アオザイ通信
【2008年6月号】

ベトナムの現地駐在員による最新情報をお届けします。

春さんのひとりごと

<サイゴンで聴く「千の風になって」>
5月下旬、日本・ベトナム35周年を記念して、ハノイとサイゴンで日本とベトナムの歌手による記念コンサートが開かれました。

事前に告知されていた日本からの歌手の出演者は、杉良太郎さん、伍代夏子さん、島谷ひとみさん、夏川りみさん、Winds、そしてあの秋川雅史さんが参加していました。ベトナム側からは、有名なMy Tam(ミー タム)を初めとして6人の歌手が参加していました。

私がこのコンサートを聴きに行きたいと強く思った動機は、何と言っても秋川さんの名前が今回の日本側の参加者の名前にあったからでした。事前の告知でその名前を見た時、(これだけは絶対聴き逃さないぞ!)と思いました。

思えば、私があの秋川さんの「千の風になって」を初めて聴いたのは、昨年父が亡くなって、その父の告別式が終わった日でした。

父の告別式が終わり、実家に親戚一同が集まり、あらかたの勤めが終わって、親戚一同が(さあ〜帰ろか・・・)という寸前に、18才になる私の甥がみんなの前で、「今から爺ちゃんのために僕が歌を歌いますから。」と言って歌ってくれたのが、秋川さんのあの「千の風になって」の歌なのでした。

初めてその歌を聴いた時に、本当にこころから強く感動しました。
両親や兄弟や子供を亡くした人にとって、秋川さんが歌うこの歌ほど、こころを揺さぶられる、感動的な歌はほかにないのではないでしょうか。

特に私はふだん日本にはいませんので、日本で今どんな歌が流行っているのかなどさっぱり分かりません。そういう訳で、今回の日本側からの参加者の名前の中でも、私が知っているのは杉良太郎さん、伍代夏子さん、そして秋川雅史さんの3人だけでした。

私が日本に帰った時には、テレビを点ければ確かに歌番組が放送されてはいますが、今テレビに登場して最近の歌手が歌っているその世界は、個人的に私が好む歌の世界とは隔絶していますので、日本に帰ってもほとんどそういう番組を見ることはないのです。

今年日本に帰った時に見た歌手では、日本人の歌手ではなく、黒人の演歌歌手として登場したJさんという歌手のほうが強く印象に残りました。

私が好む歌の世界では、もはや故人となった「美空ひばり」が今でも最高峰として聳えていますので、その後に続く歌手の歌唱力のレベルや迫力では、彼女と比較すると物足りなく思えて仕方がありませんでした。

美空ひばりさんが歌う歌には情念や人生の哀愁が籠り、いつもこころを揺さぶられることが多いのですが、今最近の日本の歌には果たしてそのような歌がいくつあるでしょうか。

そのような感じを抱いていた時に、あの秋川さんの「千の風になって」を初めて聴いた時に、これほど感動した歌は最近ありませんでした。
もちろん秋川さんが歌う世界は、美空ひばりさんの歌の世界とその匂いは違いますが、お2人とも人に感動を与える歌を歌っているという点では共通しています。

今年の春、私は日本に帰ることがありました。そして昨年亡くなった父の遺骨を納骨した時に、その墓の後ろに立つ杉木立の中には、やはりこの歌のように強い風が吹いていました。

そしてこのベトナムのサイゴンで秋川さんの歌をCDやDVDではなく、その秋川さん本人の歌を直接聴くことが出来ると知った時には、最初信じられなかったと同時に、(これがおそらく最初で、最後の秋川さんの歌を聴く機会だろうなー)と思い、ためらうことなく今回の日越の歌手による入場券を買いました。

その価格は日本円にして千円くらいでした。信じられないくらい安いというべきでしょう。 このコンサートには、日本・ベトナム双方から有名な歌手が参加し、全部で12組の歌手が出演していてこの値段なのですから。

当日はサイゴン市内にあるホア ビン劇場で、コンサートの開演ということになっていました。私が着いた時には、日越親善大使の杉良太郎さんはじめ有名な歌手が登場するためなのか、招待客もそれなりの人たちが多かったからなのか、多くの警官が動員されていて、ものものしい警備でした。そしてこの日は、全部で約3千人以上は優に収容するくらいの広い劇場が満員でした。日本人・ベトナム人約半々の比率で埋め尽くされていました。

私が座った席は二階席でしたが、そこから下を見ると、一階の座席にはびっしりとお客さんが座っていました。私がいた二階席も空いている席はほとんでありませんでした。

そして夜の8時過ぎから歌が始まり、最初にベトナム人の歌手が歌った後に、日本側からは伍代夏子さんが歌いました。日本・ベトナム双方の歌手が、それぞれ2曲ずつ歌っていました。ベトナムから参加した歌手たちは、やはり歌唱力のある人たちが多かったと思います。

私が一番聴きたかった秋川さんは、伍代さんの後に登場しました。しかし私が座っていたのは、遠い二階席からでしたから、その顔ははっきりとは見えませんでした。しかし、そのダンディなたたずまいと、キリリとした顔付きは遠くからも感じ取ることが出来ました。

そしていよいよ私が聴きたかった、あの「千の風になって」の歌の登場です。最初に秋川さんはこの歌を歌いました。やはり、その歌唱力の素晴らしさはどうでしょうか。

あの広い劇場の館内全体を揺るがすような、信じられないくらい力強い迫力のある歌いかたでした。私の近くに座っていたベトナム人のお客たちさんも、彼が歌っている時には、その凄まじい歌唱力にシーンとして聴き入っていました。

さらにこの時たまたま偶然というべきでしょうか、秋川さんが歌の途中で
♪ 朝は鳥になって あなたを 目覚めさせる ♪
と歌っている時に、館内に迷い込んだのか、小鳥が2羽、秋川さんがその歌詞を歌っている時に、彼の頭上を大きく、大きく舞い始めたのです。

これにはその歌詞の意味が分かる日本人の観客たちも「あー、ああー、あ!あれ!」と驚いていました。そして秋川さんがその素晴らしい歌を歌い終えた時、館内の日本人のお客はもちろん、ベトナム人の観客たちも大きく、長い満場の拍手を彼に贈っていました。

この日の観客が拍手した中では、秋川さんに贈った拍手が、この日に登場したすべての歌手の中でおそらく一番大きかったでしょう。私も大いに満足しました。
この後続けて、秋川さんは「昴」も歌いました。

しかし日本にいたら、杉良太郎さんや、伍代さんや、他の歌手の人たちのコンサートなど行く機会もまずないでしょう。いわんや、秋川さんのコンサートを聴きに行く時間も無ければ、その切符自体を手に入れることも出来ないし、そのコンサートを聴きに行くチャンスなど一生ないことでしょう。

それがこのサイゴンではバイクを飛ばしたら20分くらいでその劇場に行けるし、入場料も千円くらいで手に入るのです。信じられない僥倖というべきでしょう。日越親善大使の杉さんも、日本人の歌手の中では最後に登場し、歌を二曲歌いました。そして、今回コンサートを聴きに来てくれたお客さんに、今までの自分とベトナムの関わり合いを話してくれました。

しかし実物で見る杉良太郎さんは、思った以上に背が高く、体格も良く、若々しかったですね。 今年64才とは、とうてい信じられませんでした。

そしてコンサート自体は10時半ころに終わりました。最後は日本・ベトナム両方の歌手による歌を、日本語やベトナム語で歌って楽しく終わりました。

私自身は日本でもあまりコンサートを聴きに行く機会も、時間もありませんでしたが、このベトナムでこのようなコンサートを聴くことが出来て本当に感動しました。今でも秋川さんのあの体全体が、館内全体が揺すぶられるような、迫力ある歌の余韻が耳に残っています。

そしておそらく、私自身が秋川さんのあの感動的な歌を直接聴く機会は日本ではもちろん、このベトナムでも今後もないことでしょう。





「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース <首相に手紙を出した一人の農民> ■
Le Van Lam(レー バン ラム)さんは今年57歳になる。彼はサイゴンから西に約200km離れたところにあるDong Thap(ドン タップ)省に住んでいる。

彼はその土地で40年以上農業に従事し、今も子供たちや孫たちと一緒に稲を栽培したり、家畜を飼う仕事を続けている。

その一農民に過ぎないラムさんは、ここ最近のあまりの物価の上がり方に怒りが募り、ついにベトナムの首相にまで手紙を直接送り付けるという行動に出たのだった。
彼は首相に宛てた手紙の中でこう書いた。

「敬愛する首相閣下
私はサイゴンの郊外に住むひとりの農民です。最近のいろんな物価の高騰には、田舎で農業を営んでいる私たちのような農民たちは、生活が大変困窮する事態に陥っています。
農業や家畜を営む上において、農民は肥料や農薬や飼料を購入しないといけません。しかしその肥料代と農薬代と資料代が、今年の5月に入ってそのほとんどが何と2倍に上がったのです。

元々が貧しくて、大した蓄えもない私の回りの農民たちは、それまでにも農薬や肥料や飼料などを購入するために、銀行から借金をしたりしてきました。

そして、その借金は米が収穫出来たり、家畜を売った後で手にする現金で、ようやく借金の返済に充てて来ました。

しかし今年のような物価の上昇ぶりでは、最終的には一年の収支が赤字になるのは間違いなく、銀行から借りたお金の返済が滞るのは目に見えて来ました。

銀行は貸したお金を農民が払わない時には、家や土地を差し押さえ、二度とその農民には融資をしてはくれません。そういう状態になると困る農民たちは、次には街中の高利貸しからやむなくお金を借りて、それで銀行からの借金を返済するしかないのです。しかし銀行に返済しても、高利貸しから借りたお金と利息は残るのです。

そしておかしいのは、我々農民から役人が買い上げた米の価格は1kgが5400ドン(約35円)なのに、政府の公式な発表では1kgが8000ドン(約50円)なのです。その差額の2600ドンはどこに消えているのでしょうか。

首相閣下!私が言いたいのは、政府はもっと農業を、そして農民を大事にして欲しいということなのです。

今のこのような農業を取り巻く厳しい状況では、肉体的にもそしてますます経済的にも辛い農業に従事するよりは、取りあえずの日銭が確実に稼げる都会での仕事に若者たちは流れて行くことでしょう。そうなった時に、ベトナムの農業に将来はあるのでしょうか。」


(解説)
この手紙を書いたラムさんが住むドン タップ省には、以前私も足を運んだことがありました。日本から来た大学生たちのグループと一緒に、洪水に遭って経済的に困窮した家庭の子供たちに義捐金や文房具を支援しに行ったことがありました。

ここは毎年といっていいほど稲の収穫期頃に洪水に見舞われて、そのたびに農民の人たちは苦しい生活を強いられていました。そういう天災に加えて、今年のような物価の上昇は経済的に貧しい農民の人たちに与える影響は大きくなってきています。

確かに、今年に入ってからのベトナムの物価の上がり方には、我々外国人も大いに驚いています。ホテル代も上がり、ガソリン代も上がりました。レストランの料金もビールの値段などもすべて上がりました。

そして一番ベトナムの人たちが驚いたのは、米の価格が急に2倍に上がったことでした。4月までは1kgが1万ドン(約60円)くらいだったのが、1kgがその2倍の2万ドン(約120円)にまで上がったのでした。

米はベトナムの人たちの主食ですから、大いに驚いたことでしょう。経済的にまあまあ裕福なベトナムの人たちであれば、米以外にもある程度の数種類のおかずを摂ることは出来ます。

しかし普通の貧しい庶民のおかずは驚くほどその品数は少なく、その少ないおかずを副食物にして、ご飯の上には醤油やヌックマムなどのソースをかけて食べていて、それでお腹を膨らませればいいやという食習慣ですので、肝心のその米の値段が上がればその食生活にも大きい影響が出て来ます。

しかも一ヶ月に一度は給料が貰える会社勤めをしている人たちでも、物価が上がっても給料がすぐ上がる訳ではありません。経費が上がることにより、会社も経営が苦しくなっていることでしょう。

いわんや、年に数度しか現金収入のない農業に従事している人たちには、今のベトナムの物価の上がり方は、彼らの日々の生活を今相当困難にしている様子が、このラムさんが首相に宛てた手紙から良く分かります。

ところで、彼が首相に手紙を書いてから約半月が過ぎましたが、まだ首相からラムさんにその返事はないようです。



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