「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース 「ベトナムの教育事情」■
<なぜ多くの人が子供たちを国際学校にやるのか?>
ホーチミン市の、ある国際学校では小学生の算数の授業の中に、子供たちの関心を惹くために歌や踊りなど、にぎやかな授業を取り入れた。このクラスは床面積が40?だが生徒は20人しかいない。その20人が3つのグループに分かれて、楽しく授業を受けていた。
ここで教えていた女性の先生は、「はい!今から掛け算の復習をしましょう!」とみんなに号令をかけて、「はい!4×9はいくつ?」と質問すると、すぐ全員の生徒たちから「4×9=36です!」という答えが元気に返って来た。
このクラスの学費は、1ヶ月に約2百万ドン(1万5千円)とベトナムの学校と比較したら目をむくような高い学費である。それでもここに通わせている父兄は、「授業料は確かに高いけれど、ここの学校は大変魅力がある。」と話していた。
実際にここの学校の生徒数は、1999年に開講した時には174名であったのが、2006年には小・中併せて約一万名にまで激増したのである。
さきの父兄がまたこうも言っていた。「何といってもここの学校は授業が分かりやすいし、面白いし、構内が涼しいし、教室も広くて、設備が近代的なのです」と。
ここで教えているのはベトナム人の先生なのだが、毎年英国やアメリカやオーストラリアの専門家たちと一緒に、生徒たちが授業に積極的に参加する方法を研究しているという。
これに比べてベトナムの学校は詰め込み式の教育なので、生徒たちも授業に積極的・意欲的に参加する気持ちに欠けている。
さらに授業が終われば、先生たちが自分で塾を開いていて、授業で分からなかった続きをそこで教えるから、必然的に生徒たちはまた先生の家で勉強しなければならない。
別の父兄はさらにまたこうも言う。「生徒たちには固苦しい勉強を詰め込む必要はない。学習することが楽しく、授業に意欲的になり、宿題も軽くして、勉強の意欲を高めることが一番大切なことなのだ」と。
以上のような理由から最近父兄が自分の子供たちを国際学校に入れたがっているのである。
<教育分野も人材不足 2割前後が水準満たさず>
国の基準を満たす熟練教師の数が不十分・・・ベトナム国会の文化・教育・青年・児童委員会が発表したレポートによると、ベトナムのすべての教育課程において熟練した教師が不足している現状を報告した。
このレポートによれば、国内の教師の数は97万9000人(内訳は、公立校教師84万4000人、私立校教師13万5500人、職業訓練校教師1万1400人)で、そのうち国の水準に満たない教師の割合は、■小学校、23・8%■中学校、11・6%■高校、19・1%・・・となっている。
このレポートはまた、教師の5分の1は指導技術が不足していて、3-5%がモラルに欠けると指摘している。さらには職業訓練校の中等科では、「教師の大部分が大卒だが、実用的なスキルに欠ける」としている。
また総合大学では、「教師の担当する授業のコマ数が、他の国では1人当たり年間300〜400コマなのに対し、国内の大学の大部分では800〜1000コマとなっている」と報告している。
(解説)
「教育改革」とは「教員改革」と良く言われる言葉ですが、これは世界中どこでも同じようです。ベトナムの教育レベルの水準は高いのか、低いのかまだ自分の子供を通わせていないので実際には良く分かりません。
しかし私の知人のベトナム人は「ベトナムの教育のレベルは低いから、自分の子供はベトナムでは教育は受けさせたくない。ドイツにやるつもりだ」と公言していました。しかしまあ、こういうふうに外国で我が子に教育を受けさせる人たちはまだ例外でしょう。
そういう意味では、少し経済的にゆとりのある人たちは我が子をベトナムの学校ではなくて、こういう国際学校に通わせるのもトレンドになっているのかもしれません。そういう学校の前をたまたま授業が終わる頃に通ると、迎えに来た父兄のバイクで道路は大渋滞しています。
しかしやはりそういう学校の授業料は高いので、私の子供はどうしたものやら・・・と少し考えてきたところです。
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