究員の責任者であるToshi Aida先生に引率されて、Tuoi Tre(トウイ チェー)新聞社の記者と編集員と交流するためにそこを訪問した。

みんなはこの交流会で、ベトナムの新聞雑誌やTuoi Tre新聞社について多くの内容を意見交換した。Tuoi Tre 新聞社の副編集員であるTruyen(チュエン)さんは、Tuoi Tre 新聞社の30年間の発展の様子や、新聞以外にもベトナム社会の制度や仕組みなどを日本の大学生たちに紹介してくれた。

ご承知のように、法政大学の学生たちは2003年以来毎年ベトナムを訪問しては、ホーチミン市でA日本語学校との交流会を毎年行う計画を実際に取り入れて実行している。今回はその流れの中で、市内の有名な新聞社を訪問することになった。

(解説)
Tuoi Tre新聞社は今のベトナムでは大変有名で、発行部数も多い新聞社です。以前カンザーに大学生を連れて植林に行った時に、この新聞社の記者が同行・取材してくれたことがありました。

ここの記事に出て来るA日本語学校の校長先生が、実は今年日本からベトナムを訪れたマングローブ親善大使と、ベトナム人の生徒たちの交流会をこころ良く引き受けて下さった先生です。

この人は若い時から日本には何回も訪問され、もちろん日本語はペラペラ。日本に対しての理解も非常に深い先生で、以前村山前首相がベトナムを訪問された時には、こちらの首相との通訳もされました。

その先生から、「来年の日本のテイエラのマングローブ親善大使のみなさんは、ベトナムの普通の家に一日ほどホームステイをしたらいいでしょうね」と申し出を頂きました。来年は、その先生も積極的に協力してくれる予定ですので、また今までとは違う親善大使とベトナム人生徒との交流会が期待出来ることでしょう。


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