春さんのひとりごと
<異国で日本語を教えるということ>
私がこのベトナムで日本語を教えてから約2年になります。私が日本で生徒に塾で教える主要科目を指導していた時は、「先生も生徒も同じ日本人である」という前提(当たり前のことですが)で授業をしていましたが、このベトナムでベトナム人という外国人に日本語を教えているといろんなことを考えさせられました。
日本人にとってベトナム語を覚えるのと、ベトナム人にとって日本語を覚えるのとどちらが難しいかといえば、日本人にとってのベトナム語の難しさは、やはり何といっても「発音の難しさ」にあるといえます。
ベトナム語の表記自体はアルファベットですので簡単です。文法も英語のような動詞や形容詞の変化がなくその点では易しいのですが、「発音の難しさ」という大きな壁が日本人の前に立ちはだかって来ます。
簡単に言えば[ma(マー)]という表記自体が、6種類もの発音の違いがあるということだけでも、日本人には想像も出来ない世界ですが、ベトナム人は当然ながらこの6種類の発音の違いをちゃんと区別して使い分けているのです。
同じ[ma(マー)]という表記でも、発音が違えば(1)おばけ (2)しかし (3)母 (4)墓・・・などの違った意味になり、正確に発音しない限りはベトナム人には通じないのです。最初ベトナム人の先生にその6種類の発音の違いを教えてもらった時には(みんなおんなじ発音じゃないか・・・)とその違いがさっぱり分りませんでした。
しかしベトナム語はこの「発音の難しさ」という壁を乗り越えれば、「ベトナム語世界」という大平原を馬で疾駆するような爽快さで走れるようになるのでしょう。
反対にベトナム人にとっての日本語とは、(1)表記の難しさ (2)文法の複雑さ、この2つが大きな壁となって出て来ます。(1)の日本語表記の「ひらがな」「カタカナ」は約一ヶ月以内でひと通りは習得しますが、それはまだ正確に書けるということではありません。
ある時一人の生徒のノートを見た時に、「き」「さ」「や」などの字がみんな寝たような字になっているで、この生徒だけかな?と不思議に思ってほかの生徒のも見ると、やはりみんな同じような字を書いています。なんでそうなのかすぐ理解出来ませんでしたが、彼等がノートに「ひらがな」を書いているその姿勢を見た時に理解出来ました。
彼等が「ひらがな」や「カタカナ」を書く時にはノートを机に平行に置いて書くのではなく、欧米人がアルファベットを書く時と同じように(ベトナム人がベトナム語を学ぶ時にもやはり同じやりかたです)ノートを机に斜めに置いて書いているので、「ひらがな」も寝たような字形になってしまっているのです。
最初は、その「ひらがな」を書く時の姿勢から指導しないといけませんでした。生徒たちは、子供の頃からのクセを改めるのが辛いらしく、「先生、難しいわー!」とみんなが悲鳴を上げます。
そして「ひらがな」や「カタカナ」を覚えた後に、文法や基本文型を習い初めて約3ヶ月ごろからどこの日本語学校も漢字の勉強に入っていくようです。
しかし彼等が日本語を習い始めて3ヶ月くらい経った頃には、すごく努力家で上達の早い生徒たちは、ある程度の日常会話が日本語で出来るまでのレベルに達して来ているのには感心します。
しばらくしたら日本に行く研修生たちは、「日本で働く」という明確な目的意識があるので、普通の日本語学校に行っている生徒たちよりは必死さが違うのかなとは思います。まあそういう研修生たちの中でも、怠けている生徒も少しはいますが・・・。
さらにまた「異国で日本語を教える」という体験は、ただ単に日本語を教えるだけではなく、日本という国の歴史や文化や風俗・習慣を外からの目で眺めて、それを分りやすく外国人に説明してあげる必要も出て来ます。「柔道」や「華道」や「茶道」という単語がテキストに出て来た時には、その歴史なども自分自身が授業の前に勉強し直して生徒の前に立たないといけません。
それにしても「異国で日本語を教える」ということは面白い仕事だと、私は個人的には思います。
今後日本では団塊の世代の人たちがもうすぐ定年を迎えますが、定年後に「外国で日本語を教える」という人生プランはどうでしょうか?
最初は慣れるまでに外国生活での苦労はいろいろありましょうが、定年を終えてブラブラ日本で過ごすよりも、また壮年期の頃のような「張りのある生活」が異国で過ごせるかも知れません。
このベトナムでそういう夢を持たれて来られる人がいれば、いつでも応援してあげたいと思います。
そのためには、今から定年前までに日本語教師の資格を取っておかれることをお勧めします。
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