春さんのひとりごと
<ダナンでの“十一面観音菩薩像奉納の儀式”に参加>
心待ちにしていた、ダナンでの“十一面観音菩薩像奉納の儀式”に参加させて頂きました。この儀式は、予定通り10月30日に「五行山の観世音寺」で執り行われました。海岸沿いの平地に聳え立つ「五行山」は実に神秘的な山容をしています。
五行山は、今から約200年前、阮朝のミンマン(Minh Mang)帝により、それぞれ、木山・陽火山・陰火山・土山・金山・水山と<陰陽五行説>にちなんで名づけられたと言います。五行山は全部が大理石で出来ていることから、通称<マーブルマウンテン>とも呼ばれています。実際に今でも、観光地では大理石細工のお土産屋がたくさんありました。
そのダナンの「五行山」を目指して、二泊三日の予定でサイゴンから飛行機で“十一面観音菩薩像奉納の儀式”の前日に発ちました。同行者は学校の同僚のS先生です。S先生にも「さすらいのイベント屋NMさん」の今回の企画を事前に話しましたら、強い興味を示されて「是非私も行きます!」と忙しいスケジュールを調整して、私と一緒に参加されることになりました。
●“十一面観音菩薩像奉納の儀式”前日・・・ダナンで<九年ぶりの知人との再会>●
“十一面観音菩薩像奉納の儀式”の前日の10月29日にサイゴンからダナンまで飛行機で移動しました。S先生とはタンソニヤット空港で待ち合わせしました。この日は、ベトナム人や白人のお客さんが大勢いました。飛行機は昼過ぎの12時55分に飛び立ちました。予定では約一時間でダナンに到着します。ダナンに行ったのは2011年1月以来ですから、約5年ぶりの訪問になります。そして、昼2時ちょうどにダナンに到着。
実は今回のダナン行きに当たっては、“十一面観音菩薩像奉納の儀式”に参加出来る喜びと、あと一つの嬉しい出来事がありました。それは、約九年ぶりの<知人との再会>が待っていたからです。その<知人との再会>のきっかけは、ダナンに行く数日前に、突然私に掛かって来た電話からでした。
2015年11月号に書いた、<ハノイから来られた『日本語教育アドバイザー』>に登場する「国際交流基金」に勤めておられるKH先生から、ダナンに行く数日前の夜八時を過ぎた頃、私に電話がありました。「今出張でダナンに来ていまして、ダナンの国際交流基金に新しく赴任された人と食事をしています。その人は以前サイゴンで仕事をしていて、あなたを知っているそうです。誰だと思いますか」と謎をかけてこられました。
咄嗟にそう言われてもすぐには分からなくて、「さぁ~、誰ですかねー。○○さんですか。いえ、○○さんかな・・・」と数人の名前を挙げましたが、KH先生は「いえ、違います。ヒントは・・・ベトナムを去る前に、あなたにバイクを譲ってあげた人です」と言われました。それを聞いて「ああー、もしかしたらKTさんですか」と言いますと、「そうです。正解です。今本人と代わりますね」と言って、KTさんが電話口に出られました。お互いに「久しぶりですねー」と、電話で声だけの再会ながらも嬉しい限りでした。
今から十数年前「ベトナム・日本・人材協力センター(VJCC)」に、サイゴンで日本語を教えている日本人たちが定期的に集まり、「日本語教師の勉強会」を開いていました。そこでは日本語教育に関する情報交換や、テーマを決めた「模擬授業」なども行っていました。そこで司会を務めていたのがKTさんでした。KTさんはまだその当時30代半ばながら、大変落ち着いた司会ぶりでした。それだけに私も大変印象に残っていました。そのKTさんとこの日の夕方会うことになりました。
午後2時半にホテルに到着。NMさんとは5時からホテルで待ち合わせしていました。それまで少し時間があるので、ホテルを出て、S先生と一緒にダナン市内を流れるHan(ハン)川沿いを歩きました。15分ぐらい歩きましたが、途中で出会う車とバイクの数のあまりの少なさには驚きました。車もバイクもサイゴンと比べて大変少ないので、クラクションを鳴らしている光景もあまり見かけませんでした。
そして、実はダナンはこの時期まだ雨季なのですが、この日はたまたま晴れていました。気候も暑くなくて、昼間でも涼しい風が流れていました。すぐ眼の前を流れるHan川に沿って歩きながら、S先生と二人で「ダナンのこのHan川沿いは落ち着いたいい所ですねー」と話したことでした。
どちらからともなく、「少し休みましょうか」と言って、川沿いにある喫茶店に入りました。
そこで、二人で話したのは、「今回の“十一面観音菩薩像奉納の儀式”には、日本の東大寺の狭川管長も来られると言いますが、すごいことですね。NMさんの企画とそれを実現させた行動力には感心します」と言うことでした。事実、それが実現したからこそ、こうして二人でダナンまで来ることになったのでした。S先生と私はしばらく喫茶店で休みながら、そういう会話をしていました。
そして、ホテルにまた戻りますと、そのNMさんがロビーに座っていました。お互いに久しぶりの再会を喜び、そして今回のイベントに参加出来たお礼を述べました。NMさんは「実は明日の“奉納の儀式”の準備物などの確認のために、しばらくしたら五行山に行きますので、一緒に行きましょう。そして、あのNZさんも同じホテルにいますので、私たちと一緒に行くように誘いました」と言われました。
「ええーっ、あのNZさんも来られていますか!」と、私も嬉しくなりました。そのNZさんとは二ヶ月ほど前にサイゴンで会ったばかりでした。NZさんは、小松みゆきさんの原作になる、松坂慶子さん主演の映画「ベトナムの風に吹かれて」が撮影された時、コーディネーターを努められた人です。
2014年に松坂慶子さんが映画の撮影の下準備のためにベトナムのハノイに来られた時、通訳や案内をされました。その時の松坂慶子さんとのツーショットの写真も、私はNZさんから直接見せて頂きました。今ハノイで旅行会社を作り、普段はその通訳で忙しい日々を過ごされています。「素顔の松坂さんは、全然飾らない、大変気さくな方でしたよ」とは、NZさんが松坂さんに抱いた感想です。
夕方5時にみんなで五行山に行くことになり、少し休んだ後、ロビーに下りますと、そのNZさんがいました。私とは久しぶりの再会になりましたが、S先生とは初めてですので、私から二人を紹介してあげました。そして、そこにNMさんも現れましたので、すぐに四人でタクシーに乗って五行山へ行くことに。
五行山へはタクシーに乗って、20分ほどで着きました。着いた頃は薄暗くなっていましたので、五行山のはっきりした姿は見えませんでした。私たちがタクシーから降りた場所は、五行山の中にある「金山」で、明日の“奉納の儀式”はここにある「観世音寺」で執り行われます。
「観世音寺」に着くと、NMさんは勝手知る場所なので、誰の案内も乞わずにドンドン中に入ってゆきます。寺の中は相当広く、天井も高いので、中を涼しい風が吹き抜けています。大広間には、明日の“奉納の儀式”に参列する人たちが座るための丸いテーブルがすでにセットしてありました。しかし、NMさんは「この数では足りないなぁー」と、首を横に振っています。その後、中にいたお坊さんにテーブルをもっと増やすように伝えていました。
お寺の中に設けられていた一段高い舞台で、明日の“十一面観音菩薩像奉納の儀式”が行われますが、その<十一面観音菩薩像>はすでに舞台中央の台の上に、回りを花で飾られて立っていました。明日がその儀式なので、日本からすでに運ばれて、この五行山の観世音寺に着いていたのでした。
(これが彫刻家・水島岩根さん作の“十一面観音菩薩像かぁ・・・)と、しばらくじっと見つめていました。事前にブロンズ製だと聞いていましたが、確かに華美な色ではなく、大変落ち着いた色合いをしています。明日の儀式の前に、観音像のすぐ近くでゆっくりと見ることが出来ました。水島さんが作り、はるばる海を越えてベトナムのダナンまでやってきた観音像が今眼の前にあります。言葉に出して言えない、深い感動が湧いてきました。
お寺の講堂に我々四人がいた時、この観世音寺のVinh(ヴィン) 住職が出てこられました。NMさんとは旧知の仲で、Vinh住職のほうから「NMさん!」と日本語で話しかけていました。そして、同行していた我々にも笑顔で挨拶されました。そこでNMさんはVinh住職と明日の打ち合わせをされていました。
そして、Vinh住職は「明日案内する時間が果たして取れるかどうか分かりませんので、今からこのお寺の中にある博物館に案内します」と言って、先に立って我々をそこに案内して頂きました。博物館はお寺の中にあります。この時、我々以外の見学者は誰もいません。ここにはアジアのいろんな国から、このお寺に寄贈された仏像などが展示されていました。
その展示品の中に、壁に掛けた掛け軸があり、Vinh住職が「この掛け軸は、明日ここに来られる東大寺の狭川管長のお父様が書かれたものです」と言われました。今の狭川管長のお父様も、東大寺の管長を務められていました。と言うことは、ずいぶん古くから東大寺との繋がりがあったということです。
20分ほどその博物館を見た後、Vinh住職が「お茶でも飲んでいきませんか」と誘われましたが、遅くなってもいけないし、このお寺も明日の準備でお忙しいだろうと思い、それは遠慮しました。NMさんはこれから市内で人に会う予定があるということでした。私もこの後、KTさんと会う約束をしていて、夕食会場が決まり次第すぐに連絡することになっていたので、Vinh住職にお礼を言って、そこを辞しました。
それから、NMさんのお任せの海鮮料理屋に行くことにしました。そこもHan川沿いにあるレストランでした。そこに着いて驚きました。その店の広さと、お客さんの多さにです。レストランの名前はBe Man(べー マン)。地元では良く知られたレストランのようで、この時すでに300人近いお客さんが入っていました。
レストランの場所が決まりましたので、すぐにKTさんに連絡しました。その間、NMさんとNZさんは魚介類がある水槽のほうに行き、二人でメニューを決めていました。そして、KTさんは30分くらいして到着しました。多くのお客さんがいる中から、すぐに私たちが座っているテーブルを見付けてくれました。
彼の風貌も話し方も、以前と全然変わっていませんでした。みなさんにも「この方がダナンの国際交流基金に勤めておられるKTさんです」と紹介しました。私自身はずっとサイゴンにいましたが、彼はいろんな国に赴任していました。聞けば、今年44歳になり、今結婚されています。あの当時はまだ35歳くらいだったわけです。そして、今ダナンには単身赴任で来ているそうで、まだダナンに来て二ヶ月しか経っていないということでした。
KTさんは1995年にベトナムのサイゴンに最初赴任されました。そして、2007年にベトナムを離れられましたので、ベトナム滞在は12年になります。私が最初にKTさんと会ったのは、約10年前になります。KTさんはベトナムを離れた後は、ルーマニアやスリランカで国際交流基金の仕事をされてきました。その仕事内容は、ハノイにおられるKH先生と同じく、日本語を教えている先生たちへの日本語の教え方の指導です。
この日は9年ぶりの再会になりましたので、大いに話が弾みました。夜9時過ぎまでみんなで海鮮料理を食べながら、ビールを飲みながら、楽しく話しました。帰り道も同じ方向だということで、KTさんも一台のタクシーに同乗してもらい、途中で先に降りて行かれました。出来れば、明日が最後のダナンの夜になるので、「また明日も会いましょう!」と約束してお別れしました。
● 十一面観音菩薩像奉納の儀式に参加 ●
10月30日、いよいよ“十一面観音菩薩像奉納の儀式”当日を迎えました。十時前にみんなでタクシーに乗りホテルを出ました。儀式自体は11時から開始ですが、NMさんが準備物の事前のチェックをしないといけないので、みんなが到着する前に早めに行くことになりました。途中で、若い日本人女性・MYさんをピックアップして「五行山」に向かいます。
この日はホテルから15分ほどで「五行山」に到着。昨日は薄暗かったので、「五行山」の全景を見ることは出来ませんでしたが、この時は晴れていたので、その山容の全体を見ることが出来ました。やはり、実際に近くで見ると、何とも神秘的な形をしています。NZさんが「パワー・スポットと言うべき山々ですね」と言われましたが、確かにそういう雰囲気を感じさせます。
我々が観世音寺に着くと、入り口に若い青年男女が制服を着て、私たちに向かい日本式のお辞儀をして、「おはようございます!ようこそいらっしゃいました」と日本語で挨拶をしてくれました。その後も何回も挨拶の練習を繰り返していました。微笑ましかったですね。儀式を迎える準備が着々と進んでいるなーと感じたことでした。
NMさんが私とMYさんに、「今日の受付をお願いします」と依頼されましたので、私と彼女は受付の席に座りました。今回の“十一面観音菩薩像奉納の儀式”に当たり、寄進した方々の名簿が出来ていましたので、来場された方とチェックしてゆき、ベトナム語で書かれた氏名入りの感謝状と、東大寺から持参された、狭川管長の氏名が記入された、記念品が入った大きい封筒を渡すことになっていました。
そして、10時40分東大寺から来られた狭川管長と僧服を身に着けられた五名の方が到着。ベトナムの青年たちが、先ほど我々にしたのと同じく、大きな声で挨拶をして出迎えました。狭川管長が先頭になり、他5名の方がその後に続いて入れられました。NMさんが早速出迎えて、歓迎の挨拶をされました。六人の方は舞台下の中央の席に座られました。まだ若い僧侶の方もおられました。
それから、大型バスに乗った日本の巡礼団の一行が到着。ガイドさんも入れて、日本から来られた方は34人いました。巡礼団の方々は受付に来られて、氏名を告げられます。それを私とMYさんがチェックします。NMさんはその方々への挨拶もあり、誘導もあり、大変な忙しさです。シャツの背中が汗でびっしょりと濡れています。
開始時刻前になると、ベトナム人の団体さんも来ました。彼らは募金箱に寄進をされ、受付を済ませて、指定されたテーブルに向かいます。あらかじめ事前に申し込みを済ませていた人たちは、日本人であれ、ベトナム人であれ、NMさんが席を決めていました。
しかしこの日、日本人のお母さんと娘さんが突然来られて、「実は・・・ベトナムに来る飛行機の中で、たまたま隣り合わせた方から、今回の“奉納の儀式”のことを知り、是非娘と一緒に参加したく、ここに参りました。事前に申し込みも何もしていないのですが、私たちも参加させて頂いて宜しいでしょうか」と話されました。
それを聞いて、私も感動しました。たまたま飛行機の中で隣り合わせた方から聞いて、今日わざわざダナンまで来られたのです。すぐに、NMさんにそのことを告げますと、NMさんが受付まで来られて、「有難うございます!!歓迎致します」と言われて、自ら席まで案内しました。そのお母さんも安心され、喜ばれていました。
さらに、昨年奈良を訪問した時に、案内兼解説をして頂いた、フエで日本酒を製造されている<フエ・フーズ>の関谷さんにも再会しました。関谷さんは普段はフエ、私はいつもサイゴンにいるので、なかなか会えないだけに、この日の再会は大変嬉しいものでした。
そして、定刻の開始時刻の11時になり、NMさんの司会で“十一面観音菩薩像の奉納の儀式”が始まりました。この時の参加人数は、日本側からは東大寺の僧侶の方が6人、日本からの巡礼団がガイドを入れて34人。ベトナムにいる日本人の参加者が約50人。そして、ベトナム側の参加者が100人を超えていました。従って、全体では200人近い参加者が、この観世音寺に集まりました。
この日のNMさんの司会は、今回ダナンの観世音寺に“十一面観音菩薩像”を奉納することになった経緯について、次のような言葉から始まりました。NMさんが日本語で以下のように区切りながら話したのを、外務局の女性の方が横に立って、ベトナム語に同時通訳してゆきます。
NMさんは、今日のこの日に自分が話す司会の内容を周到にも文書にして作成していました。後で私にも、この時話された内容の印刷されたのを頂きましたので、そのまま紹介します。文章中の黒字部分は、そこを強調すべく、NMさん自らが施されたものです。
「それでは只今より、ダナン観世音寺・十一面観音菩薩像の奉納式を始めたいと存じます。
この奉納式は、今から6年前の2010年9月にVinh住職が日本の東大寺を訪問し、その時東大寺の教学執事であった狭川普文師に面会し、皆様が今おられる、ここ観世音寺の新本堂落慶法要の折には、東大寺所蔵の観音菩薩像をお借りしたいと願われたことから始まりました」
「しかしながら、日本国には様々な法的な決まりがあり、それは無理であることが分かりました。そこで狭川師から、それならばベトナムと日本の両国で寄付を集め、両国親善の意味も込めて、新たに観音像を造ることを提案されました」
「今から約1260年前にベトナム中部のこの地から、ベトナム僧仏哲師はインド僧菩提僊那僧正と共に中国を経て遣唐使船で日本に渡り、奈良・平城京に入られ、大安寺に住されました」
「そして、仏哲師は752年の東大寺盧舎那大仏開眼供養会に、菩提僊那僧正とともに雅楽の師として参列し、舞楽を奉じられましたが、この舞楽は日本でも雅楽として今日まで大切に伝承されています」
「このようなご縁もあり、東大寺の上院にあたる二月堂のご本尊である十一面観音菩薩像を写した仏像を日本で造仏し、当観世音寺に奉納することになりました。制作には、狭川普文師の彫刻の師である水島岩根さまにお願いしました」
「本日、ここに奉納されたブロンズ製の十一面観音像は、まさに古来から続く両国親善・仏教交流のあかしとして、そして観世音寺と東大寺の強い絆を示すホトケさまです。この観世音寺の隣には、『日越文化交流センター』が計画されており、この十一面観音像が奉納される観世音寺と共に、二国間の友好と交流の象徴となっていくことが期待されております。」
NMさんは同時通訳を挟みながら、ここまでを一気に話されました。そして最後に
「法要を始めて頂く前に、本日の来賓をご紹介させて頂きます」
と言って、今回の儀式に参列された来賓の方々の紹介がありました。ベトナム側の参加者の肩書きには、(こういう役職があるのか・・・)と、日本人の我々としては特に興味があります。
1.東大寺別当 狭川普文様
2.本日奉納される十一面観音菩薩像をお造り頂いた、彫刻家の水島岩根様
3.観世音寺住職 Thich Hue Vinh様
4.ダナン越日友好協会会長 Tran Van Nam様
5.ダナン市グーハインソン区人民委員会委員長 Nguyen Thi Anh THI様
6.ダナン宗教管理部長 ゴー コイ(Ngo KHOI)様
7.ダナン友好組織連合会副会長 チン タイン サウ(Trinh Thanh SAU)様
8.ダナン外務局副局長兼ダナン越日友好協会副会長 Mai Dang Hieu様
そして、この奉納式の趣旨説明が終わり、次はいよいよ日本とベトナムの僧侶たちによる法要が始まります。最初は、東大寺の狭川管長ほか五名の方々により、<十一面観音菩薩像>を前にして、奉納式が始まりました。
正面の<十一面観音菩薩像>の前で三回拝礼されます。そして鐘の音が鳴り、それに合わせて三礼されます。それから、いよいよ観音像が除幕されました。ベトナム側の三名の来賓の方(Vinh住職、ダナン仏教会代表、ナム学長)が一緒に除幕されました。
一行の団長である東大寺第222代別當の狭川普門師が導師を務められ、読経が始まりました。ここに参加した方たちは、日本人・ベトナム人含めて、それを静かに聴いています。それが、十分間ぐらい続いてゆきます。ここらあたりから、私自身も胸が高鳴るのを覚えてきました。
さらに続いて、日本から来られた巡礼団の中の若い女性が、横笛を吹き始めました。私は最初ベトナムの人かと思いましたが、違いました。その音色は実にこころに響いてくるものがありました。先の読経に続いて、この横笛の音色を聞いていた時、背筋が震えるような感覚に包まれてきました。
(1260年の歳月を超えて、
一人のベトナム僧・仏哲師が結びつけた縁が今ここにある・・・)
そのことに、深い感動を覚えていました。(あの横笛はどういう由来があるのだろう・・・)と、すぐ後でNMさんに聞きました。すると、NMさんが言われるには「あの横笛は雅楽で用いる龍笛(りゅうてき)というもので、彼女が演奏した曲は1260年前に仏哲が教えたのですよ」とのことでした。それを聞いて大変驚きました。仏哲自身が教えた曲を、21世紀の今も、若い日本人の女性が演奏している。何と素晴らしいことでしょうか。
そして、日本側の奉納式は鐘の音に合わせて三礼されて終わり、次はベトナム側の奉納式に移りました。ベトナム側の奉納式が始まって十分を過ぎた頃、突然停電になりました。 お寺の中の電器の照明が消え、マイクも使えなくなりました。
後で日本側の人たちは(ああいう時に停電なんて・・)と大いに驚いたと言われましたが、ベトナム側には前日からこの日の停電は事前に分かっていたので、大した混乱はありませんでした。落ち着いてベトナム側の法要は進んでゆきました。
ベトナム側の法要が終了した後、狭川師からVinh住職に今回の奉納の儀式のお供えと目録が手渡されました。さらに、日本から来られた巡礼団と、ベトナム側僧侶の方々との記念品の交換がありました。お寺の講堂内にいた、今回参加のみなさんたちには、記念品として数珠を頂きました。
そして、ちょうどお昼の12時に<十一面観音菩薩像の奉納式>は無事に終りました。しばらくした後に、祝宴が始まります。その準備の間、日本から来られた東大寺の方々と巡礼団の人たちは、昨日私たちが見学した「博物館」のほうに向かわれました。
その見学が終った後、みなさん方は指定されたテーブルに座り、宴会が始まります。一つのテーブルには日本人かベトナム人のグループで座るようになっています。いろいろな方に会いました。ハノイから来られた「共同通信」の日本人記者の方もいました。書道家のSKさんという若い日本人もいました。まだ33歳だということでした。彼の作品はこのお寺の中に幾つも掲示されていました。
私は祝宴が少し落ち着いた頃、狭川師の席まで行き、挨拶させて頂きました。「昨年の春、NMさんの紹介で東大寺の二月堂で狭川さんのお話を伺いました。その節は大変有難うございました。今日このベトナムでお会い出来て大変嬉しいです」と言いますと、「そうですか!」とニコニコしておられました。写真も一緒に撮らせて頂きました。
そして、その狭川師のすぐ隣が、今回の<十一面観音菩薩像>を制作された水島岩根さんの席でした。水島さんにも挨拶しました。「今回は素晴らしい観音菩薩像を造っていただきまして、ベトナム在住の日本人としても嬉しい限りです。これからずっと、このお寺に置かれて、日越友好の交流の象徴と絆になることでしょう」と言いますと、喜んでおられました。
私が「あの<十一面観音菩薩像>はどれくらいの期間で造られましたか」と質問しますと、「仏像というのは早い時にはすぐ出来るし、遅い時にはずいぶん時間が掛かるものですよ」と答えられました。おそらく、この仏像の完成までには、時間が掛かったような雰囲気でした。
祝宴が終わりに近づいた頃、今回の「奉納の儀式」に間に合うように印刷・発刊の準備を進められていた、ぶ厚い一冊の本が、Tran Duc Anh Son(チャン ドック アン ソン)氏より、狭川師・ナム学長・Vinh住職たちに贈呈されました。本の題名は「越日関係史の回顧と展望:中部ベトナムの視点から」です。
この本はページ数にして450ページもあり、一冊の本の半分が日本語、半分がベトナム語の構成になっていますので、日本人とベトナム人の両方が読めるようになっています。数ヶ月前に、この本がまだ完成していない段階で私にも一度見せて頂きましたが、この日に合わせて完成していたのです。
S先生や、NZさんや私にも頂きました。中のページを開いて見ると、制作企画にTran Duc Anh Son氏の名前とNMさんの名前があります。この場では詳しく読む時間はありませんでしたが、ザッと書かれているテーマと執筆者の名前を見ているだけでも、充実した内容であることが分かりました。
執筆者のお名前の中には、2013年6月にベトナムで不慮の事故で亡くなられた、「西村昌也さん」のお名前もありました。NMさんは西村さんとは知り合いです。その西村さんが亡くなられた時、日本大使館からの依頼で確認のために出向かれたそうです。
そして、一時半を過ぎた頃、狭川師よりお礼の挨拶がありました。「1260年前に仏哲師が日本に来られて、日本に多くのものを授けて頂きました。そして、1260年後の今日のこの日に、その“恩”をお返しに参りました。永年の“恩”に対してお返しすることが出来て、大変嬉しいです」と挨拶されました。
さらに、Vinh住職がその狭川師の挨拶に対して、お礼を言われました。その後、水島さんも挨拶に立たれ「これからもずっと、この観音菩薩像がベトナムと日本の人たちの友好に繋がればと思います」と言われました。
これで、ダナン観世音寺での<十一面観音菩薩像奉納の儀式>は全部終りました。大成功でした。日本から来られた東大寺の狭川師と僧侶の方々、巡礼団のみなさんたちが大型バスに乗り込まれました。私たちはそのバスを見送りました。
すると、ちょうどその時ザーッと強い雨が降り出しました。バスはゆっくりとお寺から離れてゆきます。狭川さんたちがバスの中から手をいつまでも振っておられました。この日の深夜便で日本へ帰られるということでした。狭川さんたちは、ダナンに来る直前までカンボジアで仏教遺跡を見学して来られて、そのままこの観世音寺に来られたということでしたので、今回は大変な強行軍だったことだろうと思います。
我々もそのバスを見送った後、Vinh住職ほか、お寺の方たちにお礼とお別れの挨拶をして、タクシーでダナン市内のホテルに向かいました。タクシーの中で、NMさんは「お腹が空いたー。昼飯を食う暇が無かったよー!」と言っていました。まさに今回の<十一面観音菩薩像奉納の儀式>において、企画・手配・準備・運営・司会など、獅子奮迅の活躍をされていました。
● <十一面観音菩薩像奉納の儀式>が終って⇒サイゴンへ ●
10月30日の奉納の儀式が終わり、NMさんの慰労会も兼ねて、NMさんとS先生と私でホテル近くの日本料理屋さん「蕃二郎」に行きました。ここは日本人の方がオーナーでしたが、値段もさほど高くなく、料理も大変美味しいものでした。お昼ご飯を食べ損なったNMさんの慰労会を兼ねた席ですので、ドンドン日本料理を食べてもらいました。
しばらくして、この場には昨日に続いて「国際交流基金」のKTさんにもまたおいで頂きました。NMさんが「あの人は実にバイタリティーのある、すごい人ですねー。是非今晩もまた声をかけて頂けますか」とお願いされたので、急遽KTさんに無理を言って、この店まで来て頂きました。実はこの日、KTさんは今まで二ヶ月ほど住んでいたホテルを引き払い、引っ越したばかりなのでした。でも、喜んで来て頂きました。
さらには、観世音寺でこの日に出会ったSKさんも先に来られていました。彼は中国人の奥さんを同伴されていました。よくよく聞きますと、SKさんは2014年3月、その「観世音寺祭」で書道のパーフォーマンスをされていたのでした。
この宴席の場では、NMさんは今日の疲れなどは全然見せずに、饒舌に話されていました。むしろ私のほうが、今日の儀式の興奮と、この宴会での酔いで、しばらく眠気がしてきました。すると、眠気の中でうつらうつらしていると、観音像の姿が甦り、ハッとして意識が戻りました。S先生が隣でニコッと笑われていました。ダナン最後の夜の宴会は楽しく、いろんな人たちとの結びつきを強めて終りました。
そしてみなさんがホテルに戻り部屋に入りますと、外には強い雨が降り出しました。この雨ではもう外には出ることは出来ませんので、今日NMさんから頂いたあの本を開きました。部屋の中で目次だけを読んでいるだけで、この本の内容の深さ・広さに驚きました。さらに、あるテーマを説明した箇所のページに目を奪われました。そのテーマとは「ベトナム語ローマ字表記成立に深く関わった日本人」です。
このテーマで書かれた方は「福田康男さん」。肩書きは「ハノイ大学日本語学部非常勤講師」となっています。今のベトナム語のローマ字表記成立に、かつて日本人が深く関わっていたという視点は、初めて提示されたものではないかと思います。これは、今WEBでも見ることが出来ます。以下を参照ください。
このページを読んでいますと、ベトナム語の成立にどういう人たちが、どのようにして関わって来たかがよく分かるように、詳しく説明してあります。この箇所は実に参考になりました。
今のベトナム語のアルファベットの表記自体が、ベトナムの学校教育に採り入れられたのは、実は1945年から始まった新しいものなのです。その由来が過去の記録から掘り起こしてあり、大変興味深いものでした。これを半ば以上読んだところで深い眠りに落ちました。
翌日カーテンを開けてみますと、まだ強い雨が降り続いています。やはり、ダナンはまだ雨季の最中なのでした。朝食はホテル内にビュッフェがあると聞いていましたが、昨日の晩読んだ続きをさらにまた読みました。
そして10時を過ぎた頃、Mさんから「実は、昨日の夜食べた<蕃二郎>の店の前に美味しいハンバーガー屋さんがあるので、そこでお昼にしましょう。S先生も誘ってください」と言われましたので、「了解しました」と私も答えました。
11時にホテルのロビーで待ち合わせて、三人でそのハンバーガー屋さんに行きました。
確かに<蕃二郎>のすぐ前の店でした。私は普段はハンバーガーなど食べないのですが、この時はNMさんの勧めに従いました。
NMさんは「ここのハンバーガーは美味しいので、お昼近くになると、特に韓国人のお客さんがたくさんやって来ますよ」と言われました。事実、11時半を過ぎた頃から、お客さんが多くなりました。そのお客さんが韓国人かどうかは聞いていないので分かりませんでしたが。
NMさんにはこの店の中で、S先生と一緒に今回の<十一面観音菩薩像奉納の儀式>に招いて頂いたことへの感謝。そして<奉納の儀式>に参加しての感動を述べました。あらためて、NMさんへのお礼を言いました。
NMさんは「いえ、いえ、こちらこそ。実は、S先生とあなたが最初に寄進された方なのです。その後に多くの方が続いてゆきました。私こそ感謝していますよ」と、謙虚に答えられました。そのハンバーガー屋さんを出たのは昼の11時40分でした。昨日みんなで食べた<蕃二郎>の店長さんにもお別れの挨拶をして市内を離れ、ダナンの空港に向かいました。
この日は午後二時発の飛行機に乗る予定です。時間が来るまで、S先生と二人で今回のダナンへの旅の余韻を味わっていました。今回S先生は本当に忙しい仕事の合間を縫って、ダナンでの奉納の儀式に参加されました。
私が「よくよく考えれば、こうして私たち二人が同じ飛行機に乗り、同じ場所を訪ね、二泊も過ごすというのは最初にして最後でしょうね。今後もそう何回とは無いでしょう」と言いますと、S先生は笑いながら頷かれていました。
そして、一時半頃に飛行機への搭乗が開始になりました。私とS先生は空港内のバスに乗り、飛行機の機内に入りました。すると、入り口の扉の前に立っていた若いスチュワーデスが、いきなり私の名前を呼びました。
(飛行機の中のスチュワーデスが、何故私の名前を知っている?)
と不思議に思い、少しの間その女性を見つめていますと、どこかで見たような記憶はありますが、思い出せません。でも後ろからはお客さんが続いて歩いて来るので、思い出せないまま自分の席に向かいました。そこを離れる時、彼女に「ベトナムの新聞Tuoi Treを持って来てください」と伝えておきました。
しばらくして、彼女は飲み物を乗客に配るのと一緒に、その手にはベトナムの新聞を手にしていました。私のほうを見てニコッと笑い、それを渡してくれました。私がそれを要求したのは、普段はいつも機内に入った所で、新聞が置いてあるのに、この時は無かったからですが、もう一つ大きな理由がありました。今回のダナンでの<奉納の儀式>がベトナムの新聞に載っているのでは・・・と想像したからです。
実は今朝ホテルのロビーで新聞を手に取り、ページをめくっていると、昨日の<奉納の儀式>が大きく載っている新聞がありました。Thanh Nien(青年)新聞とCong An(公安)新聞でした。Thanh Nien新聞には小さくしか載っていませんでしたが、Cong An新聞には大きく載っていました。そこには、新聞の片面一ページの半分を割いて、<奉納の儀式>の記事が実に詳しく載っていたのでした。以下がそのアドレスです。
http://cadn.com.vn/news/71_156910_trao-ta-ng-phien-ba-n-tuo-ng-tha-p-nha-t-die-n-qua.aspx
それで、もしかしてTuoi Tre新聞にも載っているのでは・・・と思いましたが、載っていませんでした。残念でした。でも、今回は実際に自分のこの眼で見ていた<奉納の儀式>ですので、Cong An新聞の記事だけでも十分です。
飛行機は午後3時半にサイゴンに着きました。みんなが降りる仕度をし始めました。私が降りる時にはずいぶん空いてきたので、ちょうど出口に立っていた彼女に「何故私を知っているの」と聞きました。
すると彼女は、「今から5・6年前に青年文化会館で行われていた“日本語会話クラブ”で会いましたよ。しばらく私もそのクラブに参加していたので、あなたを覚えていました。でも今はこの仕事に就きましたので、もう行くことは出来ませんが」と答えてくれました。
それを聞いて、「あー、そうでしたか」と私も思い出しました。あの当時の彼女から比べると、服装も変わっているし、雰囲気も変わっているので、すぐには思い出せなかったのでした。しかし、今回のダナンでの<十一面観音菩薩像奉納の儀式>は、最後の最後まで、印象的な思い出を残してくれました。
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
ダナンの寺院に日本の仏像を奉納、日越の寄進で
南中部沿岸地方ダナン市の五行山観世音寺で10月30日、奈良・東大寺別当で華厳宗管長の狭川普門師ら日越有志による日本の十一面観音像の奉納式が行われた。奉納式には、日本からの仏蹟巡礼団一行34人及び寄進に応じた在留日本人、地元市民、僧侶約150人が参加した。
今回の奉納は、今から1260年前に奈良の都を訪れて仏教経典普及に努めた林邑(ベトナム)僧仏哲師への報恩を縁としたもの。奉納した仏像は日本人彫刻家の水島岩根氏(京都府木津川市)が制作したブロンズ製の十一面観音像で、高さ80cm、幅30cm、重さ33kg。費用は両国で募った寄付金を充当した。
これに先立ち、2010年に同寺院のティック・フエ・ビン住職が東大寺を訪れ、同寺院の新本堂落慶式に合わせてベトナムにゆかりのある東大寺の観音像を一時貸し出して欲しいと依頼した。申し出を受けた狭川別当は、法的な制約などのためほぼ不可能な国宝の国外貸し出しに代わり、日本で造仏した立像を贈ることを提案し、今回の奉納が実現した。
なお、五行山観世音寺の隣では「日越文化交流センター」の開設が計画されている。今回の日本の仏像の奉納により、古くから続く日越の仏教交流と両国間の絆が更に深まるものと期待されている。
<VIET JO>
◆ 解説 ◆
今回ダナンを久しぶりに訪れて、ダナンの街の投資ラッシュの活気と、その反対の街の落ち着きの二つを感じました。五年前に学校の社員旅行でダナンを訪れた時には、団体行動でしたので、街中を一人でフラフラ歩く時間も無いまま、バスの窓ガラス越しに見える“投資の活発さ”だけが印象的でした。
しかし、今回S先生と二人だけで訪れたダナンは、以前の印象とはまた違う感じでした。S先生と二人で自分の足で街中を歩いていた時、「何と落ち着いた街ではないか・・・」と思いました。
<さすらいのイベント屋SMさん>は「ベトナム中部のホイアンを終の棲家にしたいと以前は考えていたが、最近はダナンのほうがいいかなと思い始めてきた」と言われていました。その気持ちが少しは分かるような気がします。
そのダナンでNMさんは、今回<十一面観音菩薩像奉納の儀式>の一大イベントを実現されました。ここに至るまでのNMさんの努力・苦労は如何ばかりだったでしょうか。しかし、我々にサイゴンで会った時に見せるその顔は、いつも冗談を飛ばし、快活な笑いをされて、全然深刻な表情を見せられたことがありません。
以前から楽しみにしていたこのイベントに参加できたのは望外の喜びでした。さらには、このイベントを通して旧知の人たち、新しく出会った人たちなどが数多くいました。それもダナンに足を運ばなければ実現出来なかった“再会と出会い”でした。そのような貴重な機会を提供して頂いたNMさんにあらためて感謝しています。